第2話 ベッドの上で
見慣れない天井。視界に広がるのは、無機質な白い壁と、簡素な白いベッドの天蓋だった。
一瞬、思考が停止した。さっきまで……戦場で、味方の老神官と若い神官の魔法を受け、意識が暗闇に消えていくのを感じていたはずなのに。
「……ここは?」
起き上がり、周囲を見渡す。広い部屋には、同じような白いベッドが並び、その多くに負傷した兵士たちが横たわっていた。
だが、その兵士たちは──角を生やし、肌に淡い鱗や模様を持つ者、瞳が猫のように細い者──明らかに人間ではなかった。
魔族だ。
至る所に魔族の兵士の姿が見える。彼らは皆、大貴の方に視線を向けていた。敵意はない。むしろ、好奇と、ある種の心配のような色を浮かべている。
「なっ……!」
咄嗟に腰に手をやる。ない。愛用の剣、いや、騎士団の倉庫から拝借した古い剣も鎧も、革の鎧下もない。代わりに着ているのは、ゆったりとした粗末な病衣だけだった。
(剣さえあれば……)
焦燥が胸を締め付ける。
元の世界では、新選組オタクとして史料を読み漁り、独学で天然理心流の型を研究し、高校総体の剣道個人戦を三年連続で制した。それが、冴島大貴という男の、唯一の、そして最大の誇りだった。
高校生活で友達はいなくて、昼飯はいつも一人でトイレの個室で食べていたけど、竹刀を握り、面を付ければ、誰にも負けない自信があった。
その技術と知識が、この異世界で「勇者のおまけ」として召喚された後、わずかながらも生き延びる支えとなっていた。
その支えが、今、ない。
「落ち着け、勇者。」
低く、重々しい声が背後から響いた。同時に、部屋の空気そのものが濃縮されたような、圧倒的な「存在感」が背中に迫る。
兵士達が礼を尽くす
俺は、ぎくりと振り向く。
そこには、赤く燃えるような長髪を背中になびかせ、漆黒の金属が不気味な輝きを放つ重厚な鎧をまとった獅子の巨漢が立っていた。
その姿は、ただそこにいるだけで周囲の光を吸い込むかのようだ。男の深紅の瞳が、大貴を捉えた。
瞬間、全身の血が凍り付く。金縛りにあったように、指一本動かせない。
しかし、男は敵意を振りまくことはなかった。ゆっくりと歩み寄り、その巨体をかがめると、驚くほど繊細な動作で俺の肩に手を置き、無理のないようにベッドの縁に座らせた。
「我が名はヴァラク・レオーネ。魔王軍魔将の一人にして、この度の戦闘における責任者だ。」
男──ヴァラクは、落ち着いた口調で語り始めた。
「お前は三日前、ルーラン聖皇国軍と我が軍の戦場の狭間で、瀕死の状態で発見された。お前を攻撃したのは、聖皇国側の神官達の魔法だ。味方にすら見捨てられ、放置されるお前を、我が軍の斥候が発見し、ここに運んだ。」
「……向こうではどういうことになっているんですか?」
「ああ。ルーラン聖皇国の記録には、お前は『戦死』として処理されている。『勇者おまけ』とはいえ、異世界人の突然の死は士気に関わる。都合の悪い真実は、速やかに葬り去られるのが常だ。」
ヴァラクの言葉は、淡々としていたが、その内容は俺の胸に冷たい釘を打ち込んだ。召喚され、大義名分を押し付けられ、戦場に放り込まれ……そして、最後には見捨てられ、死亡扱い?
「では、なぜ……俺を?」
「なぜ助けたか、か。」
ヴァラクの赤い瞳が細くなった。
「それは、我が主君、魔王陛下のご意思だ。陛下は、お前という『異世界人』に興味を持たれた。単なる力づくの道具としてではなく、一人の『戦士』として、その価値を見出されたようだ。陛下はこう仰られた。『あの男には、まだ戦う理由が与えられていないだけだ』と。」
ヴァラクは立ち上がり、窓の外──魔族の城塞がそびえ、異形ながらも整然と生活する兵士やその家族たちの営みが見える景色を一瞥した。
「ここで傷が癒えるまで、静養するがいい。守るべきものも、帰る場所も失ったお前に、今、迫る義務はない。ただし──」
彼は振り返り、再び俺を見下ろした。その目には、戦士としての厳しさと、どこか不思議な期待のようなものが宿っていた。
「剣を握りたいのであれば、いつでも言え。装備は提供する。我が軍にも、剣技を尊ぶ兵士は多い。異世界人が、どこまで魔王軍の戦士に食らいつけるか……見物ではある。」
ヴァラクが去った後、部屋は再び静かになった。魔族の傷病兵たちの呻き声、介護する者たちのささやき。
俺はベッドの上で、こぶしを握りしめた。空白だった心に、小さな、しかし確かな火花が灯った。
守るべきものも、帰る場所もない。だが、復讐する…それだけは心に残っている。
ならば……ここで、もう一度、剣を握る理由を、探してみてもいいのかもしれない。
見慣れない天井の下で、異世界人であり、元剣術オタクである男は、ほんの少し、背筋を伸ばした。




