婚約者の荒療治③
状況が落ち着き、クラトは王都へ呼び戻された。
その頃の二人がすでに想い合っていただろうことは想像がつくし、もしかするとお互い言葉にして伝え合って、初々しい恋人関係になっていたかもしれない。
――なにせ、その時までレティシアはクラトに婚約者がいるなどと考えもしなかったのだから。
レティシアは、クラトと離れ離れになってからその事実を父から聴かされた。
「わたくしは、クラト様のことが急に分からなくなって……婚約者の方がいらっしゃるのに、どうして……と」
レティシアは言葉を詰まらせた。そろそろ話すのが辛くなってきたのだろう。
どうするかな……。どちらかと言えばここからが核心なのだが、どう転がってもレティシアを追い詰める気がしてならない。
思い悩んでいると、ふとレティシアから視線を感じる。
「どうした?……辛かったらやめても良いからな」
すると意外にも、レティシアはくすりと笑った。
「辛くないと言えば嘘になりますけれど、あなたが……」
不意にレティシアは口を噤み、その表情に迷いを浮かべた。話している内容が内容なだけに、俺たちの目の前には未だに前菜の皿がほとんど手付かずで置かれている。レティシアはそれをフォークでつつき始めた。……さすがに腹が減ったのだろうか。なかなか話が続かないが、じっと見られていたら話し辛かろう、と俺も前菜を先に片付けることにする。
暫く食事に専念し、俺の皿が空になったところでレティシアから「あの、」と声が掛かった。
「ライゼル様にずっと伺いたかったことがあります」
「うん?」
「あの……」
食器を置いて聴く体制を取った俺をちらりと見上げ、レティシアは思い切ったように口を開いた。
「あの!」
「うん」
「わ、わたくしがもし……」
また言い淀み、俯く。よほど口に出し辛い内容のようだ。俺は根気強く待ったが、やがて何かを諦めたように肩を落とした。
「……ライゼル様はこの婚約が解消されなかったら、どうなさるおつもりなの?」
何となく、彼女が本当に尋ねたいことから外れている気がしたが、その代わりに問われたことは俺の中ですでに意思が固まっていることだったので条件反射のように答えた。
「貴女を娶る」
なぜか、レティシアは何を言われたか分からないように俺を見た。
「いや、そんな顔で見られても。当たり前のことだろう?逆にどう考えてたんだ」
「……だって、『少なくとも堤防を造る目処が立つまでは、婚約解消する気はない』って……だからわたくし、そのあとは婚約解消をされるものだと」
そう言って俯いたレティシアに、俺はこれまで彼女と交わした会話を遡り「あー」と呻いた。
……うん、言った。確かに一言一句違わずその通りのことを言いました。というか、あんな言葉の弾みみたいなのをよく覚えてたな。何なのその記憶力、才色兼備かよ。
なんて、現実逃避をしている場合ではない。俺はこれから過去の自分の尻拭いをしなければならないようである。
確かにあの言い方じゃあ、俺の方も婚約解消したがっていて堤防さえ作ったらそれを実行しそうに聞こえる。その後ディラム伯の提案で、俺の方からも婚約解消ができる契約に書き換えてしまったことがダメ押しになったのかもしれない。
「それに関してはすまなかった。言い方が悪かったのは認める。だが、そもそもあの時の貴女は、俺との婚約を解消したがっていただろう?」
あの時のレティシアは、申し訳なさそうにしながらも俺との婚約を白紙に戻したがっていたように見えた。領民のことも、ディラム伯のことも、俺のことも、そしてもしかしたらクラトのことさえも、彼女の頭にはないように見えた。
レティシアは楽になりたかったのだと思う。
彼女は、クラトを想う気持ちを抱えたまま他の男の婚約者でいることにも、婚約者がいながらクラトと関係を持ってしまったことにも、耐えられなかった。初めから二人の男を手玉に取るつもりで立ち回る悪女のような女性だったら、そんなストレスもなかったのだろうが、彼女はただただ悪意なく、自分本位で、無知で、考えなしだった。だから、俺との婚約を無かったことにすれば、全て元通りになると考えたのだろう。
彼女は、自身のそうした性質を、無意識に免罪符にしている節がある。
「知らなかった」
「わからない」
「そんなつもりはなかった」
自ら知ろうと行動せず、思考を放棄し、悪意がなければ責任もない。そういう行動原理――というか流され思考が透けて見え、俺はレティシアの貴族としての自覚の無さと、想像力の欠如からくる思い遣りの無さに、無性に腹が立った。
ついでに言えば、俺がまるでレティシアの見てくれに惹かれて婚約したかのような思い込みも気に食わなかった。
それで、つい、刺のある言い方をした。
一方で、レティシアの精神状態がかなり追い詰められていることも感じ取っていた。あの時の彼女は顔色も悪かったし、短絡的で極端な提案は余裕の無さの現れであったようにも思う。
「俺としては、貴女に逃げ道を提示したつもりだった。婚約解消したいなら、ディラム領を助けてからでも応じられると伝えたかったんだが……」
……まあ、大人気ない言い方を選んだせいで台無しになったな。
5歳も年下の婚約者に取った態度を反省している間、レティシアは呆けたように俺を見つめていた。
「……どうしてそこまでして下さるの?」
俺は「さあ?」と肩を竦める。
「どうしてだろうな。貴女はどう思う?」
「からかっていらっしゃるの?」
俺が敢えてまともに取り合う意思が無いことを示すと、レティシアは困り顔で眉尻を下げた。
「婚約者殿曰く、俺は弱っている相手を放っておくことができないらしい。理由はそれじゃないか?」
「助けるのはご自身にとって価値のある相手だけ、ともおっしゃっていたわ。でも……後から作った契約書にしてもそう。どう考えても、あなたの不利益が大きすぎます。矛盾しているわ」
「契約書に自分で目を通したのか?」
「え?ええ」
よしよし、良い傾向だ。思わず笑顔になった俺をレティシアが訝しげに見てきたので、咳払いで誤魔化す。




