第XX回『北欧本部の設立について』―オリュンポス本部―
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
議題:北欧本部の設立について
開催場所:オリュンポス本部
司会:テミス
書記:ムネモシュネ
参集メンバー
ゼウス、ヘルメス、アテナ、アレス
オーディーン、トール、ロキ、テュール、フレイヤ、ブラギ
日本支部招待者
アマテラス、スサノオ、オモイカネ、ミチザネ
提案者:オーディーン
提案内容
北欧神界においても、神々や人間から寄せられる問題を協議するため、神話系ミーティングを開催する。
これに伴い、アースガルズに北欧本部を設立する。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
コン、コン。
――木槌が二度、打ち鳴らされた――
テミス:「それでは、第XX回神話系ミーティングを開会します。本日の議題は、北欧神界における会議組織の設立についてです」
今回の会議には、北欧神話を代表する神々が招かれていた。
中央に座るのは、隻眼の最高神オーディーン。
知識を得るために片目を捧げたとされる、知恵と戦争、魔術を司る神である。
その隣には、赤い髪と髭を持ち、雷神の槌ミョルニルを携えたトール。
片手を失いながらも堂々とした姿勢を崩さない法と戦の神テュール、華やかな装いの女神フレイヤ、吟遊詩人の神ブラギ。
そして、何かが起きることを期待するように、意味ありげな笑みを浮かべたロキが並んでいた。
オリュンポス側には、ゼウス、ヘルメス、アテナ、アレスが出席。
すでに会議組織を設立した先例として、日本支部からもアマテラス、スサノオ、オモイカネ、ミチザネが招かれている。
テミス:「それでは、提案者であるオーディーン様から説明をお願いします」
オーディーンは、ゆっくりと立ち上がった。
オーディーン:「北欧でも、神々による会議を開くことに決めた」
その手にあるグングニルの石突きが、静かに床を打つ。
オーディーン:「九界にまたがる問題、人間から寄せられる祈り、巨人族との交渉、ヴァルキリーの活動、そしてラグナロクへの備え。我らにも話し合うべき議題は多い」
テミス:「会議組織の設立については、オリュンポス本部としても歓迎します」
オーディーン:「故に、アースガルズに北欧神界にまつわることを議論する場として北欧本部を設立することとする」
会議室が静まり返った。
ムネモシュネの羽ペンが止まる。
ゼウスが、ゆっくりと顔を上げた。
ゼウス:「……今、本部と言ったのか?」
オーディーン:「言ったが?」
ゼウス:「支部ではなく?」
オーディーン:「本部だ」
ゼウス:「ここが本部なのだが?」
オーディーン:「ここは、オリュンポスの本部であろう。我らが設立するのは、北欧神界の本部だ」
ゼウス:「神話系ミーティングの本部は、ここ一つでよい」
オーディーン:「誰が決めた?」
ゼウス:「ワシだ」
オーディーン:「ならば、貴様が勝手に決めただけではないか」
ゼウス:「何じゃと?」
オーディーン:「何度でも言おう。北欧本部だ」
激しく視線をぶつけ合う二柱の神々。
ゼウスの周囲でバチバチと電気がはじける音が響く。
対するオーディーンの背後では、二羽のワタリガラス、フギンとムニンが翼を広げた。
トールがミョルニルを握り、アレスも反射的に槍へ手を伸ばす。
テュールは、両陣営の間合いを測るように視線を動かした。
ロキ:「いいね。会議組織を設立するための会議で、早速、神界大戦が始まりそうだ」
テミス:「本部と支部の呼称だけで、戦争を始めないでください!」
カン! カン! カン!
――木槌が三度、強く打ち鳴らされた――
◇そもそも名称がフワッとしていないか
オーディーン:「呼称を議論するのであれば、その前に確認しておきたいことがある」
テミス:「何でしょう」
オーディーン:「そもそも、『神話系ミーティング』という名称は、少しフワッとしていないか?」
会議室が再び静かになった。
トール:「名前だけでは、何をする集まりなのか分からん」
テュール:「神々による統治機関なのか、人間からの相談を処理する機関なのか、神界間の問題を調整する機関なのか。管轄も権限も曖昧だ」
ブラギ:「北欧側では、正式名称として『九界神権調整評議会』を提案したい」
アレス:「格好いい!」
アテナ:「醜い権力争いが行われそうだが」
ロキ:「『全神界最高意思決定機関』というのはどうだい?」
テミス:「勝手に全神界の最高を名乗らないでください」
オーディーン:「では、なぜこのような曖昧な名称にした?」
テミスは一度、深く息を吐いた。
テミス:「各方面への配慮です」
オーディーン:「配慮?」
テミス:「まず、『神々の会議』と名乗れば、悪魔、精霊、妖怪、ニンフ、サテュロス、吸血鬼などから、自分たちは参加対象ではないのかという問い合わせが来ます」
ヘルメス:「実際、参加することもあるからね」
テミス:「『世界神話会議』と名乗れば、現存する宗教から、我々を神話として扱うのかという抗議が来る可能性があります」
アマテラス:「日本の場合、神道だけでなく、仏教をはじめとする多様な宗教や思想とも関わりますからね」
テミス:「『宗教会議』では、信仰や教義を統一する組織だと誤解されます」
テュール:「では、『超自然存在会議』は?」
テミス:「オカルト研究に属するものと誤解されます」
トール:「『世界秩序維持機構』」
テミス:「軍事組織と誤解されます」
ロキ:「『神々とその他の会議』」
テミス:「『その他』に分類された全方面から苦情が来ます」
ムネモシュネは、発足当時の記録を机へ置いた。
そこには、数多くの名称案と、それぞれの名称から予想される抗議内容が記されていた。
オーディーン:「……ここまで検討した結果が、『神話系ミーティング』なのか?」
テミス:「はい」
テミスは、正面から堂々と言い切った。
テミス:「『神話』と言い切らず、『神話系』とすることで、神々に限らず、宗教、伝承、英雄、妖怪、魔物、人間の歴史まで柔軟に扱えます」
オモイカネ:「では、『ミーティング』にも意味があるのですか?」
テミス:「『会議』や『評議会』とすると、正式な統治機関としての権限や責任を問われます」
ロキ:「ミーティングなら?」
テミス:「意見交換の場ということで、多少は逃げ道があります」
