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未来の岳父(仮)が外堀を埋めてくる

岳父…妻の父。しゅうと。

覚えたての言葉を使ってみたかっただけです。

 数日後、契約書の件でディラム伯が俺の邸を訪れた。

 対外的には、求婚者の俺がレティシアに会う名目で足を運ぶほうが自然だと思うのだが、これには理由がある。


「我が邸は、残念ながら信頼できる者ばかりではないのでね」


 ――とのことだ。伯も、自身の邸にクラトの息がかかった使用人がいることには気付いていたらしい。


「メイドとフットマンには貴殿も気を付けてくれ」


 いつも庭園で給仕をしているメイドはそうだろうと思っていたが、案外入り込まれているようだ。とはいえ下級の職ほど入れ替わりが激しいことを考えると、それも最近なんだろうか。……と思っていたところ「コックはわかった時点でどうにか辞めさせたんだが」と続けられたのでぞっとした。

 貴人の口に入るものを作る料理人は毒を盛ることもできてしまう立場である。自領の信頼できるコックを、わざわざ王都まで連れてくる貴族は多い。今回は王都にレティシアを残すことになってしまったから、余計に使用人たちへ伯の目が行き届かなかったのだろう。

 俺も身辺に気を付けたほうが良さそうだ。


「ご忠告痛み入ります。それで、契約書の方はいかがでしたか?」

「ああ……そうだな。いや正直、初めからおよそ文句の付け所のない内容だった。むしろこちらに有利すぎやしないかね」


 ディラム伯は僅かに顔を顰める。この人もスレニルの血縁だけあって、こういう顔をしても気品がある。

 それはそうと、わざわざこちらの不利を指摘してくれるとは、相変わらず人が好い御仁である。


「実を言うと、それはアルラント子爵に横槍を入れられないようにするためのものでして」

「クラト君に?」

「はい。本来の目的である貴領への支援を、見当違いな理由で邪魔されては堪らないので。

 先日はレティシア嬢が同席していらっしゃったので敢えて言いませんでしたが、あの前日にアルラント子爵にあの契約書を持って交渉しに行ってきました」


 ディラム伯はぎょっとしたように目を見開いた。まあそういう反応になるよな。相手はあのクラトだ。迂闊な真似をすれば、どんな形で足元を掬われることになるやら。

 独断で勝手な真似をして伯には申し訳なく思うが、やはり先手を打っておいてよかったと思う。目的のために手段を選ばない、彼の性格を知った後ではなおさら。


 にしても「クラト君」とは。

 やはり、レティシアたちは家族ぐるみでクラトに良くしていたのだということが、こういうふとした言動に現れる。それなのに、クラトは頑なにレティシアだけに固執している。領地経営の手腕を見る限り、クラトは頭が切れる男であるはずだが、こと人間関係において――特にレティシアが絡むと、異様に視野が狭くなる。

 恋愛感情に振り回されて勝手にそうなっているのではなく、クラト自身が意図的にレティシア以外を視界に入れないようにしているのでは、と思えるほどだ。


「貴殿の判断に文句は言わない。無論、一言相談があればなお良かったが」

「私もそこは迷ったところです。

 しかしアルラント子爵は、夜会の席で私に不貞の現場を見られても動じないどころか、まるで邪魔者を見る目を向けてきました。

 こう言っては不敬かもしれませんが、彼はまともな倫理観の持ち主とは思えません。あまり変に画策して子爵の猜疑心を刺激しない方が良いのではと考えました。

 むしろ不意を突く形で先手を打った方が、こちらの要求が通りやすいのでは、と」


 実際それは(おおむ)ね成功した。


「よくそこまで的確に彼のことを理解できるものだ」

「いえ、理解はできませんね」


 したくもないしな。

 ただ、俺はクラトによく似た思考回路に思い当たることがあった。夢を通して知った、「ヤンデレ」なる性格に酷似しているのである。


 俺が考察した限り、「ヤンデレ」は特定の個人に対して心身共に異常なまでに執着し、相手からも依存されることを望む、サイコパスだ。サイコパスとは自尊心は強いが他人への思いやりがなく、罪悪感や責任感を持たない、良心が欠如した自己中心的な人格とされる、らしい(俺は精神科医のような専門的な知識はないので、多少認識に差異があるかもしれないが、そこは大目に見てほしい)。

 そして「ヤンデレ」の多くは幼少期の家庭環境などの問題によりトラウマを植え付けられ、それをカウンセリングしてくれた異性に傾倒する特徴がある。


 要するに、専門の治療を必要とする(たぐ)いの精神疾患である。


 異世界では、この「ヤンデレ」なる反社会的人格が向ける粘着質な異常行動を受け容れる主人公を題材にした恋愛小説があり、俺は大変理解に苦しんだ。なかには人権を踏みにじられたり、命を奪われたりする結末もあるにも関わらず、だ。

 しかし、そういう行きすぎた行為を「愛情が重いだけなのだ」と好意的に受け止めて憧れを持つ人間もいるのである。……どう考えてもそこまでするのは、無償の愛情を注いでいるのではなく、相手のことよりも自己愛を優先させた結果であるように思うのだが。


 だってどいつもこいつも「お前は俺のことだけ考えていればいいんだ」だの、「あんたを閉じ込めて一生誰の目にも触れさせたくない」だの、「君が心変わりするくらいならいっそ僕がこの手で……」だの、やりたい放題ではないか。

 しかもそれを「愛しているから」という言葉ですべて正当化しているのだからタチが悪い。


 ちなみに、俺の知る「ヤンデレ」の台詞が男目線なのは、異世界での記憶が女性のものだからである。つまり、その女性は「ヤンデレ」が出てくる物語を好んで読み、あの犯罪者予備軍どもに憧れを抱いていた可能性が……。

 ゾッとしない話である。切実に常識を取り戻してほしい。

 俺があの女性を前世だと思えないのは、この辺りの感覚の隔たりも起因しているのかもしれない。


 俺は夢のなかで何度ツッコミを入れたことか。

 念のため申告しておくが、俺が生きる世界にも、異世界ほど洗練されたものではないが法律はある。その上で言わせていただこう。


 言っとくけどそれ、人権侵害だから。刑法違反は元より、憲法違反だからな?


 しかし、レティシアもそういった趣味嗜好の持ち主ならば、彼女は俺に見向きもしないはずだ。

 間違いなく俺は彼女に、クラトと同じ熱量では執着できないだろうから。



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