第2話 最悪な女と、湖畔での出会い
さて皆さん。
恋ってやつは、だいたい“最悪”から始まるもんでしてね。
特に夏なんてのは、暑さで頭も回らんし、心もゆるむ。
そんなときに出会う相手ってのは、まあ、大抵ロクでもない。
けれど、それがあとで一番忘れられない相手になるんだから、
人生ってのは、まったく因果なもんでございます。
江ノ電・由比ヶ浜駅。
夏の潮風と、人混みと、焼きとうもろこしの香り。
ここは“人間界の夏”が最も騒がしく、最も甘酸っぱい場所のひとつだ。
ホームを出た瞬間、じわっと汗が背中に広がる。
「長瀬、先輩まだかな……」
カズヤは駅前でスマホを確認しながら、
伸びそうなネクタイを引きちぎりたくなっていた。
(……なんで俺、こんなとこ来てんだよ)
仕事の疲れも残ったまま、
半ば強制的に連れてこられた夏祭り。
だが、そんな思いを吹き飛ばす“事件”は、
だいたいこういう場所で起きる。
「はぁ〜やっと着いた……まずは冷たいもんでも……」
海の家のキッチンカー。
氷の音、ラムネの瓶、風鈴のチリンという音。
カズヤはラムネアイスバーを手に取った。
「お兄さん、これ最後でーす!」
「ラッキー」
その瞬間だった。
「それ、あたしが先に目ぇつけてたんですけど?」
後ろから、刺さるような声。
振り返ると、
そこには浴衣の女。
紫陽花柄。
涼しげな見た目。
……なのに目つきは、完全にケンカ腰。
(うわ、めんどくさいタイプだ)
「えっ……あ、すみません、でも店員さんが──」
「視線の予約は受け付けてないってワケね。ふーん。
ま、いいけど。世の中、鈍感な人間多いからね?」
「はぁ……?」
空気がピリつく。
屋台のオヤジが、面白そうにこっちを見ている。
周りの客も、なんとなくニヤニヤしている。
夏祭りってのは、こういう小競り合いが妙にウケるのだ。
「ったく……せっかく祭りでテンション上げようと思ったのに……ツイてないわ……」
「いや、僕だって……別に好きでこんなとこに……」
「へぇ? じゃあ来なきゃよかったんじゃないの、会社の犬くん」
「会社の……犬……?」
6ブチッ。
カズヤの中で、なにかが切れた。
(誰が犬だコラ)
「……こっちだって好きで社畜やってるわけじゃないんですけど?」
「言い訳してる時点で犬よね」
「なんだと!?」
「なによ!?」
夏の海辺。
ラムネアイス一本。
それだけで始まる、どうしようもない口ゲンカ。
だが、これがまた妙に楽しい。
そのとき。
「おーい! おまたせー!」
空気をぶった切るような、
間の抜けた声。
「カズヤ! よく来たな! って……おお、妹も一緒にいたのか?」
「……え? 妹?」
「おぉ紹介する! こっちが俺の妹、長瀬智子。こっちがカズヤ、大学の後輩」
「…………」
「…………」
波の音だけが、やけに大きく聞こえた。
そして――
「「ええええぇぇぇぇぇええええ!?」」
見事にハモる二人。
屋台のオヤジが吹き出した。
「ははは! 若いねぇ!」
いや、笑いごとじゃない。
さっきまでケンカしてた相手が、
まさかの“紹介される女の子”。
しかも、先輩の妹。
逃げ場ゼロ。
「ふん。やっぱり“会社の犬”だったんだ、紹介されるなんて。失笑モノ」
「……こっちだって紹介されるのがキャンキャン吠える犬だとは思わなかったですよ!」
「なにそれ!?」
「そっちこそ!」
「お前ら、うるさい! 仲良くしろ!」
達也、爆笑。
カズヤと智子、ガン飛ばし合い。
その横で、風鈴がチリンと鳴る。
海からの風が、少しだけやわらかくなる。
第一印象なんてのは、だいたい当てにならない。
むしろ、最悪なやつほど、
あとで心に残る。
そんなこと、このときの孫のカズヤは、
まだ知る由もなかったのでございます。
つづく