再び、沈黙が流れた。
ロキ:「単に曖昧なのではなく、意図的に曖昧にしているということか」
テミス:「組織を存続させるために必要な曖昧さです」
スサノオ:「でも、ここで結構重大なことを決めていないか?」
オモイカネ:「そこには触れない方がよいでしょう」
オーディーン:「誰を参加させても排除にならず、何を議題にしても管轄外にならず、問題が起きても正式な統治機関ではないと言える名称ということか」
テミス:「そのような表現は避けたいですが、概ねそのとおりです」
ロキ:「素晴らしい!実に巧妙だ!」
テミス:「褒めていませんよね?」
オーディーン:「名称の意図は理解した。我々も『神話系ミーティング』の名称を使用しよう」
テミス:「ありがとうございます。では、北欧に設立される組織を――」
オーディーン:「神話系ミーティング・北欧本部とする」
ゼウス:「北欧支部だ!」
オーディーン:「本部だ!」
ゼウス:「支部だ!」
オーディーン:「本部だ!」
再び、雷鳴が会議室を揺らした。
◇日本支部で議論した「あれ」
北欧とオリュンポスの最高神が睨み合う中、日本支部の面々は、静かに顔を見合わせた。
アマテラス:「オモイカネ、何か穏便に決める方法はありませんか?」
オモイカネ:「穏便に、ですか……」
オモイカネは、しばらく考え込んだ。
やがて、何かを思い出したようにミチザネを見る。
オモイカネ:「以前、日本支部で議論した、あれが使えるのでは?」
ミチザネ:「……あれですか」
アマテラス:「あれですか…」
三柱の間に、わずかな沈黙が流れた。
その様子を見ていたテミスが、怪訝そうに尋ねる。
テミス:「何か問題のある方法なのですか?」
オモイカネ:「いえ。方法そのものは、極めて単純かつ公平です」
ミチザネ:「ただし、参加者が規則を正しく理解していれば、ですが」
アマテラス:「それと素直に負けを認めることができることが条件です」
日本支部の三柱は、そろってゼウスとオーディーンを見た。
アマテラス:「……本当に大丈夫でしょうか?」
オモイカネ:「現時点では、これ以上に被害の少ない方法が思いつきません」
アマテラス:「被害が出る前提なのですね」
オモイカネは静かに立ち上がった。
オモイカネ:「日本には、意見が割れた際に用いられる、簡便な決着方法があります」
ゼウス:「ほう?」
オーディーン:「聞こうではないか」
オモイカネ:「ジャンケンです」
会議室が静まり返った。
スサノオが前へ出て、右手を掲げる。
スサノオ:「説明しよう! グーはチョキに勝ち、チョキはパーに勝ち、パーはグーに勝つ! 三すくみだから、どの手が一番強いということもない!」
アテナ:「三者が互いに優位と劣位を持つことで、絶対的な選択肢を排除しているのか」
テュール:「単純だが、公平な仕組みだ」
アマテラス:「ゼウス様とオーディーン様がジャンケンで勝負し、勝った側が本部を名乗るというのはいかがでしょう」
ゼウス:「よかろう。運もまた、神の王たるものの資質だ」
オーディーン:「ふむ!この私が、三つの選択肢程度、見抜けぬと思うか」
オモイカネ:「では、始める前に詳しい規則を――」
スサノオ:「最初はグー!」
オモイカネ:「待ってください。まだ説明が――」
スサノオ:「ジャンケン――ポン!」
ゼウスが出したのは、固く握られた拳。
グー。
オーディーンが出したのは、人差し指と中指を開いた手。
チョキ。
ゼウスの勝利である。
しかし――。
ゼウス:「ワシの勝ちだぁ!」
ゼウスは、そのままグーでオーディーンを殴りにかかった。
オーディーン:「甘い!」
対するオーディーンも、二本の指をゼウスの両目へ突き出した。
二柱の攻撃が交差する寸前――。
カァン!
――木槌が、会議室全体を揺らすほど強く打ち鳴らされた――
テミス:「止まりなさい!」
ゼウスとオーディーンの動きが止まる。
テミス:「ジャンケンは、相手を直接攻撃する競技ではありません!」
ゼウス:「だが、グーは拳だぞ?」
オーディーン:「チョキも、使い方次第では十分な武器になる」
テミス:「手の形で勝敗を示すだけです!」
アレス:「実際に拳を使ってはいけないのか?」
テミス:「いけません!」
トール:「目つぶしもか?」
テミス:「当然です!」
ロキ:「では、パーで平手打ちをするのは?」
テミス:「全部禁止です!」
オモイカネは、深く息を吐いた。
オモイカネ:「……やはり、先に規則を説明する必要がありましたね」
ミチザネ:「日本支部で議論した際にも、同じ結論に至ったはずですが」
スサノオ:「でも、普通は殴りかからないぞ」
アマテラス:「普通ではない方々の勝負ですからね」
◇ジャンケン諸説の説明
オモイカネ:「皆様。改めて説明します」
オモイカネは、白板に三つの手を描いた。
グー、チョキ、パー。
オモイカネ:「ジャンケンは、実際の武器や権能の強さを競うものではありません。三種類の手を、勝敗を示す記号として使用します」
アレス:「それでも、なぜグーがチョキに勝つ?」
スサノオ:「拳でハサミを壊すからだ」
アレス:「俺の剣なら、その拳ごと斬れる」
テミス:「チョキは剣ではありません」
アレス:「刃物ではあるだろう」
トール:「そもそも、俺の拳なら紙など簡単に突き破れるぞ」
ムネモシュネ:「一般的な人間でも、紙を破ることは可能です」
オーディーン:「ならば、なぜパーがグーに勝つ?」
オモイカネ:「紙が石を包むからという説が一般的です」
ゼウス:「包んだだけではないか。石は無傷だぞ」
アテナ:「勝利条件は破壊だけではなく、拘束や封印も勝利と考えられるということか」
テミス:「あるいは、パーを書面や法、グーを武力と考えることもできます。法によって武力の行使を禁じれば、パーの勝利です」
テュール:「法が武力を制する。なるほど」
トール:「ミョルニルは、グー、チョキ、パーのどれに属する?」
アレス:「剣も追加するべきだ」
ロキ:「炎も追加しよう。紙に勝てる」
スサノオ:「それでは三すくみではなくなる!」
神々の間から、次々に独自の手が提案された。
剣、槍、盾、炎、雷、海、魔法、ミョルニル、グングニル。
白板の相関図は、瞬く間に複雑さを増していった。
ミチザネ:「オモイカネ様」
オモイカネ:「何でしょう」
ミチザネ:「この方々に、ジャンケンは早すぎたのでは?」
オモイカネ:「……否定できません」
カン! カン! カン!
