97 救いの手
王妃宮へ戻ったマデリーンは、ヴィルヘルムとの夕食に行くための準備をしていた。
「今日は黒色のドレスにしようかな?」
「あら、ようやく陛下の瞳の色のドレスをお召しになるのですね!」
侍女が嬉しそうに声を上げた。
「別に、そういう意味で選んだわけではないんだけど……」
ドレスルームの中にいくつかあったドレスの中から、マデリーンは今日の気分に最も合うものを選んだ。
たまたまそれが黒色のドレスだったというだけで、特別な意味などない。
「あら、黒といえばヴィルヘルム陛下ではありませんか?」
「まぁ、それはそうだけど……」
いや、本当は彼のことを少しは意識していたのかな。
マデリーンはようやく芽生え始めた彼への気持ちを認めた。
いつから、と言われればわからない。
あの日、ヴィルヘルムが毒を飲んで彼がこのままいなくなってしまうのではないかという猛烈な恐怖に襲われた。
そして、自分を庇って怪我をしたヴィルヘルムの姿に胸を打たれ、彼を献身的に支えた。
───その行動が、胸を占めた気持ちが愛ではないのだとしたら、一体何だと言うの?
「そういえば、今日陛下のお部屋のお掃除をしていたのですが……懐かしいものを見つけました」
「懐かしいもの?」
首をかしげたマデリーンの前に、侍女はあるものを出した。
「そ、それ……私のセカンドキャリア診断結果とついでに持って帰ってきた求人……!」
「あら、やっぱり陛下ったら、セカンドキャリアを探していらっしゃったのですね」
眉をひそめる彼女に、マデリーンは慌てて弁明した。
「ほ、ほら……陛下に離婚される可能性がないわけではないでしょう?そういうときのために、一応と思って……」
「陛下、謎に行動力が高いんですね」
「王妃がセカンドキャリアだなんて、前代未聞ですよ?貴族や国民たちに知られたらどうなるか」
侍女たちは呆れたように言った。
てっきりそのまま説教モードに入るかと思っていたマデリーンだったが、彼女たちが口にしたのは意外な言葉だった。
「───だけど、私たちはマデリーン陛下のそういうところが好きです」
「みんな……」
軽蔑され、恐れられていた前世とは全く違う柔らかい微笑み。
彼女たちを見ていると、今の自分と前世の自分は同じようで全く違う人間なのだと、心からそう思えた。
マデリーンは心を打たれ、彼女の目に涙が滲んだ。
「私も、みんなが王妃宮の侍女で本当によかった。みんな、私の大切な家族よ!」
感極まったマデリーンは侍女たちに抱き着いた。
辛い日々の連続だった過去とは違って、今の彼女はとても恵まれていた。
セカンドキャリアの件も、もう考える必要はない。
───今ならきっと、ヴィルヘルムとも上手く向き合えるような、そんな気がする。
***
準備を終えたマデリーンは、本宮の晩餐室へと向かった。
この姿を見て、彼はなんて言ってくれるんだろうな。
そんな期待が心に浮かんでは、マデリーンの胸をときめかせた。
──まるで、ヴィルヘルムに熱烈な恋をしていたあの頃に戻ったようだった。
本宮へと続く道を歩いていた途中、マデリーンは予期せぬ人物と遭遇した。
「──王妃陛下」
「……?」
呼び止められて振り返ると、そこにいたのは──
「……………エリック?」
「久しぶりですね、姉上──いえ、王妃陛下」
マデリーンの異母弟、エリック・セヴェランスだった。
「どうしてあなたがここに?道を間違えでもした?悪いけど、国王陛下は今から用があるの。だからあなたとは会えな……」
「いえ、私がここへ来たのは間違いなどではありません」
「……何ですって?」
間違いではないということは、エリックはマデリーンに会いに彼女の元を訪れたってことだ。国王のヴィルヘルムではなく、マデリーンに。
「一体何の用……?私も暇じゃないのよ、エリック」
「……姉上、今幸せですか?」
急に何を聞くのか。
マデリーンは意図がわからず眉間にシワを寄せながらも、その質問に答えた。
「ええ、とっても幸せよ。あなたたちがいない世界がこんなにも素晴らしいものだったなんて、今になってやっと気付いたの」
