黒猫を愛でる少女との邂逅
そんなこんなで、道中レティシアに精神をガリガリ削られつつも、馬車は予定通り最初の滞在地、カロルへとたどり着いた。
カロルは宿場町である。王都の周辺はこうした宿場町が多く、貴族向けの宿泊先も充実しているので、今のような閑散期なら目当ての宿に泊まれないなんてことは滅多にない。
いつもはな。
「申し訳ございません。本日は一等客室、二等客室ともに満室でございます」
カウンターへ向かっていた侍従がなぜか支配人を連れて戻ってきたので何かあるとは思ったが、これは想定していなかった事態である。
「三等以下は相部屋しかなかったはずだな?」
「左様でございます」
毎年、社交界シーズンのたびにこのホテルを利用しているが、貴族向けの客室に空きがないなど初めてのことだ。顔見知りの支配人と話しながら頭を悩ませる。
俺は雑魚寝でもいいんだが、問題はレティシアだ。さすがに貴族のご令嬢様を使用人と同室にするわけにはいかないし、俺と同室なんてもっての外だ。特にこういった貴族もよく利用する宿場町で、女性の外聞が悪くなるような軽率な行動は控えたい。
今更と思うかもしれないが、実はクラトの立ち回りが上手すぎて、レティシアの不貞行為は社交界に全く露呈していないのだ。彼女は世間的にはまだ外聞を保っているわけで、俺もそれを守るつもりがある。
にしても、この時期にまさかこうも混んでいるとは思わなかった。
主要な議会が終わったとはいえ、社交界シーズンはまだ二月ほど続く。俺は状勢が安定しない国境付近をなるべく留守にしないよう、例年これくらいの時期に王都を辞すことが許されている。他の貴族の移動と被らないこの時期、宿を取るのにここまで難儀するのは初めてだ。
「今日はまた随分と盛況みたいだな。大きな行商でも来ているのか?」
「いえ、その……」
支配人が口ごもるので、俺は手で制した。
「いや、いい。詮索するつもりはない」
「……お気遣い、痛み入ります」
恐縮しつつも、どこかほっとした雰囲気の支配人に笑いかける。
「今日は別に宿を取るが、次回来た時にはまた贔屓にさせてくれ。
今までは使い慣れていたからと毎年ここを利用していたが、客のことを簡単に漏らさない信用できる宿だとわかったから、今後も安心して泊まれるよ」
すると支配人は、申し訳なさそうな顔を崩して目を瞬いた。そして、次の瞬間にはうっすらと喜色の滲む微笑みを浮かべる。
「勿体ないお言葉でございます、カークランド辺境伯爵様。またのお越しをお待ち申し上げております」
宿を出て、待たせていた馬車に戻りながら侍従のキースとこの後の算段を立てる。
とりあえず、今のホテルで他の信用できそうな宿を紹介してもらったので、そちらを何か所かあたることにした。しかし、宿探しにレティシアを付き合わせるわけにもいかないので、ここで二手に分かれることにする。
俺はレティシアを連れ、市街地で時間をつぶすことにした。ダンにもついて来てもらうか。
「宿探しはキースに任せるが、良いか?」
「お任せください。しかし、連絡はどういたしますか?」
「確か、噴水のある広場があったな。日没にそこで合流するか」
「かしこまりました」
そんな話をしていると、真横から黒い塊が飛び出してきた。
「だめっ、駄目よ戻ってきて!」
「姫様!なりません!」
何ごとかと視線を巡らせると、琥珀色の目をした黒猫だった。首に赤いリボンがかけられている。振り返ってこちらを見るその猫と何となく見つめ合うと、そいつはにゃーと呑気に一つ鳴き、こちらにしっぽを向けてとことこ駆けていった。
「待って……!」
続いて、再び目の前を影が横切る。まだ少女といっても差し支えのなさそうな、小柄な体ではあるが今度は人間だ。
と、彼女は何かに足を取られたのか、俺の前でバランスを崩した。
「きゃあ!?」
「……っぶな」
咄嗟に腕を出し、抱き留めるようにして背中を支える。
「大丈夫ですか、御令嬢? ご自分で立てそうでしたら、手を離しても?」
「っあ、ごめんなさい!」
助けるためとはいえ、婚約者でもない女性と抱き合っているような状況は宜しくない。驚いて固まっていた少女も、この状況を理解したのか慌てて体を起こす。
その時、彼女の髪から変わった香りがした。この国でよく使われる、薔薇やユリの香水とは違う。かと言って、庶民に流通するラベンダーやカモミールのポプリでもない。これは確か――。
彼女が体勢を立て直すのを待って、俺はゆっくり手を離した。お互いに一歩ずつ離れると、小柄な少女の顔がよく見えるようになる。
髪色は漆黒で、ともすれば陰気臭い印象を与えそうな色合いだが、目がぱっちりしていて瞳の色も明るいからか、彼女の顔を見て思い浮かべたのは蒲公英の花だった。
そして顔立ちは異国の血が濃いように見える。西国の出身だろうか?彼女から立ち昇った香りも、名前はわからないが以前行商人が西国のものだと言って持ってきたものに似ている気がする。