――木槌が三度、強く打ち鳴らされた――
テミス:「神器の相性を決める会議ではありません!」
オモイカネ:「何が何に勝つかは、絶対的な自然法則ではありません。参加者が事前に規則を共有し、その規則へ従うことが重要なのです」
ミチザネ:「日本には、石、ハサミ、紙を用いる現在の形式以外にも、虫拳や狐拳など、異なる三すくみが存在します」
テュール:「戦う前に共通の規則を定め、その範囲で勝敗を決める。決闘よりは理性的だ」
アマテラス:「どの手が最も強いかを決めるものではありません。強者も弱者も、同じ条件で争いを収めるための知恵なのです」
オーディーン:「理解した」
ゼウス:「私も異論はない」
◇運命の女神への問い合わせ
オモイカネ:「以上が、ジャンケンの基本的な考え方です。ほかに確認したい点はありますか?」
ゼウスとオーディーンは、互いを警戒しながら黙っていた。
しかし、その視線は、ほぼ同時に別の方向へ動いた。
ゼウス:「ムネモシュネ。モイライを呼べ」
オーディーン:「ブラギ。ノルンたちを連れてこい」
二柱の声が重なった。
会議室が静まり返る。
テミス:「……何のためにですか?」
ゼウス:「何のためとは?」
テミス:「モイライは、人間と神々の運命を司る三柱です」
続いて、オーディーンへ視線を向ける。
テミス:「ノルンもまた、世界樹の根元で過去、現在、未来を見定める存在でしょう」
オーディーン:「今回の勝負が、北欧の未来を左右する可能性がある。運命を確認しておくのは当然だ」
ゼウス:「私も同じ考えだ。本部の未来を決める以上、モイライの意見を聞く必要がある」
アテナ:「意見ではなく、勝敗を聞くつもりでは?」
ゼウス:「勝敗だけとは限らん」
ヘルメス:「どの手を出せば勝てるかも聞くつもりだね」
ゼウス:「助言を求めることの何が悪い?」
オーディーン:「知恵と情報を利用するのも、勝負の一部だ」
オモイカネ:「ジャンケンで未来を確認してはいけません」
ゼウス:「規則には書かれていないぞ」
ロキ:「確かに、まだ書かれていない」
テミス:「今から書きます」
ゼウス:「待て。モイライに勝敗を聞くのではない。私が勝つ運命であることを確認するだけだ」
テミス:「同じです」
オーディーン:「ノルンたちが自発的に未来を語った場合は?」
テミス:「聞かないでください」
オーディーン:「すでに知っている場合は?」
テミス:「忘れてください」
オーディーン:「無理を言うな」
ロキ:「では、俺が未来を聞いて、それとなくオーディーンへ伝えるのは?」
テミス:「第三者を経由しても禁止です」
フギンとムニンが、オーディーンの肩で小さく鳴いた。
テミス:「使い魔からの助言も禁止します」
オーディーン:「まだ何も言っていない」
テミス:「言われる前に禁止します」
アマテラス:「日本支部からも、八咫鏡などによる勝敗の確認は行いません」
スサノオ:「まだ誰も姉貴には頼んでないぞ」
アマテラス:「先に明言しておいた方がよいでしょう。この会議を見ていると、後から必ず増えますから」
ミチザネ:「規則が、勝負を始める前から増え続けています」
オモイカネ:「規則とは、過去に誰かが実際に行った行為の記録でもあります」
テミス:「今回は、行われる直前に防げただけ良しとしましょう」
アテナ:「ジャンケン一つに、全力投入が過ぎる」
ロキ:「最高神同士の争い、運命の女神を三柱ずつとは。随分と豪華なジャンケンだ」
テミス:「豪華にする必要はありません」
◇ジャンケン競技規則の制定
テミス:「このまま勝負を始めれば、また新たな解釈が生まれます」
オモイカネ:「同感です。一度、規則を明文化しましょう」
ミチザネが、会議室の隅に置かれていた大きなホワイトボードを運んできた。
その中央に、整った文字で題名を書く。
『最高神ジャンケン決戦・競技規則』
ゼウス:「ジャンケンに、そこまで大げさな規則が必要なのか?」
オーディーン:「単純な三すくみではなかったのか?」
テミス:「あなた方が、単純なまま終わらせなかったのです」
両最高神は黙った。
オモイカネ:「まず、勝負の基本から確認します」
ミチザネが、一つ目の規則を書き込む。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第一条 使用できる手は、グー、チョキ、パーの三種類のみとする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
トール:「ミョルニルは?」
ミチザネ:「使用できません」
アレス:「剣は?」
ミチザネ:「使用できません」
ロキ:「炎は?」
ミチザネ:「手ですらありません」
ヘルメス:「指を三本立てた場合は?」
オモイカネ:「三種類のいずれにも該当しないため、無効とします」
ミチザネが追記する。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第二条 三種類のいずれにも判別できない手は無効とする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
オーディーン:「指が完全に開いていないパーは?」
オモイカネ:「審判がパーと判断できれば有効です」
ゼウス:「グーからパーへ開きかけている途中の手は?」
オモイカネ:「後出しの疑いがあるため、無効とします」
オーディーン:「……」
オーディーンの片目が、わずかに細められた。
ムネモシュネ:「今の沈黙には、何らかの意図があるように記録しておきます」
オーディーン:「深い意味はない」
ミチザネは、さらに規則を書き加えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第三条 掛け声の『ポン』に合わせ、手の形を確定させる。
第四条 手を出した後、その形を変更してはならない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
オーディーン:「勝負の途中で、より適切な手へ移行することも禁止か?」
テミス:「後出しを言い換えないでください」
ミチザネは、第四条の下へ二重線を引いた。
オモイカネ:「手は、勝敗を示す記号としてのみ使用します」
ミチザネ:「先ほどの件ですね」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第五条 ジャンケンの手を用いた殴打、目つぶし、平手打ち、拘束、威嚇その他一切の直接攻撃を禁止する。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ゼウス:「私だけを想定した規則ではないか?」
