85 側妃の過去②
ヴィルヘルムと親しげに話をしていたのは、レスティンブルク大公家の長男であるリチャード・レスティンブルクだった。
レスティンブルク大公家は現国王陛下の弟が当主を務める家門で、ヴィルヘルムとリチャードは従兄弟同士という関係だった。
リチャードは母親から受け継いだ黒い髪に、黄金色の瞳を持つ至って平凡な男性だった。
弟のカルロスは美しさで有名だが、彼自身は特に何も持ち合わせていない、王家の血を引く人間としてはあまりにも凡庸だった。
(従兄弟だから……あんなに仲がいいのね)
誰も傍に置かないヴィルヘルムだが、親族は別のようだ。
このときばかりは、リチャードを羨ましく感じた。たとえ男だったとしても、彼の近くにいるのならば気に入らない。
リチャードはため息をつきながら言った。
「お前が羨ましいよ……俺なんて恋人ができる兆しもないし……このままじゃ、いつまで経っても結婚できないかもな」
「そんなに落ち込むなって。何とも思ってない女に猛アタックされるほうがしんどいぞ?」
どうやら、リチャードは恋人ができないことに悩んでいるようだった。
そんな彼を、ヴィルヘルムは慰めていた。彼からしたら贅沢な悩みなのだろう。
そんな二人の様子を物陰から見ていたソフィアは、ある計画を思い付いた。
(そうだわ……彼を使ってヴィルヘルムに近づけばいいじゃない……!)
愛する人に近づくため、リチャードを利用する。褒められたことではなかったが、恋に盲目状態のソフィアは手段など選んでいられなかった。
思い立ったその日、ソフィアは早速行動に移した。
「―――初めまして、ソフィア・シェルドンと申します」
「……シェルドン?シェルドン男爵の娘か」
パーティーが終わったあと、彼女は帰り際のリチャードを引き留めた。
馬車に乗ろうとしていた彼は、話しかけられて立ち止まった。
「どうして俺に声を?君ももう帰る時間だろう?」
「ええ……ですが、どうしてもレスティンブルク大公子様と話したかったんです」
ソフィアはそう言いながら、ニッコリと笑った。
美しい彼女の笑顔に、リチャードの胸はトクンと音を立てた。
リチャードは大公家の嫡男として幼い頃から勉強漬けの日々を送っていたせいか、女性との関わりをほとんど持ってこなかった。
ソフィアのように美しい女性に気があるような態度を示されると、一瞬でその気になってしまう。
彼は彼女の心の内に気付くことなく、彼女を意識し始めてしまった。
「俺と話したいだなんて……一体何を……」
「――大公子様」
ソフィアは彼の腕に触れ、上目遣いでリチャードを見上げた。
彼が男である以上、美しい女性に言い寄られて平常心でいられるはずがなかった。
女性に対するトラウマを持つヴィルヘルムならまだしも、リチャードは至って普通の男性だった。
「―――よかったら今度、私の屋敷にいらっしゃってください。大公子様とはもっと親しくなりたいんです」
「ソ、ソフィア嬢……」
彼女はわかりやすく、細い指先で胸から腹にかけてをなぞった。
ここからソフィアは、リチャードと深い仲になっていく。
***
リチャード・レスティンブルクは優秀で美しい弟の影に隠れて目立たない存在だった。
女性が家を訪れることはたびたびあったが、全て彼ではなく弟のカルロス目当てだった。
そんな彼にとって、ソフィアは光のような存在だった。
カルロス目当てではないかと疑い、彼に会わせたが、特別な反応はない。
当然だろう、ソフィアの目当てはカルロスではなくヴィルヘルムだったのだから。
しかし、彼はソフィアこそが運命の相手だと信じて疑わなかった。
リチャードはあっという間にソフィアの虜となり、彼女との仲を深めていった。
それから二人はすぐに恋人という関係になった。
リチャードはソフィアとの交際を公にしたいと思っていたが、なかなかできなかった。
彼女との関係を両親に反対されてしまったのだ。
ソフィアは彼に釣り合う身分とは言えないうえに、彼の両親は彼女のことを怪しんでいた。
肩書きや地位が目当てではないかと、カルロスも含め一家全員がソフィアを疑っていたのだ。
そのせいで、リチャードはソフィアとの交際を周囲に隠さなければならなかった。
知っていたのは両親と弟のカルロス、そして親友のヴィルヘルムくらいだった。
しかし、ソフィアはいくら反対されようと気にもしなかった。
彼女が狙っていたのはリチャードの妻の座ではなく、ヴィルヘルムの妻だったから。
『君を愛している――たとえ身分の差が俺たちの前に立ちはだかろうとも、俺は全てを捨ててでも……君だけを生涯愛し続ける』
それはかつて、リチャードがソフィアに対して言った言葉だった。
ヴィルヘルムにそっくりな黒い髪が、夜空に光る星の下で美しく輝いていた。
このときばかりは、ソフィアは複雑な気持ちになった。
今自分がしていることは、本当に正しいのかと。
しかし、リチャードの恋人になったおかげでヴィルヘルムにも認知してもらうことができた。
今では他の令嬢たちを差し置いて、彼と二人で会話をするまでの仲になった。
リチャードの愛する女性という肩書きは、彼女にとってずいぶん役に立った。
彼は優しい人だ。いくら両親からの反対を受けようとも、変わらずにソフィアを愛し続けて大切にしてくれた。
―――しかし、ソフィアはどれだけ頑張ってもリチャードを愛することができなかった。
彼女の心にいたのは、いつもヴィルヘルムただ一人だったのである。
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