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滅鬼の刃  作者: 大橋むつお
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51:『栞と辺野古のことから』

滅鬼の刃 エッセーラノベ    


51:『栞と辺野古のことから』 





 沖縄の辺野古に体験学習(修学旅行)に行っていた高校生たちが事故に遭ったという記事でした。



 二艘のボートに分乗して海の上から建設中の辺野古基地を見てみようという企画で、二艘とも転覆して海に投げ出され、船頭さんと女子高生が亡くなりました。


 わたしも亡くなった武者も、現職のころ二三度沖縄に仕事で行っています。当時も今と同じく体験学習型の修学旅行が流行りでした。


 それまでの観光型修学旅行は、簡単に言うと飽きが来ていました。学校によっても違いがあるのでしょうが、国内の名所旧跡を連れまわしても「あ、そう……」という感じで大方の生徒はパスorスルーです。そういう名所旧跡はテレビなどで馴染みがありすぎるのかハナから興味がありません。

 それに、観光だと引率する側はともかく、生徒たちはあまり疲れません。疲れないと、いきおい宿舎でも元気で遅くまで騒いで、就寝指導や夜中の見回りが大変です。「修学旅行から三か月後に妊娠の相談がニ三件ある」という養護教諭(保健室の先生)の話もありました。


 それで、1980年代から急速に体験型修学旅行が主流になります。


 体験型のほとんどはスキーでした。


 昼間、スキーで疲れさせ、夜はぐっすり寝ていただこうというのが、本音というか狙いが半分。あとの半分は、結果的に生徒からの評判も良かったからです。生徒の中でスキーの経験があるのはクラスに四五人、多くて七八人といったところです。大半が素人、スキーを見るのも初めてという子たちです。それに、スキーの他にスノボも選択できるようにしてやり、生徒たちからもおおむね好評でした。


 ところが、この体験型を中学でもやるようになりました。スノボなどでも分かる通り、中学生くらいの年齢が高校生よりも向いています。オリンピックでも中学生くらいの選手がメダルをいっぱいとっていますしね。どうかすると、小学校でもやるところがあって「ええ、またスキーぃ!?」ということが90年代にはおこってきました。


 そこで考え出されたのが平和学習を柱にした沖縄への修学旅行です。地元の語り部さんがガイドしてくださって、ガマの見学、摩文仁の丘、平和のいしじ、嘉手納基地を外から見学、そして、仕上げはひめゆり学徒隊生き残りのお婆さんからの講話と盛りだくさんです。むろん、それ以外にもかりゆしビーチリゾートや琉球村などもまわりました。


 しかし、辺野古基地建設の様子を外から見てみようという発想は無かったですね。


「あたりまえじゃん、そのころ辺野古なんて無かったでしょ」


「え、あ……」


 栞の言う通りです、どうも時間軸があやふやです。


「でもさ、なんでこんなしょーもないこと考えるのかなあ」


「しょーもない?」


「平和学習なんて、タテマエなの、みんな知ってるよ」


「え、あ、まあそうだろうな」


「そうだよ、だからさ、あたしらはゼッタイ野党なんかに投票しないもん」


 まあ、言う通りです。十代二十代のさなえちゃん押しは、現職総理への支持としては明治以来最高です。ググってみると92%でした。


「お祖父ちゃんも武者のおじさんも、珍しくサヨクじゃなかったじゃない。それが、なんで平和学習とかやってたわけ?」


「あ、ああ……」



 武者が言っていました。



『恥やなあ……ひめゆりさんの講話とかあるやろ』


 そう言われて『ああ、そうだなあ』と共感しました。


 うちもそうでしたが、武者の学校の生徒たちは——人の話を聞く——という姿勢がありませんでした。


 授業の半ば、クラスの四半分ほどは崩壊状態でした。遠足で大手清涼飲料メーカーの見学に行ったとき『案内のおねーちゃん、顔ひきつっとった』と言っていました。

 ビデオを見せてもらうと、いちおう座っていますし、授業よりは大人しいのですが、慣れてない人はたまらんだろうなあという不穏さです。


『でまあ——人さまのお話はきちんと聞きましょう——ちゅう事前学習をやった』


『どんなふうに?』


『そら、まあ武者走流や』


『ああ……』


 学校の事情や生徒のテンションに合わせて授業をしていたのですが、年に数回、予期してやるわけではないのですが、マジな授業をやってしまいます。


 武者もわたしも社会科、歴史の教師でした。歴史には人間が出てきます。その人間の話が、たまに生徒の心に突き刺さることがあります。


 鉄砲が伝来した時、日本の刀鍛冶はたった一年でそれをコピーしてポルトガル人を驚かせますが、一つだけ尾栓(銃身の後ろの栓)の止め方が分かりません。尾栓はねじ式だったのですが、日本にはネジの発想がありません。尾栓がちゃんとしていないと、射撃した時に尾栓が後ろに飛び出し射手の顔面を砕いてしまいます。刀鍛冶は娘を差し出してネジを教えてもらったとか、歯のこぼれた包丁で大根のかつら剥きをしていて閃いたとか。


 戦時中、大阪大空襲の時、規則では禁じられていたのに職員が地下鉄の鍵を開けて避難者を地下の構内に収容して、千人以上の市民を救いました。ところが、この職員が誰であったのか、未だにわかりません。実は、何人かは知っていたのですが「分かりません」「覚えていません」としらをきりました。職員も市民も以心伝心だったのでしょう。大阪市民らしい融通の利かせ方、軍や杓子定規な規則への大阪らしい反骨が出ています。


 そういう話が、時と場合によっては刺さるのです。


『反戦なんちゅうもんはやらんけど——そういう人の話はちゃんと聞け——いうことは、やりようによってはできる』


 武者の言う通りだと思います。


『でなぁ、ひめゆりさんが話し終わって言わはるんや——こんなに真剣に聞いてもらったことは久しぶりでした——てな。生徒らも、なんかくすぐったそうな顔しとってなぁ』


 

「武者のおじさん、作戦勝ちだったのね」


「いや、最初はアリバイだったと思うぞ」


「え、そうなの?」


「ああ、こういうことは狙ってやったら、たいてい失敗する。だから、武者は次の学年には教えなかったんだ」


「……そうなんだ」


 珍しく、武者やわたしのことを見直したという顔をしました。


 一本取ったという感じだったのですが、栞は続けました。


「お祖父ちゃん、このネタはこれっきりにした方がいいよ」


「そうか?」


「うん、お祖父ちゃんの世代ってカチコチの人多いからね、ただでも友達少ないんだから、でしょ?」


 数少ない友達が思い浮かびます……むべなるかな、ため息ひとつついて返事にしました。


 


 ☆彡 主な登場人物


 わたし        大橋むつお

 栞          わたしの孫娘 

 武者走       腐れ縁の友人(35回より故人)



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