オーディーン:「目つぶしも書かれている。公平だ」
ゼウス:「お前が言うな」
アレス:「では、チョキで相手の鼻を挟むのは?」
テミス:「直接攻撃に含まれます」
トール:「パーで相手の視界を塞ぐのは?」
テミス:「妨害行為として禁止します」
ロキ:「グーを相手の顔の直前で止め、怯ませるだけなら?」
テミス:「威嚇として、すでに禁止されています!」
オモイカネ:「続いて、神力や神器の使用についてです」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第六条 雷霆、グングニル、ミョルニルその他の神器を使用してはならない。
第七条 雷、魔法、ルーン、変身、幻術その他の神力を使用してはならない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ロキ:「“その他”とは、随分と便利な言葉だな」
テミス:「あなたの抜け道を塞ぐためです」
ロキ:「まだ何もしていないのに」
アテナ:「何かする予定はあったんだな」
ロキは答えなかった。
オモイカネ:「続いて、未来に関する情報の取得を禁止します」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第八条 未来視、予言、神託その他の方法により、相手の手または勝敗を事前に確認してはならない。
第九条 モイライ、ノルンその他の運命を司る存在へ、勝敗を問い合わせてはならない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ゼウス:「なぜ、モイライだけ名指しなのだ?」
オーディーン:「ノルンも名指しされている」
テミス:「実際に呼ぼうとしたからです」
ゼウス:「助言を求めようとしただけだ」
オーディーン:「将来予測のための事前調査だ」
テミス:「それを禁止しています」
フギンとムニンが、オーディーンの肩で鳴いた。
ミチザネは、二羽を見て、もう一行を書き加える。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第十条 使い魔、眷属、部下、家族、第三者から助言を受けてはならない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ロキ:「私が独り言として正解を呟き、それを偶然オーディーンが聞いた場合は?」
オモイカネ:「助言とみなします」
ロキ:「身振りだけで伝えた場合は?」
オモイカネ:「助言とみなします」
ロキ:「咳の回数で――」
テミス:「助言とみなします!」
ミチザネは、第十条の末尾へ追記した。
音声、文字、身振り、視線、鳴き声その他の伝達手段を含む。
ヘルメス:「随分と完成度が上がってきたね」
アテナ:「主に、想定される不正行為が増えた結果ですが」
オモイカネ:「次に、勝負形式です。一度勝負では、偶然だったとの異議が出る可能性があります」
ゼウス:「私は、そのようなことは言わぬ」
オーディーン:「私もだ」
テミス:「信用できません」
アテナ:「三本先取が妥当でしょう」
テュール:「先に三勝した側を勝者とする。それならば、一度の偶然とも言いにくい」
ミチザネが、最後の規則を書き込む。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第十一条 勝負は三本先取とし、先に三勝した側を勝者とする。
第十二条 あいこは勝敗に数えず、再勝負を行う。
第十三条 審判の判定を最終決定とする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ゼウス:「審判は誰だ?」
オモイカネ:「どちらの陣営にも属さない、日本支部のアマテラス様にお願いします」
アマテラス:「私ですか?」
スサノオ:「姉貴なら、どちらかに肩入れする理由もないからな」
オーディーン:「異論はない」
ゼウス:「ワシも認めよう」
アマテラス:「では、お引き受けします」
オモイカネ:「立会人は、私とテュール様。記録は、ムネモシュネ様とミチザネ殿が別々に行います」
ムネモシュネ:「判定に疑義が生じた場合は、双方の記録を照合します」
ミチザネ:「記憶の女神と記録を照合することになるとは、書記として緊張しますね」
ムネモシュネ:「事実をそのまま記録すれば問題ありません」
オーディーン:「フギンとムニンも記録係に加えてはどうか?」
テミス:「使い魔は、助言禁止規定により、競技中の発言を認めません」
二羽のワタリガラスは、不満そうに翼を畳んだ。
ミチザネが、ホワイトボードの最下部に大きく書き込む。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
審判:アマテラス
立会人:オモイカネ、テュール
記録係:ムネモシュネ、ミチザネ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
書き終えたミチザネが、一歩下がった。
ホワイトボードは、すでに細かな規則で埋め尽くされていた。
スサノオ:「ジャンケンって、こんなに面倒な遊びだったか?」
オモイカネ:「通常は、ここまで定める必要はありません」
テミス:「普通にジャンケンができない方々が参加するためです」
ゼウス:「少し細かすぎるのではないか?」
オーディーン:「規則で我らを縛ろうとしているように見える」
テミス:「縛らなければ、先ほど殴り合いになりかけました」
アテナ:「加えて、運命の女神を呼ぼうとした」
ムネモシュネ:「オーディーン様からは、手を出した後に形を変更できるかとの質問もありました」
オーディーン:「純粋な確認だ」
ミチザネ:「その確認を受け、第四条が設けられました」
オモイカネは、完成した競技規則を一通り確認した。
オモイカネ:「では、最後に確認します」
ゼウスとオーディーンが、ホワイトボードへ目を向ける。
オモイカネ:「お二方とも、この規則に従い、審判の判定を受け入れると誓いますか?」
ゼウス:「無論だ」
オーディーン:「異論はない」
テミス:「ムネモシュネ。今の発言を明確に記録してください」
ムネモシュネ:「一字一句、記録しました」
テミス:「ミチザネもお願いします」
ミチザネ:「こちらも記録しました」
ゼウス:「そこまで念を押す必要があるのか?」
テミス:「あります」
オーディーン:「随分と信用がないものだ」
テミス:「ここまでの審議を振り返ってから発言してください」
カン!
