90 彼女に手を出すな
マデリーンは血を吐いて意識を失ったヴィルヘルムを胸に抱きかかえたまま、呆然としていた。
あまりの衝撃からか、彼女は動くことができなかった。
――どうして、どうして陛下が。
理解が追い付かない。誰かが毒を入れたというのか。
「―――マデリーン王妃陛下、陛下の毒殺未遂であなたを連行します」
「……」
近衛騎士団長の声と同時に、マデリーンは腕を掴まれた。そのまま罪人として、外へ引きずり出されそうになる。彼女は抵抗する気力さえ起きず、ただされるがままになっていた。
そのとき、ヴィルヘルムが離れていく彼女の手を咄嗟に掴んだ。
「―――彼女に……手を出すな……!」
「…………陛下?」
毒を飲んだせいか、声も手も弱々しく力が入っていない。
驚くことに、まだ意識があったようだ。
ヴィルヘルムはマデリーンを捕らえようとする彼に鋭い目を向けた。
「騎士団長……誰に剣を……向けている……?」
「へ、陛下……!」
ゴフッ――と彼は再び大量の血を吐いた。
もはや意識を保っていることすら難しいのだろう。
そんな中で、彼は何とか言葉を紡いだ。
「いいか……お前たち……俺の女に少しでも触れたら……全員処刑してやる……!」
「な、なんてこと!」
マデリーンの腕を掴んでいた騎士たちは、慌ててその手を離し、騎士団長も剣を下ろした。
「陛下……」
「……マデリー、ン」
ヴィルヘルムはマデリーンと目を合わせると、安心させるように優しく微笑んだ。
苦し紛れの笑顔に、彼女は胸が締め付けられた。
間違いなく自分が用意したケーキでこんな目に遭っているというのに、彼は彼女を全く疑っていなかった。
「早く医者を呼んでください……陛下の治療が先です……」
「は、はい!王妃陛下!」
王宮医が呼ばれ、ヴィルヘルムは治療のために自室へと運ばれて行った。
彼が部屋から出たあと、近衛騎士団長はみっともなく騒ぎ出した。
「陛下はなぜあのようなことを……!あのケーキは王妃陛下が用意したものではありませんか!」
「落ち着きなさい、騎士団長。マデリーン王妃陛下がそんなことするわけないでしょう?」
彼は最初からマデリーンが好きではなかった。
ヴィルヘルムにしつこく付きまとう彼女を今までに何度も見ては軽蔑していたからだ。
「ハッ……どうだか。最恐ストーカーなら、陛下を毒殺しようと思っても不思議ではないと思いますけど」
「……」
それは、かつてのマデリーンに付けられたあだ名だった。
公爵夫人が咄嗟に彼の無礼を咎めた。
「なっ……あなた、なんてことをいうのよ!」
「事実です。私は王妃陛下以外に犯人はいないと思っていますから」
騎士団長はマデリーンが毒を盛ろうとしたとほとんど確信しているようだった。
当然、彼女はそんなことをしていない。
そのとき、招待客の一人レスティンブルク大公が口を開いた。
「もし王妃陛下が犯人だったとしたら……そんなわかりやすいところに毒を入れないでしょう。それに、陛下が用意したのはケーキだけです。私たちが食べても何ともなかったのに、国王陛下だけ毒の症状が現れたというのが何とも気にかかります」
「その通りです、もしかすると……毒は別の場所に入れられていたのでは?」
マデリーンの用意したマスカットのケーキは全員が食べた。
しかし、症状が現れたのはヴィルヘルムだけ。
そんな状況に人々が揺れる中、次に言葉を発したのはカルロスだった。
「ここは晩餐会の場です。ケーキ以外にも、毒を盛ることのできるものはいくらでもありますよ。たとえば、一人一人に用意されたワインとか」
「そうです、すぐに検査をするべきですわ」
マデリーンは公爵夫人に支えられながら、立ち上がった。
夫人は彼女を落ち着かせるように、その背中を撫でた。
多くの人が王妃が犯人ではないと証言する中、近衛騎士団長だけはまだ考えを改めていなかった。
「しかし、王妃陛下が最有力容疑者であることに変わりはありません。陛下がやったという証拠はたしかにありませんが……やっていないという証拠もないのでは?」
「な……あなたまだ……」
公爵夫人は言い返そうとしたが、騎士団長が遮るように言葉を続けた。
「私たちは疑わしき者を監視する義務があります。二度とこのようなことが起きないように」
「……」
それが意味するのは、マデリーンの軟禁。
