72 ソフィアの誤算
ヴィルヘルムとマデリーンが一夜を過ごしたという噂は、王宮内で既に広まっていた。
本当は閨を共にしたわけではなく、ただキスをしただけだったのだが、真相は本人たちしか知らない。
この状況に最も焦っていたのは、当然計画の首謀者であるソフィアだった。
「どうして……あの女とヴィルヘルムが一夜を……」
彼女は悔しみのあまり、爪を噛んだ。
今回の一件は、ソフィアがあらかじめ仕組んでいたことだった。
体調の悪いフリをしてマデリーンを後宮へと誘い出す。
そして媚薬入りの水を飲ませることで、他の男と一線を越えさせようとした。
あの日はヴィルヘルムの誕生日だったし、彼は当日になると毎年部屋から出ない。
だから、絶対に計画が失敗することはないと確信していた。
しかし、そんな彼女の考えは甘かった。
何事も絶対なんてことは存在しない。ヴィルヘルムが部屋から出るという可能性を考えなかった時点で、彼女の負けは見えていたのだろう。
(火のないところに煙は立たない……きっと、マデリーンはヴィルヘルムと本当に関係を持ったんだわ)
握り締められたソフィアの拳に、自然と力が入った。
そのとき、部屋の扉がノックされた。外から姿を現わしたのは、ソフィアの専属侍女だった。
「――側妃様、国王陛下がいらっしゃっています」
「へ、陛下が!?」
ソフィアは慌てて身支度を整え、ヴィルヘルムを迎え入れた。
「ご機嫌よう、ヴィルヘルム陛下。お元気でしたか?」
「……あぁ、そうだな」
ソフィアは慣れた手つきで、そっとヴィルヘルムの腕に触れた。
いつもは特に気にしない彼だが、今日に限ってなぜか嫌悪感を示した。
彼女はそんな小さな変化に気付きもせず、彼にソファに座るよう促した。
「陛下、どうぞ座ってください」
「いや……話だけしてすぐに帰るつもりだ。そのままでいい」
「……どういうことですか?」
まるで責められているかのような鋭い口調に、ソフィアは困惑した。
優しかったはずの瞳が、なぜか今は胸が痛くなってしまうほどに突き刺さる。
「――ソフィア、なぜあのようなことをした?」
「………………陛下?」
一瞬何を言われているのかわからなかった。
そんな彼女のために、ヴィルヘルムは核心を突いて問い詰めた。
「マデリーンに媚薬を飲ませたのはお前だろう?男に襲わせようとしたのも……」
「……!」
その瞬間、ソフィアの心臓が激しく鼓動した。
計画が失敗したことは知っていたが、主犯が自分だとバレていたとは思わなかった。
「陛下、違うんです……あれは……」
「なぜあんなことをした?」
ヴィルヘルムの冷たい目に耐えられなくなり、ソフィアは全てを白状した。
嫉妬からマデリーンを襲わせようとしたこと、真相が明らかになるにつれてヴィルヘルムの表情は険しくなった。
「なんということを……」
「陛下、悪気はなかったんです……」
ヴィルヘルムは呆れたようにソフィアを見下ろした。
彼は怒りを通り越して呆れていた。出来ることならすぐにでも彼女を処罰してやりたいが、お腹の子のことを考えるとそうはいかなかった。
軽蔑の眼差しで自身を見つめるヴィルヘルムに何を思ったのか、ソフィアが彼の腕にしがみついた。
「―――陛下!私、陛下のことを愛しているんです!」
「……………何だと?」
その言葉に、ヴィルヘルムは驚いたように目を見開いた。
彼女は一体何を言っているんだ?
ソフィアがヴィルヘルムを愛していることは誰から見ても明白だが、彼自身は全くその好意に気付いていなかった。
そうなるのも仕方がないのかもしれない。
―――彼は世間一般には知られていない、彼女のある秘密を握っていたから。
「初めて見たときから陛下のことが好きだったんです。本当です、嘘ついてません」
「……初めて見たときから?一体いつのことを言っている?」
ソフィアの真剣な告白に、彼は理解が追い付かなかった。
何とも思っていない相手でも思いを伝えられると多少は意識してしまうものだが、ヴィルヘルムはむしろ嫌悪感を抱いていた。
ソフィアは隠していた思いを打ち明けるように、彼の問いに答えた。
「最初から……四年前から陛下のことが好きでした」
「…………お前」
四年前――と聞いたヴィルヘルムは、ソフィアの手を振り払った。
彼女はその反動で、僅かに後ろによろめいた。普段、女性に手荒な真似はしない彼だが、このときだけはわけが違った。
もしソフィアの言葉が全て事実であれば、ヴィルヘルムは彼女をどうしても許せなかった。
「陛下、陛下も私のことを愛しているんでしょう!?愛しているから、側妃にしてくれたんでしょう!?」
「違う、俺はお前を愛してなどいない」
キッパリと告げられた一言に、ソフィアはショックを受けた。
今まで彼女に優しかった彼が、初めて見せた冷たい姿。
「ソフィア……ふざけたことを言うのも大概にしろ。お前の相手は彼であって、俺ではない」
「そ、そんな……」
ヴィルヘルムは茫然自失状態のソフィアを置いたまま、彼女から背を向けた。
愛する彼に拒絶された。そのことが彼女には信じられなかった。
「どうして……ヴィルヘルム……」
ソフィアは何度も何度も彼の名を繰り返し呟いた。
そしてあろうことか、その憎しみを見当違いな人物に向けてしまったのだった。
「マデリーン……あの女が私たちの恋路を邪魔してるのね……絶対に生かしてはおかないわ……」
ソフィアの水色の瞳が、鋭い眼光を放った。
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