89 マスカットのケーキ
「―――陛下、息子が贈ったピアスをまだ着けていらしていると聞きました」
「………叔父上」
突然声をかけられ、ヴィルヘルムは驚いた。
自分を良く思っていないとわかっていたからだろうか。
今日は親友から貰ったピアスを着けていなかったが、どうやらカルロスから伝えられていたようだ。
「……ええ、そうです。リチャードが贈ってくれたものは今でも全て大切にしています」
「……そうですか、息子もきっと、天国で喜んでいるでしょう」
僅かだが、レスティンブルク大公の表情が柔らかくなった。
彼にとっては、ヴィルヘルムも家族であることに変わりはなかった。
公爵夫人ほど可愛がっていたわけではないが、若き頃には一緒に剣の練習をしたこともある。
あの頃を思うと、とても懐かしい気持ちになった。
リチャードが亡くなったことは、彼も今でも受け入れられていない。
「……叔父上の息子は、とても素晴らしい方でした」
「ええ、もちろんです。私は誰よりもそのことをわかっています」
大公は悲しそうに言葉を返した。
微妙だった雰囲気が、ほんの少しだけ和らいだような気がした。
***
和気あいあいとした空気のまま、晩餐会は終盤に差し掛かった。
食事が終わり、最後にはデザートの時間となる。
ルバーニ王家の晩餐会では、毎回王妃が最後のデザートを用意する決まりがあった。
前回も、そしてその前も、マデリーンは特別なスイーツを招待客たちのために準備していた。当然、今回もきちんと用意している。
空いた料理の皿が下げられると、マデリーンが口を開いた。
「―――本日は遠路はるばるお越しいただきありがとうございました。私から皆様に、お礼として特製のケーキをご用意いたしました」
「あら……」
マデリーンはデザートを運ぶよう、侍女に命じた。
しばらくして運ばれてきたのは、スポンジにホイップクリームとマスカットの乗ったホールケーキだった。
大皿に乗せられたケーキが、長いテーブルの中央に置かれた。
「王妃宮の料理長が作ったマスカットのムースケーキですわ。皆さんに召しあがっていただきたくて、ご用意させていただきました」
「まぁ、とっても美味しそうですね」
甘いものに目のない公爵夫人は顔を綻ばせた。
マデリーンはある程度ケーキの説明をしたあと、椅子から立ち上がった。
「それでは……皆様への敬意を表して、私が自ら取り分けさせていただきます」
王妃の手で取り分けるのもまた、毎回必ず行っていることだった。
マデリーンだけではない、先代の王妃も、そのまた前の王妃も同じようにしていたと聞く。
マデリーンはナイフを使ってホールケーキを七等分にカットし、皿に取り分けた。
そして、一人一人配っていく。
―――最後の最後、ヴィルヘルムの前に皿が置かれた。
ヴィルヘルムと目を合わせ、マデリーンはすぐに逸らした。
「ありがとうございます、陛下」
「いえ」
全員の前にケーキが置かれ、それぞれがフォークを手に食べ始めた。
最初に口に運んだのは、公爵夫人だった。
「まぁ、とっても美味しいですわ!」
「お褒めいただき光栄です」
口に合ったようでよかった。
料理長の腕を疑っていたわけではないが、少し心配していたマデリーンはホッと胸を撫でおろした。
カルロスや大公夫妻、公爵もそれぞれ手を付けた。
「マスカットがスポンジとよく合っています」
「甘すぎなくてちょうどいいですね」
次々と聞こえてくる称賛の言葉に、マデリーンは嬉しそうに言葉を返した。
こんなに喜んでもらえるのなら、入念に準備した甲斐があった。
―――そんな中、異変が起きた。
「ウッ……」
「…………陛下?」
突然すぐ横からうめき声が聞こえ、全員が食べる手を止めた。
マスカットが喉に詰まったのかな?軽く考えていたマデリーンは、ヴィルヘルムの様子を確認して固まった。
「―――コホッ」
「……」
――――直後、マデリーンの視界に広がったのは、真っ赤な鮮血だった。
ヴィルヘルムの持っていたフォークが手から離れ、ガシャンッと音を立てて床に落ちた。
今この場にいる全員が目の前の光景を信じられず、ただ呆然としていた。
「え……」
「ウッ……」
口から血を吐いたヴィルヘルムは、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
マデリーンは慌てて倒れる彼の身体を受け止めた。
しかし、女性一人では体格のいい彼を受け止めきることはできず、彼女も一緒に倒れ込んでしまう。
「へ、陛下――――!」
「マ……マデリー……」
ヴィルヘルムはマデリーンの腕の中で、意識を失った。
彼女は彼の身体を揺さぶり、必死の思いで呼びかけた。
「ど、どうして……陛下……!しっかりしてください……!」
どれだけ声をかけようとも、何も反応がない。
彼がこのままこの世からいなくなってしまうのだろうか。そんな不安で胸が押しつぶされそうになった。
――そのとき、マデリーンの首筋にヒヤリとした何かが当てられた。
「ッ……」
それは、長剣の刃だった。
明らかに殺意を持って、彼女の首に突きつけられている。
マデリーンは恐怖と絶望から、動くことができなかった。
そんな彼女に、剣を向ける近衛騎士は淡々と言い放った。
「―――王妃陛下、あなたを国王陛下毒殺未遂で拘束します」
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