誰かが悪いのか、誰も悪くないのか
入れるか迷いましたが、レティシア過去編、始まります。
こんなに長くなるとは……。
「わたし、クラト様が好きです」
「……本当、レティ?……嬉しい。僕もだよ」
そうして交わした、初めての口付け。
「僕には君だけだよ、レティシア……」
「わたしもクラト様だけ。ずっと、ずっと、好きよ」
――それが、全ての過ちの始まり。
――――――――――
ディラム伯領の領主館にクラトがやってきたとき、父が天使さまを連れてきたのだと思った。レティシアは初め、彼が背中に羽を隠しているに違いないと考え、早く挨拶が終わって後ろを向いてくれないだろうかとそわそわした。
けれどもこちらからの挨拶が終わっても彼は一向に言葉を発さず、表情もぴくりとも動かなかったため、ようやくレティシアの興味は彼自身へと向けられた。
顔合わせを促したディラム伯ですら切り上げるタイミングを持て余すほど膠着した空気のなかで、彼は天使さまではなくお人形さんかもしれない、とレティシアが考えを改めかけたとき、クラトが瞬きをしたので彼女は目を丸くした。
結局クラトに羽は生えていなかったし、その日は一言も口を利かなかった。
いや、その日だけではない。
クラトは領主館に与えられた客間から一歩たりとも外に出なかった。当然、誰と会話をするでもない。レティシアはそんなクラトを不思議に思った。
――わたしだったら、お父さまやお母さま、お友だちと話せなかったらさみしい。クラトさまはさみしくないのかしら?
レティシアは一階にある客間を、庭からそうっと覗き込んだ。庭園の風景がせめて慰めになればと、使用人によって日当たりの良い窓のカーテンは開けられていた。その窓から、光の届かない部屋の隅の方で、美しい少年が本のページを捲っているのが見えた。
(きれいな男の子)
レティシアはしばらくぼうっと彼に見惚れていた。すると、妙な気配に気がついたのかクラトがふっと顔をあげる。
視線がばっちり合ってしまい、レティシアはぴゃっと窓の下に逃げ込んだ。顔は真っ赤になっていたし、心臓もばくばくしていた。
ちょっと落ち着くと、レティシアはもう一度そうっと窓に顔を出す。しかし、クラトはとっくにこちらから興味を失っており、また読書に戻っていた。
なんだか、無性にがっかりした。
レティシアはそれから毎日のように窓を覗き込んだが、クラトはレティシアの視線に慣れてしまったのかもうこちらを見てくれない。なんとか彼の気を引きたくて、レティシアはプレゼントを用意することを思いついた。
小さなレティシアは、お花やお菓子を貰うと嬉しい。そこで、庭師のお爺さんにお願いしてお花を一輪分けてもらった。
それを持ってクラトのいる部屋の窓の下へ行き、窓枠にちょこんと置く。そして、これだけでは気付いてもらえないかもと、思いきって窓をコンコンと叩いた。何事かとクラトが顔を上げる前に、レティシアは慌てて植垣の陰に隠れる。
レティシアが固唾を飲んで見守る中、窓が初めて開かれ、天使さまが花を手に取る。その光景は、幼い少女の胸を高鳴らせた。
これに味をしめたレティシアは、毎日せっせとお花を窓辺に置いては物陰から受け取ってもらえるのをじっと観察するようになった。飽きもせずに続けられる奇行に、根をあげたのはクラトの方だった。
「ねえ、君は何をやっているの?」
いつものようにそうっとお花を窓辺に置いたレティシアは、上から降ってきた声に飛び上がらんばかりに驚く。いたずらが見つかった気分で恐る恐る顔を上げると、天使さまが無表情にこちらを見下ろしていた。
「天使さまが……喋ったの?」
「僕は天使じゃない」
「あ、わたっ、わたしはレティシアです!」
「……知っているけれど」
動揺のあまり、たまに心の中で呼んでいたあだ名が飛び出てレティシアは余計に混乱に陥った。クラトはそんな少女の様子を冷めた目で見ている。
「何のために花なんか置いていくの?」
「ああ……やっぱりお菓子が良かったですか?今度からは――」
「いや、そういう話でもないし」
もしかして理由を聞かれているのか、と会話一つ分遅れて察する。レティシアは、勉強はそれなりに褒められることも多いのだが、あまり頭の回転が良くない自覚があった。こうやって遅れて真意に気付くようなことがたびたびあり、自分の鈍さに呆れて恥ずかしくなる。
「……わたし、お花やお菓子を貰うと嬉しいから、クラトさまも嬉しいかなって」
「僕の気を惹きたかったの?」
「えっ」
直截に訊かれて、レティシアはりんごのように真っ赤になってしまう。もじもじと手元を見つめ、赤い顔のまま頑張ってクラトを見上げた。
「……はい、そうです……」
クラトは息を呑んで、未知のものでも見るような目でレティシアを凝視する。ややあって、再び口を開いたとき、彼の声は心なしか掠れていた。
「ここで……話すくらいなら、いいよ」
それを聞いたレティシアは思わず満面の笑みを浮かべてお礼を言い、クラトは無表情に初めて驚いたような色をのせた。




