婚約者の荒療治⑤
「俺からも貴女に訊いておきたいことがあるんだが、いいか?」
レティシアは、自分がクラトをどう思っているかもわからないと言うし、クラトとどうなりたいかも想像がつかないようだ。だが、きっとこのことに関しては、常に考えずにはいられないはずだ。
「アルラント子爵は、貴女のことをどう考えていると思う?」
地雷と知って踏みに行ったので、レティシアが凍り付いたように表情を強張らせたのは予想の範疇だった。
そして、こう答えるに違いない。
「……わかりません」
「言うと思った」
俺は笑った。たぶん、嫌味な態度だったろうと思う。俺はこれから、悪役になってやる必要がある。
「俺の目から見て、アルラント子爵は貴女に好意を持つだけでなく異常に執着しているように見えるんだが、貴女から見てどうだ?」
「そんなこと……。ライゼル様だって、今日のクラト様の態度をご覧になったでしょう?あの方はイサラ様――皇女殿下にお会いしてからわたくしの方なんて見向きもされなかったわ。お二人は婚約者なのですもの、当然ですけれど。もしかしたらもうすでに、殿下のことを好きになっているかもしれないわ。そうすれば、わたくしのことは……」
レティシアらしからぬ捲し立てるような喋りは、徐々に力を失って彼女の目線と共に手元に落ちた。
彼女はやはりあの一件に傷付いていたらしい、という事に対する感想以前に、俺は改めて愕然としていた。
「……なるほど。貴女はこの件に関しては特に自分のことしか考えられないんだったな」
「……え?」
思わず毒を吐いた俺にレティシアが顔を上げる。その表情には戸惑いが浮かんでいた。
「貴女の見解だと、アルラント子爵は今日初めて顔を合わせた、そのうえ今まで存在を蔑ろにしてきた婚約者に都合よく好意を抱き、その一方で数年来恋人のように振る舞っていた貴女をあっさり捨てようとしてるってことか?婚約者がいながら貴女の純潔まで奪っておいて?屑すぎるだろ」
まあ確かに、今までの行いからして相当な屑だが。
「アルラント子爵のことをそんなふうに思っていたのか?貴女はアルラント子爵のことが嫌いじゃないはずだ。いくら貴女が『わからない』と言い張ったって、それは誰が見たって明らかだ。だが、よくそんな認識で彼に愛想を尽かさずにいられたな。普通なら、そんな相手は憎んでも憎み足りない……」
レティシアの考えるクラトのことを言っているつもりでいたが、俺はふと、これはクラトから見たレティシアのことのようだと思った。クラトはレティシアの純潔を奪い、外堀を埋めていっているはずなのに、それでもなお彼女の心変わりに怯えていた。レティシアが自分以外の男に気持ちを傾けるような素振りを、奴は心底憎むだろう。そのとき、クラトは――。
「クラト様はそんな方では……!」
レティシアの震える反論の声に、俺は思考を切り替える。今やるべきことは、クラトの未来予想ではない。レティシアの甘ったれた浅はかさが作り上げたお花畑を更地にすることだ。
「貴女が言ったことだ。貴女が貶めた彼を自分で擁護するのか?」
「わ、わたくしにだってわからないわ」
「それは違う。貴女は逃げているだけだ。自分が傷付くことを恐れて、自分の気持ちからも、彼の想いからも目を背けている」
「っ……貴方に何がわかるの!?」
「俺の言葉を否定できるのか?貴女には『わからない』んだろう?」
俺の遠慮容赦ない追撃に、レティシアは言葉を失い、とうとうその瞳から涙を零した。彼女の心は哀しみ、怒り、苛立ち、悔しさ……様々な遣る瀬無い感情に満ちていることだろう。
けれども俺はいつぞやのように彼女を慰める気はなかったし、謝るつもりもない。レティシア自身が飲み込み、消化しなければならない感情だ。
「逃げるなよ、レティシア。存分に傷付け。貴女が知ったこと、知ろうとしなかったこと、見ていたもの、見ようとしてこなかったもの、してきたこと、しなかったこと、全部省みろ。目を背けるな。そして、自分の頭で考えろ。わからないんじゃなくて、わかろうとしていないだけだと気付け。そうでなければ、遠からず無知と浅慮の代償を支払うことになる。
貴女の気持ちは貴女にしかわからないし、アルラント子爵の考えは貴女が彼に向き合わなければ知るきっかけさえ掴めないんだ。楽な方、無難な方に流されて、それで貴女は幸せか?アルラント子爵を幸せにしてやれるのか?」
大きな音を立てて椅子が倒れた。レティシアが突然立ち上がったからだ。彼女は涙に濡れた瞳を伏せ、絞り出すように声を発した。
「……聞きたくないわ。もう結構です。……失礼します」
彼女は倒れた椅子もそのままに、扉から飛び出していった。ぎょっとしたようなキースの声がレティシアを呼び止めるが、当然立ち止まるはずもない。やがて開きっぱなしになったドアから、廊下を挟んだ向かいの部屋の扉が閉まる音が聞こえ、辺りは再び静かになった。
ややあって、キースがおずおすと扉から入ってくる。
「ライゼル様……」
俺は片手を挙げて制した。
「わかってる。とりあえず、レティシア嬢の部屋に食事を運んでくれ。話に夢中で、ほとんど口をつけていなかったようだから」
「……かしこまりました」
レティシアは、結局前菜すら食べきっていなかった。キースが物言いたげな顔で彼女の食事を運ぶ傍ら、俺は冷め切ったディナーを淡々と口に運ぶ。
キースの言いたいことはわかっている。扉の隙間から、彼は何となく話を漏れ聞いたはずだ。話の内容にも、俺の態度にも、思うところはあるだろう。
だが、俺に後悔はない。俺の言葉は彼女を傷付けることになったが、レティシアが真剣に自分を省みればいずれ負う痛みだ。彼女が傷付かない道……その先に彼女の成長はない。クラトの用意した檻があるだけだ。
彼女の望みがその檻に自ら囚われることだとしたら……。それがどう考えても幸福だとは思えない俺は傲慢なのだろうか?
俺が散々に踏み荒らした彼女の心が、このまま更地のままか、再び芽を伸ばすようになるかは彼女次第だ。願わくば、それが実のある草木であればいいと思う。