嫌味たっぷりの言葉だったが、エリックはマデリーンの予想していたような反応を示さなかった。
「……そうですか、それはよかったです」
「何よ、いつもだったら王妃として人々に崇められているせいか余計に愚かになったようですね……なんて返してるところでしょう?」
「……」
さらに煽ってみるが、やはり何の反応もない。
それどころか、なぜか安心したように見える。頭がおかしくなったのだろうか。
「私が姉上に聞きたかったのは、ただそれだけです。幸せならよかったです」
「何よ、嫌味の帝王らしくないわね」
嫌味の帝王とは、マデリーンがエリックに内緒で付けていたあだ名である。
昔から嫌味ばかり言うエリックにピッタリなあだ名だ。
「言っておくけど、私はあなたたちセヴェランス家と深く関わるつもりはないわよ?あの日縁を切るって宣言したもの」
「ええ、もちろんそんなふてぶてしいことは望んでおりません」
エリックは悲しそうに視線を下げた。
今日に限ってなぜ、そんな表情をするのか。エリックらしくなかった。
(そういえば……最近セヴェランス公爵家が社交界で爪弾きにされているという話を聞いたことがあるわ)
マデリーンの評判が上がっている一方で、セヴェランス家は今微妙な立場になっていた。
何でも彼らのマデリーンへの仕打ちが何者かによってリークされ、蔑みの目を向けられているそうだ。
大半の貴族はセヴェランス公爵家との関係を見直し、彼らは今社交界で孤立していた。
そのせいで家族たちの仲も険悪なものになっているという。公爵と公爵夫人は毎日のように喧嘩を繰り返しているとも聞く。
マデリーンは目の前で俯くエリックをじっと見つめた。
目の下にクマがある。酷く疲れているような顔だ。
(お父様とお義母様がいけないのであって、エリックには何の罪もない……)
性格が良いわけではなかったし、仲のいい姉弟というわけでもなかった。
しかし、エリックが両親の犯した罪を背負って生きていくのは違うのではないか。
マデリーンは悩んだ末に、あることを思いついた。
「―――エリック、これをあなたにあげるわ」
「……何ですか」
マデリーンはエリックを手招きすると、一枚のカードを手渡した。
「……………更生保護施設マリーマリー?」
「私が立ち上げた施設よ!もうすぐ二つ目ができるの!」
マデリーンはえっへんと自慢げに胸を張った。
なぜこのカードを自分に渡したのか。エリックはまさか……と彼女を見つめた。
「――空きがあったらあなたを受け入れてあげるわ!お父様とお義母様は罪が重すぎてダメだけど、あなたは特別に許可するわ!」
「……」
エリックは思った。
え、更生保護施設って元犯罪者とかが入るところだろ?
俺、一応前科ないんだけど……。
エリックのそんな気持ちに気付いているのかいないのか、マデリーンはじっくり考えてみてねと言いながら去って行った。
そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、エリックはポツリと呟いた。
「姉上……そういえば、最近犯罪者の更生とかに力を入れてるんだっけ……」
姉のマデリーンは、お世辞にも性格が良いといえる人ではなかった。
貴族令嬢時代、ヴィルヘルムに熱烈な愛を抱き、彼の気持ちを無視して求愛し続けていた。エリックはそんな姉を軽蔑していたし、愚かだなと思っていた。
しかし、今の彼女はとても幸せそうだった。
自身の過去の罪を悔い改め、同じような境遇の者たちを救うために活動をしている。
以前のマデリーンと比べれば、今はあまりにも立派だった。
「真の愚か者は……俺たちセヴェランス一家だったのかもしれないな……」
エリックはカードに書かれた『更生保護施設マリーマリー』の文字を見ながら呟いた。
彼がそう遠くないうちに本当に施設を訪れることを、今はまだ誰も想像していなかった。
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