黒猫を愛でる少女との邂逅⑥
姓に領地の名を用いるこの国と違い、西国では血脈を名乗る。キスタは「三番目」、ラダは「娘」、イーサルは父親の名前だ。つまり、その名が示すのはイーサルの三番目の娘イサラという意味だ。カンは皇族を指し示す称号であり、イーサルは西国の現皇帝の名である。
西国キプロスの皇女に、俺たちは揃って頭を垂れた。
「これまでの非礼をお許しください。私はライゼル=イース=カークランドと申します」
「わたくしはレティシア=エル=ディラムでございます」
ここまでの経緯を踏まえれば非礼も何もないが、形式上の謝罪は外交上欠かせない。
「無礼を許します。こちらにも非があるのだから、楽にして?」
小芝居じみたやり取りを終え、イサラは微笑み方ひとつでからりと雰囲気を馴染みやすい空気に変えた。
「それはそうと、姓がある以上お二人はこの国で高貴な身分にあるのでしょう?」
この国の平民には姓が無い。それでなくとも専属の馭者が操る馬車に乗り、護衛を付けて移動する俺たちの出自など確認するまでもないことだ。これも形式的な会話であり、否定する理由はない。
首肯した俺たちに、イサラ姫は明るい瞳を輝かせた。
「私、この国に知り合いがいないの。これも何かの縁だと思って、よろしかったらこれからも仲良くしてくださらない?」
俺はそっとレティシアを様子を窺ったが、何事か考えているようにに見えたのも一瞬で、彼女はすぐさま頷いて見せた。状況が許せばこのときレティシアを見る俺の目は半眼になっていたことだろう。
確かに政治的な判断で言えば、隣国の皇女から直々に繋がりを求められて断るなんて悪手に違いない。違いないんだが……何で貴女が即断するかな?
釈然としない気持ちを抱えつつ、俺はイサラに向き合った。
「願ってもないお言葉です。こちらこそ、どうぞよろしくお願い申し上げます」
「ありがとう」
内緒話も頃合いだ。馭者に合図して扉を開けさせ、黒猫を一旦レティシアに預けたイサラに手を貸して馬車から降ろす。
「次にお会いできるのは来年の社交シーズンかしら」
「そうなるでしょう。その時は必ずお声を掛けさせていただきます」
「約束よ」
猫をレティシアの手から受け取ったイサラは、最後に別れの挨拶をして踵を返した。が、そこでふと立ち止まる。
彼女の動きを訝しく思い、そちらへ目を向けた俺はホテルから出てきた人物に気付いてすぐさま後悔した。
この場の誰もが固唾を呑むようにして、濡羽色の美青年がこちらに歩み寄って来るのを見ていた。
「どうも、カークランド伯。奇遇だね」
俺に挨拶をしつつも、エメラルドの瞳が馬車のレティシアを見逃すことはなく、妖しく細められる。
「アルラント子爵殿。先日ぶりです」
友好的な顔を取り繕った俺に、目の前の男が鼻白んだ気配がした。そのままレティシアを一瞥したが、さすがというべきかそこには何の感情も読み取れない。
「レティシア嬢も」
「……ええ、お久しぶりでございます」
俺の知る限り、二人は少なくとも昨夜逢い引きしているはずだったが、他人の目があるからか俺への当てつけもない。
「ところで、そちらの御令嬢は?」
俺は意外な気持ちでクラトを見た。そうか、これが初顔合わせになるのか。てっきり、クラトなら絵姿で知っているのかとばかり。
俺はこの場で最も高貴な人物を優先した。
「イサラ様、彼はクラト=スレニル=ディファ=アルラント子爵です」
イサラの名を聞いても、クラトはまったくの無表情だった。だからこそ、彼の内心が穏やかではないことが察せられた。ここを完璧に取り繕えたなら、クラトはさりげなく驚いてみせただろう。
一方イサラに驚いた様子はない。彼女は俺に黒猫を預けると、見惚れるほど美しいカーテーシーを披露した。
「初めまして、アルラント子爵殿。わたくしはイサラ・キスタ・ラダ・カン・イーサル」
粗略な服装ながら、その気品は紛れもなく高貴な育ちを覗わせた。またその微笑みも、見た目の幼さに反してどこか侮りがたい。
彼女は姿勢を正すと、堂々とクラトの目を見て片手の甲を差し出した。儀礼に則ってその手に口付ける以外に、クラトに選択肢はない。
「これから末永くよろしくお願いいたしますわ――未来の旦那様」
主要人物が全員出揃ったところで前編終了です。
ちょうどストックも切れましたので一旦お休みしまして、後編を書き上げたら投稿再開します。
次話は登場人物紹介(主に忘れっぽい作者のため)になります。




