誰かが悪いのか、誰も悪くないのか④
その夜のレティシアは、不思議と思い通りに事が運べた。
会場に入って早々に体調不良を告げ、速やかに控室に通される。主催者の奥方の配慮でディラム家へ遣いを送ってもらうことができたため、そこで迎えの馬車を待った。
クラトにいつ見つかるかと緊張していたが、最後まで彼は現れなかった。
レティシアは知らなかったが、その夜の主催がスレニル公爵家の対立派閥であったために、クラトは自由に動けなかったのだ。
だからこそレティシアも簡単には助けを請えないと踏んだが、彼女はそのあたりの考えが浅く、その上、主催の奥方もおおらかな人柄であったことが幸いした。
レティシアは無事に迎えの馬車に乗り込み、邸に帰ると直ちに父に向けて手紙を書き、早朝のうちに早馬に持たせた。
「急に手紙が来て驚いたよ、レティシア」
「ごめんなさい、お父様。結局、領地から足を運んでいただいて……」
「いや、それは、良いんだが……」
じっと娘を覗き込み、ディラム伯は慎重に言葉を発した。
「……良いんだね?」
クラト君のことは、もう――?
言外の問いかけが分かり、レティシアは粛々と頷く。
「……はい」
クラトとの会話を経て、彼女の心は使命感に似た感情に突き動かされていた。
この際、婚約する相手は誰でも良かった。
何とかしなければ。でないと……。
――クラトは、なんでもしてしまうだろう。
――――――――――
実を言えば、ライゼル=イース=カークランド辺境伯爵との初めての顔合わせの記憶は曖昧だ。赤い髪の、背の高い人、という程度の……さらに言えば、どことなく近寄りがたい男性。
クラトの、女性顔負けの優美な美貌をずっと見続けていたから、カークランド伯の顔立ちはどことなく粗野な印象を受けた。クラトより声が低く、クラトより上背があり、特に見下ろされると威圧感を感じるのもいけない。
エスコートされた時の腕の位置、歩調、会話の間合い。
紳士的な態度でレティシアに合わせてくれているのがわかるのに、慣れ親しんだ感覚との齟齬を見つけるたびに、どうしても躊躇い、心の片隅に抵抗が生まれてしまう。
そんな風に、ライゼルと会っている間ずっとクラトと比べ続けていたことに終わってから気付き、レティシアは酷い自己嫌悪に陥った。
なんて未練がましくて、なんて不誠実なのだろう。
けれども、レティシアにとってクラトはどんな想いも入り込む余地がないほど一途に初恋を奉げてきた相手だ。
ライゼルがクラトと全く共通項のない男性であるだけに、余計に苦手意識が植え付けられて、簡単に心変わりなどできそうもなかった。
それから何度かライゼルと会ったが、レティシアはなかなか彼に対する態度を変えられなかった。いつも視線を伏せがちで、言葉少なで、エスコート以外に必要以上の接触を避けて時間をやり過ごす。
このままではライゼルから婚約解消を言い渡されてしまうかもしれない。そうしたら、修道院へ行こうか……。
ライゼルに対して不誠実であるのも当然だった。
愚かとしか言いようがないが、レティシアはずっと心の奥底で、クラトへの操立てをしていたのだから。
それでいて、クラトに対しても全く誠実ではなかった。
あの夜会からレティシアはクラトを徹底的に避けた。体調不良を理由に面会を断り、贈り物は丁重に返し、クラトからの手紙は封も切らずに引き出しに仕舞い、いつも同じ言葉を添えて返事を書いた。
『婚約が決まりました。もう、今までのようにはお会いできません』
レティシアはクラトのことが大好きだったが、クラトと西国の皇女の婚姻は、キプロスと取り交わした条約の一環であり、一個人の感情で簡単に変えられるものではない。
セントリア王国は東西南北を他国に囲まれている。クラトが皇女を迎えなければ近隣諸国の中で最も軍事力が高い西国を敵に回すかもしれず、この国は窮地に立たされるだろう。
これでも、レティシアはクラトと結婚するための抜け道はないかと必死に情報を集めたのだ。その末の結論だった。
クラトにそれが分からないはずもなく、だからこそ、レティシアの失恋は初めから確定している。
距離を取って、別の婚約者と過ごし、「貴方のことは忘れます、どうかお幸せに」という態度を貫けば、クラトも自分とのことは忘れてくれるだろうと思った。
レティシア自身は、クラトが結婚するときにはきっと胸が引きちぎれるように痛むだろうが、乗り越えていくしかないのだ――と。
気持ちに整理をつけることに必死だった。
それで、自分のことにいっぱいいっぱいになっていたから、なのだろうか。
レティシアはたぶん、何かを決定的に見落として、その報いを受けることになった。




