俺の母親と、ど屑の話
政治、経済、社会制度、法律、科学技術――。
俺に様々な価値観を与えてくれた異世界の知識だが、最もありがたく感じたのは、一見して実のある利益に繋がりそうもないような――何なら、理解しがたい――突飛な物語の数々だったのかもしれない。
「あれをミーシアに近付けるなと言っただろう!」
「あれだなんて……そんな仰り方はあんまりです、旦那様。ライゼルは貴方の血を分けた息子で――」
扉の向こうで、男が鼻で嗤う気配がした。
「ミーシアと愛し合うのに子供など邪魔なだけだ。あいつのせいでシアを失いかけたときは縊り殺しても足りないと思っていたが、おかげで彼女に次の子供ができる心配がなくなったことだけは僥倖だったな。妊娠するたびに彼女に触れられなくなるなど、考えただけで気が狂いそうだ」
「……」
「ミーシアには、子供は死んだと伝えてある、と言っただろう。彼女に疑問を抱かせるような真似をするな。何のためにお前と仮面夫婦になったと思っている。自分の勤めも満足に果たせないのか?」
嘲るような口調に、俺ははらわたが煮えくり返りそうだった。
「……承知致しました」
人が出てくる気配がしたため、俺は急いで扉から離れ、廊下の角まで走って隠れた。
控え目に扉が開き、父の執務室から浮かない顔をした女性が出てくる。扉が閉まる音の後、女性の足音が徐々にこちらへ近づいてくる。
「ははうえ」
ひょこっと角から顔を出すと、その女性――俺の母、アデライトは息を呑んで固まった。
「ライゼル!?」
「しぃー」
アデライトはハッと執務室の扉を振り返り、俺の手を取って足早に廊下を進む。
「どうしたのライゼル、こんなところで……」
「ちちうえがおやしきにいるってきいて……ごめんなさい、おはなしきいちゃった」
アデライトの足が止まる。
「ねえ、ははうえ……まえからなんとなく、そうかなっておもっていたけど……ちちうえって、もしかして――」
「ち、違うわライゼル、あれはきっとお父様の本心では――」
アデライトは痛ましげな顔でしゃがみ込み、父親の心無い言葉に傷付いているであろう俺に、必死で何事か言い募ろうとした。だが、俺の次の一言の方が早かった。
「――くずなの?」
アデライトは言いかけた口を開けて、閉め……ややあって再びぽかんと開けた。
「……?……く、くず?」
「けっこんしているのにうわきするおとこはくず!」
「は……え?」
アデライトは呆然とした面持ちで、齢5歳になったばかりの俺を見る。
「え……?だ、誰にそんなこと……?」
「ゆめでみた!ちちうえみたいなにんげんを『やんでれ』っていうんでしょ?」
「ゆ、夢……やん、で……?えぇ……?」
この出来事は母をたいそう混乱させたが、俺は後悔していない。
俺が、異世界の知識の恩恵に最も感謝していることは、幼いうちから理不尽な目に遭わされている母の味方になることができたことだ。




