黒猫を愛でる少女との邂逅③
俺たちは散策がてら猫を探した。だが、当然だがそう簡単に見つかるものでもない。
「そう言えば貴女は、動物は好きか?」
歩き通しではレティシアが疲れてしまうため時折挟む休息中、ふとレティシアに問いかける。
「あんまり大きな動物は少し怖い気もするけれど……小さな動物は可愛くて好きです。弟がアレルギーでなければ猫を飼ってみたかったわ」
「俺も動物は好きだよ。領邸で犬を飼っている。そこそこ大きいから、貴女は怖がりそうだな」
「気性の穏やかな動物なら平気よ」
「じゃあきっと大丈夫だ。足を怪我してるが、勇敢で賢い犬だから」
もともと牧羊犬だったが、野生の狼から羊を守ろうとして怪我を負ってしまったのを引き取ったのだ。足を引きずって歩いているがたいへんに賢い犬で、邸の敷地内に見知らぬ人間が入り込めば吠えて知らせてくれる。
レティシアは瞳を煌めかせた。
「その犬を引き取ったのは貴方でしょう?」
「そうだ」
「ふふ……やっぱり。わたくし、ライゼル様のことがわかってきたわ」
いたずらっぽく微笑むレティシアはどこか蠱惑的で、目を奪われる。ゆっくりと瞬きして雑念をそっと散らすと、気を取り直して聞き返した。
「犬を引き取っただけだろ?」
「そうだけれど、違うわ。……貴方は、弱っていたり、傷付いている相手を助けずにはいられないんでしょう?」
少し離れたところで護衛に立っているダンが、物言いたげにこちらに目を向けたのが分かった。俺が片眉を上げて見返すと、ダンは直ちに目を逸らし、あからさまに辺りを警戒する素振りをみせる。かえって浮いてるから、下手に誤魔化そうとするのはやめていただけるだろうか。
挙動不審なダンのことは諦め、俺はレティシアに肩を竦めて見せる。
「結果的にそうなっただけだ。俺が助けるのは、俺にとって価値のある相手だけだからな」
「それでも、思い遣りがなかったらできないことだわ」
「そんなもの、大抵の人間は多かれ少なかれ持ってるだろ」
よほど精神的に追い詰められていなければ――という呟きは、心の中に留めた。
人間は、心の中に天秤を持っているのだ、というのが俺の考えである。例えば対人関係一つとっても、相手への接し方は平等ではない。
血縁者か、赤の他人か。
相手のことが好きか、嫌いか。
自分にとって損か、得か。
それ以外にも様々な物差しでいくつもの天秤が絶えず揺れ動き、その時々の感情や価値観で言動は変化するのである。
レティシアの言い方だとまるで俺がお人好しのようだが、現実は違う。人間の心の複雑さを考えれば、純然たる善意などというものが存在しないことは自明の理だ。事実、俺の「人助け」はほとんど必ずと言っていいほど利益を生んでいる。
俺はたぶん捻くれているんだろうが、何のことはない。俺は善意の裏にある感情を自覚しているだけだ。
けれど、いくら偽善的であっても、他者の窮地に同情したり、悲しみに寄り添ったりする情緒は、何も俺だけが特別に持つ感情ではない。
「そうね」
レティシアが何でもないことのように首肯するので、俺は些か拍子抜けして彼女の顔を見た。レティシアもまた、俺の顔を見上げている。
「でも、誰しもライゼル様みたいなことができるわけじゃないのよ。親切心を持っていても、助けを求められていることに気付けない人だっているし、広い視野があっても、見て見ぬふりをする人だっている。
貴方は根が心優しいだけでなく、実際的な行動にまで移せる人。『助けずにはいられない』って、そういう意味で言ったの」
ダンは護衛の任を半ば放棄して頑なにこちらを見ない。かく言う俺も、レティシアの瞳を直視できなくなって視線を彷徨かせた。
普段の俺なら「随分買い被られたもんだ」とか何とか戯けた態度で流すところであるのだが、レティシアがあたかも眩しいものでも見るかのように、俺に向ける目を細めるものだから――。
有り体に言えば、今もの凄く照れ臭い。彼女と目も合わせられないほどとは、我ながら重症じゃないだろうか。
「あ」
こそばゆい感覚に密かに悶絶していたところ、あらぬ方向に視線を投げていたダンが急に間の抜けた声を出した。
「どうした?」
これ幸いとそちらに意識を向ける。ダンが路地裏に続く一角を指差した。
「もしかして、探している猫はあれ……ですか?」
及第点。
いやそんなことより、とダンが指した方に目を向ける。しかし遅かったようで、俺に見えたのは小さな黒い影が路地裏にさっと姿を消すところだった。
「リボンは付いていたか?」
「遠目だったから定かじゃ……ないですが、首に赤い物が見えたような気がします」
俺はちょっと考え込んだ。王都周辺の土地にはありがちなことだが、大通りの賑わいを外れると、途端に治安が悪くなる地域もある。まさかレティシアを連れて追いかけるわけにはいかないし、かと言ってここでダンをつけて待たせておくのは婚約者として無責任だ。どのみちあまり深追いはできない。
「ひとまず近くまで寄ってみるか。餌でおびき寄せられそうだったら……」
その時、俺はある少女の姿が視界に入って言葉を途切れさせた。シンプルな若草色のワンピースの上から濃いグレーのコートを羽織り、フードを目深に被っている。その隙間から、三つ編みにした黒髪が前に垂らされていた。