――木槌が打ち鳴らされた――
テミス:「それでは、競技規則に基づき、最高神ジャンケン決戦を開始します」
◇最高神ジャンケン決戦
会議室の中央で、ゼウスとオーディーンが向かい合う。
アテナはロキの隣へ移動し、その行動を監視していた。
ロキ:「信用がないな」
アテナ:「自覚があるなら、話は早い」
アマテラス:「それでは、三本先取で勝敗を決します」
両最高神が右手を背中へ回した。
第一戦
アマテラス:「最初はグー。ジャンケン――ポン!」
ゼウスはグー。
オーディーンはパー。
アマテラス:「オーディーン様、一勝です」
北欧側から歓声が上がる。
ゼウス:「紙が石を包んだだけだろう!」
テミス:「先ほど同意しました」
ムネモシュネ:「異議一回目と記録します」
ゼウス:「回数を記録するな」
第二戦
ゼウスはチョキ。
オーディーンはパー。
アマテラス:「ゼウス様、一勝です」
アレス:「剣で紙を斬った!」
オモイカネ:「ハサミです」
アレス:「似たようなものだろう」
テミス:「その議論は終わっています」
第三戦
ゼウスはグー。
オーディーンもグー。
あいこ。
続いて、両者ともパー。
再びあいこ。
その次は、両者ともチョキ。
また、あいこ。
七回。
十二回。
二十回。
何度繰り返しても、二柱は同じ手を出し続けた。
アポロン:「互いの思考を読んでいる……」
アテナ:「未来視は禁止です」
オーディーン:「使っておらぬ」
ゼウス:「ワシもだ!」
二柱とも、返事だけは早かった。
二十九回目。
ゼウスはパー。
オーディーンはグー。
アマテラス:「ゼウス様、二勝目です」
オリュンポス側から歓声が上がった。
オーディーンは、無言でゼウスを見つめる。
ゼウス:「どうした? 未来が見えなかったか?」
オーディーン:「勝負は、まだ終わっていない」
第四戦
ゼウスはパー。
オーディーンはチョキ。
アマテラス:「オーディーン様、二勝目です」
勝敗は二対二。
決着は、最終戦へ持ち越された。
◇最終戦――左右の手
会議室の外では雷鳴が響き、二羽のワタリガラスが空を舞う。
勝敗を決めるのは、雷霆でもグングニルでもない。
グー、チョキ、パー。
ただ一つの手である。
アマテラス:「それでは、最終戦です」
ゼウスとオーディーンが構える。
両者は、右手を背中へ回した。
アマテラス:「最初はグー!」
二柱の肩に力が入る。
アマテラス:「ジャンケン――ポン!」
ゼウスが右手を前へ出した。
パー。
オーディーンが右手を前へ出した。
グー。
一瞬の静寂。
直後、オリュンポス側から歓声が上がった。
アマテラス:「ゼウス様の勝利です!」
ゼウス:「よし!」
ゼウスは両腕を高く掲げた。
ゼウス:「これにより、オリュンポスが本部! 北欧は支部だ!」
トールは悔しそうにミョルニルを握り、フレイヤは小さく息を吐いた。
テュールは潔く結果を受け入れ、オーディーンへ視線を向ける。
しかし、オーディーンは、右手のグーを見つめたまま動かなかった。
オーディーン:「……待て」
ゼウス:「何だ?」
オーディーンは、右手のグーを静かに引いた。
同時に、背後に隠していた左手を前へ出す。
その左手は――。
チョキ。
会議室が静まり返った。
ゼウス:「待て」
オーディーン:「何だ?」
ゼウス:「今、手を変えただろう!」
オーディーン:「手の形は変えていない」
ゼウス:「右手から左手に入れ替えたではないか!」
オーディーン:「競技規則第四条を確認しよう」
オーディーンは、ホワイトボードを指した。
そこには、ミチザネの整った文字で記されている。
第四条 手を出した後、その形を変更してはならない。
オーディーン:「右手のグーは、最後までグーのままだった」
続いて、左手のチョキを掲げる。
オーディーン:「左手のチョキも、最初からチョキだ。私は、どちらの手の形も変更していない」
沈黙。
誰もが、ホワイトボードとオーディーンの左右の手を見比べた。
ゼウス:「屁理屈ではないか!」
オーディーン:「規則には違反していない」
ゼウス:「出す手を交換している!」
オーディーン:「手を交換してはならないとは、どこにも書かれていない」
ゼウス:「では、最初に出したグーは何だったのだ!」
オーディーン:「右手だ」
ゼウス:「そういうことを聞いているのではない!」
ロキ:「なるほど。確かに、手の形そのものは変わっていないね」
テミス:「感心するところではありません」
トール:「しかし、父上。最初に勝負へ出したのは、右手のグーでは?」
オーディーン:「我が魔術の深淵だ」
アテナ:「魔術ではなく、ただの反則だ」
アマテラスは、困惑した表情でオモイカネを見た。
アマテラス:「これは、後出しになるのでしょうか?」
オモイカネ:「通常のジャンケンであれば、疑いなく後出しです」
ミチザネ:「ただし、現在の規則では、『手の形の変更』のみを禁止しています」
オモイカネ:「左右の手を差し替える行為までは、明記していません」
ゼウス:「ならば、オーディーンの勝ちだというのか!?」
オモイカネ:「いいえ」
オモイカネは、最初にオーディーンが提示した右手を指した。
オモイカネ:「審判の掛け声に合わせて、最初に提示された手が勝敗判定の対象です」
オーディーン:「それも明文化されていない」
オモイカネ:「……確かに」
テミス:「認めないでください」
ムネモシュネは無言で第四条を見つめた。
ミチザネも、同じ箇所を見ている。
やがて二人は、ほぼ同時にオーディーンへ視線を向けた。
オーディーン:「何だ?」
ムネモシュネ:「規則の不備を利用した事実を記録しています」
ミチザネ:「こちらも同様です」
オーディーン:「規則に従っただけだ」
ゼウス:「負けを認めぬつもりか!」
オーディーン:「私は、規則上の勝敗を確認している」
ゼウス:「ならば、私も左手でグーを出す!」
ゼウスが左手を握り、オーディーンのチョキへ突き出した。
オーディーン:「ならば、私は右手をパーに――」
テミス:「止まりなさい!」
カン! カン! カン!