彼は彼女が気に入らないから言っているわけではない。容疑者である以上、そうするべきだと思っているのだ。
「私から陛下に触れることはできませんので、自らの足で歩いてくださいますか?」
「……わかったわ、行きましょう」
マデリーンは心配する夫人に、大丈夫だと笑いかけた。
本当は彼女自身も不安でたまらなかったが、今は大人しく自室で謹慎しているほかなかった。
マデリーンは騎士団長に付き添われ、部屋まで戻った。
今にも倒れてしまいそうな気分だったが、ヴィルヘルムが苦しんでいるというのに、何もない彼女が倒れるわけにはいかなかった。
「ずっと見張っているつもり?」
「もちろんです」
王妃宮の部屋に入ると、扉は固く閉ざされた。
事件が解決するまで、部屋から出るなという意味だろう。
「陛下が大人しくしてくださるといいのですが」
「どこにも行ったりしないわ」
――王妃マデリーンは自室に軟禁状態となった。
疑いが晴れるまで、部屋から出ることはできない。
彼女が軟禁されてから数時間後、ようやく鑑定の結果が出た。
結果として、ケーキからもワインからも、毒物は検出されなかった―――
ケーキから毒の反応がなかったことで、マデリーンは解放されることとなった。
がしかし、騎士が部屋に入った頃には、彼女の姿はどこにもなかった。
部屋の窓が開いており、カーテンを繋げたものが外の地面に向かって垂らされていた。
***
一方、ヴィルヘルムは未だ意識が回復しないままだった。
王宮に勤務する医師が全員集まって看病を続けていたが、病状は悪化するばかりだ。
騎士たちは精一杯犯人捜しを行っていたが、彼らの捜査もまた難航を極めていた。
そんな中、マデリーンはある場所へと向かっていた。
「あら、王妃陛下?どうしてこんなところにいらっしゃるのですか?謹慎を言い渡されていたはずでは―――」
「しーっ!」
「キャッ!」
マデリーンは彼女の口を塞ぎ、物陰へと連れ込んだ。
彼女を壁に押し付けると、マデリーンはその横に手をついた。
鼻先が触れそうなくらい近づき、押しやられた彼女が頬を赤く染めた。
「お、王妃陛下ったら強引……」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
キュンとしているところ悪いが、マデリーンには時間があまり残されていなかった。
彼女が今いるのは後宮の近くで、たまたま通りかかった侍女を捕まえたのだ。
「―――ソフィア側妃はどこにいるの?」
「側妃様……ですか?晩餐会が行われている時間は、ずっとお部屋にいましたけど」
「部屋にいたですって?」
てっきり何かしらの動きがあると思っていたのに。
マデリーンは呆気に取られた。
「な、なら最近変な動きをしていなかった?」
「側妃様がですか……?いえ、特にそのようなことは……」
「そう……」
めぼしい情報は得られず、マデリーンは侍女を解放した。
さらに別の侍女を捕まえ、話を聞いてみるも結果は変わらない。
(変だわ……絶対にソフィアが絡んでいると思ったのに……)
マデリーンは今回の毒殺事件の犯人はソフィアとしか考えられなかった。
ソフィアならばマデリーンを恨んでいるだろうし、彼女を貶めようとしていてもおかしくはない。
毒を飲ませたのが彼女ではなく、愛するヴィルヘルムであるのは不思議だったが、彼女以外の犯人は思い浮かばなかった。
「あ、そういえば……側妃様の裏に関する噂を聞いたことがあります」
「……裏に関する噂?」
三人目に捕まえた後宮の侍女は、かなりソフィアに近い立場の人間だった。
側妃の元専属侍女で、現在はわけあってソフィアから距離を置いているという。
「――ソフィア側妃様が、裏社会にいる人間と関わっているのではないかと……」
「そ、それは一体どういうこと……!?」
マデリーンは侍女の肩を掴み、まくし立てた。
「じ、実は……側妃様に届いた手紙がテーブルの上に置かれていたことがありまして……差出人のところにたしかに書いてあったんです―――ダイアンと、気味の悪い蛇のマークが」
「ダイアン……!?」
聞き覚えのある名前に、マデリーンは最悪の事態を想定した。
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