87 迫りくる危機
マデリーンはヴィルヘルムから直接話を聞くことができた。
ソフィアとの本当の関係、幼少期の辛い記憶、今は亡き親友の存在まで。
「では……ソフィア側妃様とは愛し合うような関係ではなかったのですね」
「ああ、そうだ……お前にはとても辛い思いをさせてしまったと思う……すまなかった」
ヴィルヘルムはマデリーンの前で深く頭を下げた。
彼は彼女の気持ちを全く考えていなかった。ただ、当時早く側妃を迎えて子を作るべきだと毎日のように言われていたせいか、心に余裕がなかったのだ。
先代王妃からの虐待はヴィルヘルムの心を深く蝕み、彼は女性に嫌悪感を抱くようになった。
女性と関係を持って子を作れる自信が、あのときの彼にはなかった。
「陛下、顔を上げてください」
マデリーンの声で、彼が頭を上げた。
彼女はヴィルヘルムを憎んでなどいなかった。もし、自分が彼の立場だったとしても、愛情など抱けなかっただろう。それほどまでに、以前の自分は醜かったからだ。
「陛下が気に病むことは何もございません……ただ、私も過去の行いを深く反省しています」
「いや、気にしないでいいんだ。今さらこんなこと言ったところで遅いだろうが……お前が俺の傍にいてくれてよかった」
ヴィルヘルムは微笑むと、マデリーンの前にゆっくりと膝をついた。
彼女の手を取ると、彼は自身の額にそっと重ねた。
「―――君は、俺が今まで見てきた中で最も清らかで高潔で、美しい人間だ」
「陛下……」
マデリーンは額から伝わる彼の熱を、じっと感じていた。
「君の思いも、考えも―――君の全てが俺を虜にする」
そう口にした彼の瞳には、やはり以前のように嘘は見えなかった。
国王であるヴィルヘルムに跪かれているという、前代未聞の状況。
これほどまでに真剣な愛の告白を受けたのはもちろん初めてだった。
なんて答えればいいのか、迷ってしまう。そんな彼女の気持ちを察したのか、ヴィルヘルムが口を開いた。
「―――待ってもいいかな?」
「……陛下?」
その言葉に、マデリーンは驚いて彼を見た。
彼の真っ黒な瞳が、彼女を真っ直ぐに捉えた。その瞳は愛に満ちていて、彼女の心を激しく揺さぶった。
「十年でも、五十年でも、百年でもいい。俺はお前が受け入れてくれるまで待ち続ける」
「……」
五十年後だなんて、お互いしわくちゃになっているだろう。
そんな未来、生きているかすらわからない。それでもまだ、私を愛しているというの?
マデリーンは笑いそうになってしまった。
ヴィルヘルムの気持ちは十分すぎるほど伝わっていた。
しかし、彼女の返事は決まっていた。
「……私には、陛下を受け入れられる自信がありません」
「……」
マデリーンは不安だった。
優しい言葉に心が揺れて戻って、再び傷付くのではないかという恐れ。人を愛することの辛さを、苦しみを――彼女は誰よりも知っている。
前世の記憶から、マデリーンは彼をどうしても受け入れることができなかった。
彼女の返事に、ヴィルヘルムはしばらく黙り込んでいた。傷付けてしまっただろうか。
しかし、中途半端な気持ちのまま彼を受け入れると言えば、お互い余計に傷付くことになるだろう。
「――そうか……次に会えるのは、数日後の晩餐会のときになるか?」
「……陛下?」
その言葉に驚いて顔を上げると、思ったより落ち込んでいなさそうな彼が視界に入った。
(な、何なの?)
てっきり傷付いていると思ったのに、マデリーンは呆気に取られた。
彼は表情がクルクル変わる彼女の姿が面白いのか、笑みを溢した。
「お前に会えるのを楽しみにしているよ」
「……」
ヴィルヘルムは笑顔で軽く手を振ると、そのままマデリーンの前から去って行った。
***
その日の夜、後宮から出て行く一つの影があった。
「……」
ローブの隙間から見える桃色の髪。
―――側妃ソフィアだった。
彼女は誰もいないことを確認し、ゆっくりと外へ出た。
マデリーンに媚薬を飲ませたあの一件から、彼女には厳しい監視が付けられるようになった。
ソフィアはあらかじめ見張りの騎士を買収していた。そのため、ヴィルヘルムの目をかいくぐって後宮から出ることができたのだった。
「第三地区まで向かってちょうだい。最速で」
「承知致しました」
ソフィアは市井に下りたところで公共の馬車を捕まえ、行き先を手短に伝えた。
第三地区―――ルバーニ王国でも治安が悪く、貧困層が暮らす街だった。
地元の人間ですら避けるような場所に、一体何の用があるのか。
王侯貴族が出入りするだけでも、醜聞だった。
第三地区へ辿り着くと、ソフィアは代金を払って馬車から降りた。
ローブのフードを深くかぶっている彼女は、パッと見ても誰かわからない。
しかし、住民たちは彼女の正体を知っているのか、特に警戒する様子も見せなかった。
貧民街として知られる第三地区は、ゴミが散乱し、異臭がする。浮浪者があちこちで寝ており、すぐ近くには薬物中毒者のたまり場まである。
しかし、その場所が人々から避けられている理由は、実は衛生面ではなかった。
地区内を駆け抜け、ソフィアはある一軒の家の前までやってきた。
彼女は迷うことなく扉を開けた。
「―――久しぶりね、ダイアン」
「……ソフィア?なぜここに?」
中にいたのは、顔に傷のある三十代半ばと思しき男だった。
その姿を見るからに、一般市民ではなかった。
―――ダイアン・ロペス。
この第三地区を仕切る犯罪者ギルドのマスターだった。
裏社会の帝王とも呼ばれる彼は、第三地区を拠点として活動している。
ダイアンとソフィアは顔見知りだった。ダイアンは金さえあれば何でもやる、非常に危険な男である。
悪知恵が働く彼は、失敗を絶対に許さない男だった。だからこそ、信頼できる。
彼は彼女を客人として、正面にある椅子に座らせた。
ソフィアはフードを取り、口を開いた。
「―――実はね、消したい人間が一人いるの」
「…………ほう?」
ダイアンは面白そうに口角を上げた。
彼女が彼に依頼するのは、実は初めてではなかった。
ソフィアは机を指でつつきながらダイアンに尋ねた。
「考えたんだけど……全員が同じ皿の料理を食べるという状況で、特定の人間にだけ毒を盛る方法ってないかしら?」
「……そうだな、あるにはある」
話をある程度理解したダイアンはソフィアの耳元で、そっと囁いた―――
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