――木槌が三度、激しく打ち鳴らされた――
テミス:「左右の手を順番に出し続けたら、永遠に終わらないでしょう!」
ゼウスとオーディーンの動きが止まった。
テミスはホワイトボードの前へ立つと、第四条の下へ新たな規則を書き加えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第四条補則
勝敗の判定には、掛け声に合わせて最初に提示された片方の手のみを使用する。
一度提示した手を引き、反対側の手へ差し替える行為を禁止する。
左右の手を交互に提示して、勝負を継続してはならない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
書き終えたテミスが、オーディーンを振り返る。
テミス:「これでよろしいですか?」
オーディーン:「規則が追加されたのは、勝負の後だ」
テミス:「新たな規則ではありません。元から当然とされていた内容を、あなたが明文化させたのです」
オーディーン:「つまり、勝負の時点では禁止されていなかった」
テミス:「審判が最初に確認した手は、右手のグーです」
アマテラス:「はい。私が確認したのは、オーディーン様の右手のグーです」
ムネモシュネ:「記録も同様です」
ミチザネ:「こちらも、右手のグーと記録しています」
テュール:「立会人としても、最初に提示された右手を有効と判断する」
オーディーン:「……」
テミス:「よって、ゼウス様の勝利です」
ゼウス:「当然だ!」
オーディーンは、左手のチョキを下ろした。
しかし、納得した様子はない。
オーディーン:「敗北を認めたわけではない」
テミス:「議事録には、ゼウス様の勝利と記録します」
オーディーン:「規則の不備による暫定判定だ」
ムネモシュネ:「ゼウス様の勝利と記録します」
オーディーン:「北欧側から、正式に異議を申し立てる」
テミス:「受理だけしておきます」
ゼウス:「棄却しろ!」
◇本部問題の最終決着
オーディーンによる左右の手の差し替えを巡る抗議は、その後も長時間続いた。
ゼウス:「正式な勝者は私だ! ならば、本部はオリュンポスだけだ!」
オーディーン:「北欧の組織なのだから、北欧本部で何も問題はない」
ゼウス:「本部が二つあったら、どちらが上か分からんではないか!」
オーディーン:「そもそも、上下を決める必要があるのか?」
ゼウス:「ある!」
ゼウスだけは、力強く断言した。
しかし、会議の参加者たちは、すでに疲れ果てていた。
トールは机に突っ伏し、アレスは槍の手入れを始めている。
スサノオは欠伸をかみ殺し、アマテラスは持参した和菓子を配り始めた。
ロキも、珍しく新たな騒動へ加わる気力を失っている。
ムネモシュネとミチザネだけが、増え続ける発言を黙々と記録していた。
アテナ:「もう、どちらも本部で良いだろう…」
会議室が静まった。
テュール:「オリュンポス本部と北欧本部。それぞれの地域を統括する本部とすれば、矛盾はない」
オモイカネ:「両者の上に総本部を置かず、対等な地域本部とすれば、上下関係も生じません」
アマテラス:「日本は、今までどおり支部で構いません」
スサノオ:「本部になると、面倒なことも増えそうだからな」
オーディーン:「異論はない。我らは北欧本部を名乗る」
テミス:「では、オリュンポス本部と北欧本部を、対等な地域本部として承認します」
参加者たちから、安堵の息が漏れた。
ただ一柱を除いて。
ゼウス:「異議あり!」
誰もゼウスと目を合わせなかった。
ゼウス:「それでは、私がジャンケンで勝った意味がないではないか!」
アマテラスは静かに茶を飲んだ。
トールは聞こえないふりをして、ミョルニルを磨き始めた。
オーディーンは、すでに帰り支度を進めている。
ゼウス:「後出しまで退け、正式に勝利したのだぞ!」
オーディーン:「後出しではない。左右の手を差し替えただけだ」
ゼウス:「同じだ!」
ロキ:「最高神としての面目は保たれたんだから、それでいいじゃないか」
ゼウス:「本部としての面目も守られなければ意味がない!」
カン!
――木槌が強く打ち鳴らされた――
テミス:「決議します。両者とも本部です」
ゼウス:「待て、私はまだ――」
テミス:「決議しました」
ゼウス:「再審議を要求する!」
テミス:「本日の会議は終了します」
ゼウス:「投書を出すぞ!」
テミス:「同一案件のため受理しません」
コン。
――木槌が打ち鳴らされた――
◇決議
北欧神界における神話系ミーティングの設立を承認する。
新組織の名称は、神話系ミーティング・北欧本部とする。
既存のオリュンポス本部と北欧本部は、対等な地域本部とし、相互に上下関係を設けない。
日本の組織は、引き続き日本支部とする。
なお、本件への反対はゼウス一柱。
反対理由は、以下のとおりである。
「ジャンケンに勝った意味がない」
◇後日談――ジャンケン公式勝者
後日。
オリュンポス本部の入口に、新しい看板が掲げられていた。
そこには、金色の文字で堂々と記されている。
『神話系ミーティング・オリュンポス本部』
その下には、さらに小さな文字が加えられていた。
『最高神ジャンケン公式勝者』
テミス:「…………」
ムネモシュネ:「設置を申請した記録はありません」
テミス:「撤去してください」
ムネモシュネ:「ゼウス様から、『歴史的事実を後世へ伝えるために必要である』との書面が届いています」
テミス:「撤去してください」
その日のうちに、看板は取り外された。
一方、北欧へ戻ったオーディーンは、今回の勝敗について尋ねられるたびに、次のように答えたという。
オーディーン:「私は、一度も手の形を変えていない」
なお、記憶を司る女神ムネモシュネと、日本支部書記のミチザネは、共に右手のグーが最初に提示されたと記録している。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
―議事録―
議題:北欧本部の設立について
開催場所:オリュンポス本部
司会:テミス
書記:ムネモシュネ
1.参加者
オリュンポス本部
ゼウス、ヘルメス、アテナ、アレス
北欧神界
オーディーン、トール、ロキ、テュール、フレイヤ、ブラギ
日本支部招待者
アマテラス、スサノオ、オモイカネ、ミチザネ
日本支部は、先行して会議組織を設立した事例の紹介および、オリュンポス側と北欧側の対立を仲裁する目的で招待された。
2.提案内容
オーディーンより、北欧神界においても、神々や人間から寄せられる問題を協議するため、アースガルズに会議組織を設立したいとの提案があった。
北欧側では、主に以下の案件を扱う予定である。
- 九界にまたがる問題
- 人間から寄せられる祈りおよび相談
- 巨人族との交渉
- ヴァルキリーの活動
- ラグナロクへの備え
- 北欧神界における秩序上の問題
会議組織の設立そのものについて、反対意見はなかった。
ただし、オーディーンが新組織を「北欧本部」と表現したことに対し、ゼウスから強い異議が出された。
3.本部呼称を巡る対立
ゼウスは、神話系ミーティングの本部はオリュンポスのみであり、北欧側の新組織は「北欧支部」とすべきであると主張した。
