71 愛と拒絶
着替えを済ませたマデリーンは、ヴィルヘルムの執務室に突撃した。
彼女が寝ていたヴィルヘルムの自室から、執務室までは遠くない。すぐに着く距離だった。
マデリーンは部屋の前を守る近衛騎士に声をかけた。
「陛下に会いたいの、通してくれないかしら?」
「国王陛下は今執務中です。お会いすることはできません」
マデリーンはムスッと頬を膨らませた。
最近はヴィルヘルムの執務室に突撃することはなくなったが、以前までの彼女はしょっちゅう押しかけて彼を困らせていた。
(今気付いたけど、私って相変わらず信用ないのねぇ……)
特にヴィルヘルムの暮らす本宮に配属された使用人たちからの嫌悪感は相当だった。
当然だろう。彼らはマデリーンがヴィルヘルムの気持ちなど気にも留めず、勝手な行動をするところをたくさん見てきているのだから。
しかし、今回ばかりはマデリーンも退くわけにはいかない。
「どうしても通りたいのよ。道を開けてくれないかしら?」
「そうおっしゃられても困ります。陛下は執務中に中に人を入れることは絶対にしませんので」
嘘つけ、ソフィア入れてたことあっただろ。
そう言いたくなったマデリーンだが、寸でのところで抑え込んだ。
二人が言い争いを繰り広げていたそのとき、突然執務室の扉が開いた。
「――騒がしいな、何をしている?」
「オーウェン卿!」
開いた扉の隙間から外を確認したのは、つい先ほど会ったばかりのダニエルだった。
「オーウェン卿……王妃陛下が入れてくれと……」
騎士は困ったようにダニエルに助けを求めた。
いくら国王直属とはいえ、彼が一介の騎士である以上、王妃相手に強く出られるはずがない。そんなときは、ヴィルヘルムの最側近であるダニエルの出番だった。
「国王陛下に会いにいらっしゃったのですか?」
「ええ、そうよ。会わせてちょうだい、中にいるんでしょう?」
ダニエルは彼女の言葉を聞いた瞬間、すぐに扉を開けた。
「―――どうぞ」
「ありがとう、助かるわ」
いつもなら追い返しているところを、すんなり中に入れたダニエルに、騎士は驚愕した。
「え、ええ!?」
「これから王妃陛下が執務室に来ても追い返さないように」
「は、はい!」
ダニエルは騎士に短く命じると、すぐに扉を閉めた。
中に入ったマデリーンは、執務室の椅子に座っていたヴィルヘルムに挨拶をした。
「国王陛下にご挨拶申し上げます。ご機嫌いかがでしょうか」
「……マデリーン、堅苦しい挨拶はよせ」
カーテシーをすると、ヴィルヘルムが不満げに口を尖らせた。
「いえ、陛下に礼を尽くすのは当然でございます」
「俺たちは夫婦ではないか、臣下のような真似はしないでいいんだ」
そう言いながら立ち上がると、ヴィルヘルムは室内に設置された椅子に彼女を座らせた。
優しく労うような彼の気遣いに、やはり困惑してしまう。
思えば、このような優しさは今に始まったことではなかった。
いつからだろうか、ヴィルヘルムが彼女を嫌悪しなくなった。きっかけはわからないが、最初はあまりにも些細な変化で気が付かなかった。
(……ここへ来たからには、真実をきちんと見極めないといけない)
マデリーンは固く心に誓い、ヴィルヘルムと向かい合った。
「陛下、あの日は助けてくださってありがとうございました」
「ああ、気にするな……俺も、無礼な真似をしてしまって悪かったな」
「いえ、お気になさらないでください」
無礼な真似――とはきっと、お姫様抱っこからのキスを言っているのだろう。
既にやってしまったことだし、今さら気にしても仕方がないと、マデリーンは忘れることにした。
と思って顔を上げると、微笑んだ彼と目が合った。
「――お前が無事なら、それ以上に嬉しいことはない」
「……」
あのときと同じ、愛に満ちた眼差し。前世でいつも自分ではなく、ソフィアに向けられていた目。
ようやく気付いたマデリーンはアハハッと笑い声を上げた。
「……マデリーン?どうかしたのか?」
「いえ、あまりにもおかしくて笑ってしまったんです」
マデリーンは目元の涙を拭った。
笑いすぎて出たものか、それとも別の理由が込められているのかはわからない。
ヴィルヘルムはそんな彼女を、ただ不思議そうに眺めていた。いつもと違うという違和感は、気のせいではなかった。
「―――まるで、陛下が私を愛しているみたいで……」
「……」
何を望んでこんなことを聞いたのか、自分でもわからなかった。
ただ、勘違いだという否定の言葉を期待していた。
しかし、現実はどこまでも残酷だった。
ヴィルヘルムはあっさりと彼女の疑念を認めた。
「マデリーン、お前の言う通りだ―――俺はお前を愛していると……前にも言っただろう?」
「……」
望んでもいない愛の言葉を前に、マデリーンは何も言えなかった。
愛していると言われて、これほど嬉しくないのは初めてだった。
「陛下……冗談を言わないでください」
「冗談ではない。お前を愛しているんだ。その気持ちは変わらない」
マデリーンは咄嗟に言葉を返した。
「陛下が愛しているのは私ではありません。ソフィア側妃です。結婚前から彼女だけを愛し……子供を作って側妃にまで迎えたではありませんか」
「マデリーン……それには深いわけが……」
それ以上は聞きたくないと、彼女は彼の言葉を遮った。
彼がどんな言い訳をしたところで、不貞を犯し、子供まで作ったという事実は変わらない。
それだけではない。三十年という年月は、彼女にとってはあまりにも長すぎた。
「―――陛下、これ以上私に惨めな思いをさせないでください……」
「……」
マデリーンの目から一筋の涙が流れた。
ヴィルヘルムは手を伸ばそうとしたが、結局彼女まで届くことはなく途中で下ろされた。
彼女は暗い表情の彼から目を背けるように立ち上がった。
「……話は終わりましたので、失礼します」
マデリーンは涙をハンカチで拭くと、そのまま執務室から飛び出した。
一人残されたヴィルヘルムは、途方に暮れていた。
「……俺は、なんてことをしてしまったんだ」
遅すぎる後悔と、彼女に対する罪の意識で心が埋め尽くされた。愛する女性を傷付けてしまったという自責の念は、常に彼の胸に纏わりついていた。
どれだけ辛く、苦しかったのだろう。
彼は一人になった部屋で、嗚咽を上げて泣いた。
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