86 側妃の過去③
事態が一変したのは、二人が交際してから二年が経過した頃だった。
―――ソフィアの妊娠が発覚したのだ。
リチャードは彼女の妊娠をとても喜んだ。
ソフィアはともかく、彼はいずれ彼女と夫婦になると決めていたからだ。
(……子供ができたなら仕方がないわね。リチャードと結婚するか)
こうなると流石のソフィアもヴィルヘルムを諦め、リチャードと一緒になる覚悟を固めていた。
しかし、予想外の出来事は立て続けに起こった。
なんと、リチャードが出征先で亡くなってしまったのだ。そのとき、ソフィアはまだ妊娠初期だった。
彼女は礼儀としてリチャードの葬儀に参列した。
あまりにも早すぎるその死に、両親と弟のカルロスは泣き喚いていた。
ヴィルヘルムも、棺で眠る親友を暗い表情で見つめていた。
カルロスとレスティンブルク夫妻は、葬儀へ訪れたソフィアを複雑な目で見ていた。
リチャードが戦地へ赴いたのは、実はソフィアとの結婚を認めてもらうためだった。
戦場で武功を挙げることで、両親に彼女との結婚を認めさせようとしていたのだ。
しかし、結果リチャードは冷たい遺体となって帰ってきた。
ソフィアは痛々しい顔で泣く家族たちに礼をすると、ヴィルヘルムの元へと向かった。
「陛下」
「……ソフィア」
このとき、既にヴィルヘルムは王太子から国王に即位していた。
有名ストーカーのマデリーンと結婚した彼だったが、彼女には指一本触れていないことで有名だった。
「……私のせいで、ごめんなさい」
「……いや、お前のせいじゃないさ。アイツは君を心から愛していた。そのために戦場へ行ったんだから」
ヴィルヘルムは自身も辛い状況であるにもかかわらず、ソフィアを励ました。
彼からすれば、彼女は同じ傷を抱える同士のようなものに見えていたのかもしれない。
「……実は、少し話したいことがあるんです」
「……?」
ソフィアは葬儀のあと、ヴィルヘルムを人気のない会場外に連れ出した。
「―――実は私、お腹にリチャードの子がいるんです」
「な、何だと!?」
彼女はヴィルヘルムに身籠っていることを打ち明けた。
リチャードは親友の彼にも打ち明けていなかったのだろう、かなり驚いていた。
「すぐにレスティンブルク大公夫妻に伝えないと……」
「――待ってください、陛下!」
ソフィアはヴィルヘルムの腕を掴んで引き留めた。
一瞬不快な顔をされたが、傷心中のせいか振り払われることはなかった。
「レスティンブルク夫妻にはこの子のことを知られたくありません!」
「……何だって?」
ソフィアは助けを求めるようにヴィルヘルムに縋り付いた。
「もし、夫妻がこの子の存在を知ったら、間違いなく親権を主張してくるはずです。私がいくらこの子を守ろうと思っても……親権を取られることは目に見えています」
「……」
咄嗟に思いついた言い訳だったが、彼女の言うことは間違っていなかった。
レスティンブルク大公夫妻は、リチャードの死を酷く嘆き、悼んでいた。
もしソフィアのお腹に彼の子がいることを知ったら、確実に親権を手に入れようとするだろう。
若くして亡くなった、大切な息子が遺していった初孫。
絶対に誰にも取られたくはないはずだ。
もし親権争いになったとしたら、ソフィアの実家であるシェルドン男爵家では、大公家に為す術がない。
「……」
そんなソフィアの悲痛な叫びを、ヴィルヘルムは重く受け止めた。
何より、大切な親友が遺していった最愛の女性を、彼は自分の手で守る義務があると思った。
ソフィアは子供を一人では育てられない、でもレスティンブルク一家には子の存在を知られたくないと我儘を言った。
ヴィルヘルムは悩んだが、ソフィアとお腹の子を王家に迎え入れることを決意した。
リチャードはヴィルヘルムの従兄弟であり、父親は王弟だった。
つまり、紛れもなく王家の血を引いているのだ。
ちょうど側室や愛人を娶れと口うるさく言われていたこともあって、彼は二人を王族として受け入れた。
ヴィルヘルムの側室になれることに、ソフィアは大層喜んだ。
自分のために死んだリチャードには悪いが、彼女はヴィルヘルムだけを愛していた。
ソフィアはまだ膨らんでいないお腹をそっと撫でた。
自身の血を引いた赤ちゃんが、この中にいる。
「……」
―――自分でも驚くくらい、母性が湧いてこなかった。
子を愛さない母親などいないと聞いてはいたが、ソフィアは例外だった。
どうして、こんなにも複雑なんだろう?
自分でも不思議だった。
まだ成長こそしていないものの、たしかにお腹には彼女の子が存在していた。
しばらく考えた末に、彼女は一つの結論に辿り着いた。
「……彼の子、じゃない」
ソフィアの腹にいる子供は、リチャードの子であって、ヴィルヘルムの子ではなかった。
あぁ、だからこんなにも切ない気持ちになるのか。
世間一般では彼の子となっているが、実際は別の男の子。
外面だけを取り繕ったどころで、胸にざわめくこの虚しさはいつまで経っても消えることはない。
「………ヴィルヘルム」
―――あなたが父親だったら、よかったのに。
リチャードではなく、ヴィルヘルムが父親なら。
そのように考えたことは、実は一度や二度ではなかった。
そのたびにソフィアは、ヴィルヘルムが父親だと思い込むことで何とか気を保った。
「……だけど、ヴィルヘルムの関心があの女に向いているのは問題だわ」
彼は自身を愛していない。
今までは彼の心の中に誰もいなかったから、まだ耐えることができた。
しかし、今は違う。マデリーンがいる。
今まで誰も気付いていなかったが、ソフィアのヴィルヘルムへの執着は実はマデリーン以上だった。
彼女が可愛く見えてしまうほど、ソフィアは悪に染まり、愛に溺れていた。
「私のものにならないのなら……いっそ、殺してしまいたい……」
―――そう思うのは、罪かしら?
でも仕方がないわよね、あなたが私以外の女を愛するからいけないのよ。
ソフィアは真っ暗な部屋で一人呟いた。
そして、彼女はこの後恐ろしい計画を実行することとなる―――
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