これに対し、オーディーンは、オリュンポス本部がオリュンポス地域を担当する本部であるのと同様に、北欧地域を担当する組織も北欧本部を名乗ることができると主張した。
本部の唯一性について、神話系ミーティング発足時に明文化された規則は確認できなかった。
両最高神の対立により、会議室内では以下の事態が発生した。
- ゼウスが雷を発生させた
- オーディーンの使い魔、フギンとムニンが威嚇行動を取った
- トールがミョルニルを構えた
- アレスが槍へ手を伸ばした
- ロキが神界大戦の開始を期待する発言を行った
司会判断により、武力行使を禁止し、審議を継続した。
4.「神話系ミーティング」の名称について
北欧側から、「神話系ミーティング」という名称は、組織の目的、権限および管轄が分かりにくく、全体的にフワッとしているとの指摘があった。
テミスから、本名称には各方面への配慮が含まれているとの説明がなされた。
検討された名称と問題点
- 神々の会議
悪魔、精霊、妖怪、ニンフ、サテュロス、吸血鬼などが対象外と受け取られる。
- 世界神話会議
現存する宗教を神話として扱うことへの反発が予想される。
- 宗教会議
信仰や教義を統一する組織と誤解される。
- 超自然存在会議
オカルト研究を目的とする組織と誤解される。
- 世界秩序維持機構
政治組織または軍事組織と誤解される。
- 神々とその他の会議
「その他」に分類された各方面から苦情が寄せられる。
「神話」ではなく「神話系」とすることで、神々、宗教、伝承、英雄、妖怪、魔物および人間の歴史まで柔軟に扱う。
また、「会議」や「評議会」ではなく「ミーティング」とすることで、正式な統治機関ではなく、意見交換の場として一定の余地を残している。
北欧側は説明を了承し、「神話系ミーティング」の名称を使用することに合意した。
なお、本名称がフワッとしていること自体については否定されていない。
5.日本支部によるジャンケンの提案
本部呼称を巡る対立を収めるため、オモイカネより、ジャンケンによって勝敗を決める案が示された。
日本支部では、ジャンケンを以下の性質を持つ方法として説明した。
- 腕力の強弱に影響されない
- 使用する手は、グー、チョキ、パーの三種類のみ
- どの手にも、勝てる相手と負ける相手が存在する
- 絶対的に強い手が存在しない
- 参加者が同じ規則に従うことで、公平に勝敗を決められる
- 武力を用いずに争いを収められる
日本支部側からは、以前の運用経験を踏まえ、以下の条件が必要であるとの指摘があった。
- 参加者が規則を正しく理解すること
- 勝負前に、結果へ従うと約束すること
- 敗北後、追加の勝負や武力行使へ移行しないこと
なお、日本支部の三柱は、提案時から勝負の円滑な終了に懸念を示していた。
その懸念は、正しかった。
6.最初の試行における問題
詳細な規則説明が終わる前に、スサノオの掛け声によって最初の試行が開始された。
提示された手は、以下のとおりである。
- ゼウス:グー
- オーディーン:チョキ
本来の規則では、ゼウスの勝利となる。
しかし、ゼウスはグーによる殴打を試み、オーディーンはチョキによる目つぶしを試みた。
双方の攻撃が交差する直前、テミスが木槌を打ち鳴らして制止した。
当該試行は、ジャンケンではなく直接攻撃へ移行したため、競技不成立とした。
以下の行為はジャンケンに含まれないことを改めて確認した。
- グーによる殴打
- チョキによる目つぶし
- パーによる平手打ち
- 手の形を利用した拘束
- 相手に対する威嚇
- その他一切の直接攻撃
7.三すくみに関する疑義
神々から、ジャンケンの勝敗関係について以下の疑義が示された。
- 剣やハサミで拳を斬れるのではないか
- 神の拳であれば紙を突き破れるのではないか
- 紙が石を包むだけで、本当に勝利といえるのか
- ミョルニルは、三種類のどこに属するのか
- 剣、槍、盾、炎、雷、海および魔法も追加できないか
- 神器同士の優劣を反映するべきではないか
日本支部より、ジャンケンは実際の戦闘能力を比較するものではなく、参加者が事前に合意した規則に従い、勝敗を決める遊戯であるとの説明がなされた。
また、勝敗条件は破壊に限らず、拘束、封印および法による制止も含むとの解釈が示された。
剣、槍、盾、炎、雷、海、魔法、ミョルニルおよびグングニルを追加すると、三すくみとして成立しなくなるため、全て不採用とした。
8.運命を司る存在への問い合わせ
正式勝負の開始前、ゼウスがモイライを、オーディーンがノルンを呼ぶよう求めた。
両者からは、以下の説明があった。
- 勝敗そのものを聞くとは限らない
- 自らが勝つ運命であることを確認するだけである
- 将来予測のための事前調査である
- 知恵と情報を利用することも勝負の一部である
いずれも、未来の勝敗を確認する行為と判断して禁止した。
さらに、以下の行為についても禁止した。
- 未来視
- 予言
- 神託
- モイライ、ノルンその他の運命神への問い合わせ
- 使い魔からの助言
- 眷属、部下、家族および第三者からの助言
- 第三者を経由した間接的な情報伝達
ロキより、独り言、身振り、視線および咳の回数によって情報を伝達する案が出された。
全て助言とみなし、禁止した。
フギンとムニンによる鳴き声も、情報伝達に使用してはならない。
9.最高神ジャンケン決戦・競技規則
勝負開始前に、大型ホワイトボードを用いて競技規則を明文化した。
定められた規則は、以下のとおりである。
第一条
使用できる手は、グー、チョキ、パーの三種類のみとする。
第二条
三種類のいずれにも判別できない手は無効とする。
第三条
掛け声の「ポン」に合わせ、手の形を確定させる。
第四条
手を出した後、その形を変更してはならない。
第五条
ジャンケンの手を用いた殴打、目つぶし、平手打ち、拘束、威嚇その他一切の直接攻撃を禁止する。
第六条
雷霆、グングニル、ミョルニルその他の神器を使用してはならない。
第七条
雷、魔法、ルーン、変身、幻術その他の神力を使用してはならない。
第八条
未来視、予言、神託その他の方法により、相手の手または勝敗を事前に確認してはならない。
第九条
モイライ、ノルンその他の運命を司る存在へ、勝敗を問い合わせてはならない。
第十条
使い魔、眷属、部下、家族および第三者から助言を受けてはならない。
助言には、音声、文字、身振り、視線、鳴き声その他一切の伝達手段を含む。
第十一条
勝負は三本先取とし、先に三勝した側を勝者とする。
第十二条
あいこは勝敗に数えず、再勝負を行う。
第十三条
審判の判定を最終決定とする。
10.競技運営体制
競技の公平性を確保するため、以下の役割を定めた。
- 審判:アマテラス
- 立会人:オモイカネ、テュール
- 記録係:ムネモシュネ、ミチザネ
ムネモシュネとミチザネは別々に記録を取り、判定に疑義が生じた場合は、双方の記録を照合することとした。
フギンとムニンを記録係へ加える案は、使い魔による助言禁止規定との関係から不採用とした。
勝負開始前、ゼウスおよびオーディーンは、競技規則に従い、審判の判定を受け入れると明言した。
当該発言は、書記二名が記録している。
11.最高神ジャンケン決戦
三本先取による勝負を実施した。
第一戦
- ゼウス:グー
- オーディーン:パー
オーディーンの勝利。
ゼウスから、紙が石を包んだだけでは勝利といえないとの異議が出されたが、事前に規則へ同意していたため却下した。
第二戦
- ゼウス:チョキ
- オーディーン:パー
ゼウスの勝利。
アレスから、剣が紙を斬ったとの発言があったが、チョキは剣ではなくハサミとして扱う。
第三戦
多数のあいこが発生した。
確認された手の推移には、以下が含まれる。
- 双方グー
- 双方パー
- 双方チョキ
二十九回目に、以下の結果となった。
- ゼウス:パー
- オーディーン:グー
ゼウスの勝利。
第四戦
- ゼウス:パー
- オーディーン:チョキ
オーディーンの勝利。
以上により、両者二勝二敗となり、最終戦へ移行した。
12.最終戦および左右の手の差し替え
最終戦において、掛け声に合わせて最初に提示された手は、以下のとおりである。
- ゼウス:右手のパー
- オーディーン:右手のグー
審判は、ゼウスの勝利と判定した。
判定後、オーディーンは右手のグーを引き、背後に隠していた左手のチョキを提示した。
オーディーンは、以下のとおり主張した。
右手のグーは、最後までグーのままであった。
左手のチョキも、最初からチョキであった。
したがって、いずれの手の形も変更しておらず、第四条には違反していない。
これに対し、ゼウスは、出す手そのものを交換しているため後出しに当たると主張した。
ロキは、手の形自体は変更されていないとの見解を示した。
トールは、最初に勝負へ提示されたのは右手のグーであると指摘した。
アテナは、当該行為を魔術ではなく反則と判断した。
競技規則では、左右の手の差し替えについて明文化されていなかった。
しかし、審判、立会人および記録係は、掛け声に合わせて最初に提示された右手のグーのみを有効と判断した。
よって、最終戦はゼウスの勝利とした。
13.第四条補則
左右の手を交互に提示し続ける行為を防止するため、第四条へ以下の補則を追加した。
- 勝敗の判定には、掛け声に合わせて最初に提示された片方の手のみを使用する
- 一度提示した手を引き、反対側の手へ差し替える行為を禁止する
- 左右の手を交互に提示して、勝負を継続してはならない
オーディーンは、補則が勝負後に追加されたことを理由に、規則の不備による暫定判定であると主張した。
本会議では、新たな勝敗条件を設けたのではなく、当然の前提を明文化したものと判断した。
したがって、競技結果は変更しない。
14.ジャンケンの最終結果
三本先取による最高神ジャンケン決戦の結果は、以下のとおりである。
勝者:ゼウス
オーディーンから異議申立てがあったが、審判、立会人および記録係二名の判断が一致しているため、結果を確定した。
なお、オーディーンは敗北を認めたわけではないと主張している。
15.本部問題の最終協議
ジャンケンではゼウスの勝利が確定した。
ゼウスは、勝者であるオリュンポスのみが本部を名乗り、北欧側は支部とすべきであると主張した。
一方、北欧側は、北欧地域を統括する組織である以上、北欧本部の名称に問題はないと主張した。
長時間の協議により参加者の多くが疲弊したため、アテナから、両組織がそれぞれ本部を名乗る案が提出された。
テュールおよびオモイカネから、双方を対等な地域本部とし、その上に総本部を設けなければ、上下関係は生じないとの補足があった。
日本支部は、引き続き支部の名称を使用する意向を示した。
オーディーンおよび他の参加者は、当該案に賛同した。
ゼウスのみが反対した。
反対理由は、以下のとおりである。
ジャンケンに勝った意味がない。
16.最終決議
一、北欧神界における神話系ミーティングの設立を承認する。
一、新組織の名称を、神話系ミーティング・北欧本部とする。
一、従来の組織を、神話系ミーティング・オリュンポス本部とする。
一、両本部は対等な地域本部とし、相互に上下関係を設けない。
一、両本部を統括する総本部は設置しない。
一、日本の組織は、引き続き日本支部とする。
一、北欧本部の司会、書記、固定参加者、投書受付方法および運営規則は、北欧本部において別途決定する。
賛成多数により可決。
反対はゼウス一柱。
17.提案への回答
北欧神界における神話系ミーティングの設立を承認。
名称は、「神話系ミーティング・北欧本部」とする。
オリュンポス本部と北欧本部は、各地域を担当する対等な本部であり、相互に上下関係はありません。
北欧本部は、九界間の問題、人間から寄せられる相談、巨人族との交渉、ヴァルキリーの活動およびラグナロクへの備えなど、北欧神界に関係する案件を担当してください。
会議の具体的な運営体制については、北欧本部内で別途審議してください。
なお、本部呼称を決定するために行われたジャンケンは、ゼウスの勝利です。
ただし、この勝利は両本部の上下関係を決定するものではありません。
18.残された課題
- 地域本部と支部の設置基準
- 新たな本部設立時の承認手続き
- 各本部間における議題の配分
- 複数地域にまたがる案件の主管決定
- 本部間の意見が対立した場合の調整方法
- ジャンケン規則の他神話圏への教育
- 神器、神力、未来視および使い魔を利用した不正行為への対策
- 規則に明記されていない抜け道を利用した場合の判定基準
- 敗者が結果を受け入れない場合の処理
- 勝者が勝負結果を必要以上に誇示した場合の対応
ジャンケンを正式な紛争解決手段として採用するかについては、継続審議とする。
19.後日談
会議終了後、オリュンポス本部入口に、以下の看板が設置された。
『神話系ミーティング・オリュンポス本部』
『最高神ジャンケン公式勝者』
設置申請は確認できなかった。
また、両本部の対等性に反する可能性があるため、テミスの判断により即日撤去した。
ゼウスからは、当該看板について、
歴史的事実を後世へ伝えるために必要である。
との書面が提出されたが再設置は認めなかった。
一方、オーディーンは北欧へ帰還後、今回の勝敗について尋ねられるたびに、
私は、一度も手の形を変えていないと回答している。
右手のグーが最初に提示された事実については、ムネモシュネおよびミチザネ双方の記録が一致している。
書記所感
北欧本部の設立という当初の目的は達成された。
しかし、組織を設立することより、その組織を本部と呼ぶか支部と呼ぶかを決めることに、はるかに多くの時間を要した。
さらに、単純な勝敗決定方法として日本支部から提案されたジャンケンについて、十三条に及ぶ競技規則と第四条補則が制定された。
今後、他の神話圏に会議組織を設立する場合は、最初から「地域本部」とすることを推奨する。
また、オーディーンが最終戦で最初に提示した手は、右手のグーである。
右手のグーを引いた後、左手のチョキを提示しても、過去の勝敗は変更されない。
記憶を司る女神の前で、事実の差し替えを試みないでいただきたい。
なお、ゼウスがジャンケンに勝利したこと自体は、明確な事実である。
その勝利に、他の全参加者が求めていない組織上の特権まで付与する予定はない。
以上。
書記:ムネモシュネ
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




