67 巧妙な罠
マデリーンは後宮からたった一人で、王妃宮へ戻ろうと歩みを進めていた。
しかし、なぜか思うように身体が動かなかった。
(……一体何が起きているというの?)
ソフィアの風邪が移りでもしたのだろうか。
何だかマデリーンまで体調が悪くなってしまったようだった。
「ハァ……ハァ……」
少し歩いただけで、マデリーンはすぐに息が上がってしまった。
動けなくなった彼女は、歩みを止めて膝に手をついた。
身体に力が入らない。病気に罹っているわけでもないのに、どうしてこんなことに。
マデリーンは理解が追い付かないまま、その場でうずくまっていた。
「陛下!大丈夫ですか!」
王妃宮から様子を見にやってきた侍女が、慌てて彼女に駆け寄った。
それは、以前恋人を作ると豪語し、見事その夢を叶えたアイラ・ドールズだった。
彼女は侍女服のスカートを揺らしながら、マデリーンの元までやってきた。
「陛下……身体が熱いです……どうしてこんな……」
「ア……アイ……ラ……」
アイラの手が肩に触れた瞬間、マデリーンは力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
マデリーンが着ていたドレスの裾が、土で茶色く汚れた。
「陛下、しっかりしてください!」
「た、助けて……」
アイラは何とかマデリーンを支えようと手を伸ばしたものの、華奢な女性一人では受け止めることができなかった。
マデリーンはアイラにもたれかかるような形で、地面に座り込んだ。
(どうして……?一体どうして……?)
――私の身体に、何が起こっているというの……?
浮かび上がる疑問と同時に、マデリーンはソフィアを看病したときのことを振り返った。
ソフィアの専属侍女に頼まれて後宮へ赴き、医者が来るまで具合の悪い彼女の世話をした。
その間、特に変わったことなんてなかった。
侍女から渡された冷たい水を飲み、看病を続け、何事もなく部屋を出た。
そこまで回想してから、マデリーンはようやく気が付いた。
(水………?)
あのときに侍女が手渡した一杯の水。
なぜか変な味がした。マデリーンはこの世の全ての水を飲んだわけではないが、明らかに王宮で出されるものと味が違ったのだ。
何か甘いような、苦いような舌に残る不思議な味。あんな味の水は初めてだった。
それらの状況から、考えられることがある。
想像したくはないが、もはやそれ以外にはありえなかった。
考えた結果、マデリーンはある一つの結論に辿り着いた。
「もしかして……媚薬……!?」
「え、び、媚薬!?冗談でしょう!?」
アイラが慌てたように声を上げた。
身体が熱くてたまらない。このような症状に、彼女は覚えがあった。
(そうだわ……私……昔、ヴィルヘルム陛下に媚薬を盛ろうとした……)
今や人々の記憶に薄れつつある、マデリーンが主犯となって起こした事件。
ヴィルヘルムの妻の座を何としても手に入れたかったマデリーンは、舞踏会で彼のグラスに媚薬を盛るという暴挙に出た。
もちろん、当時まだ十七歳のマデリーンが一人で計画したことではなかった。
『いい?マデリーン。男ってのは下半身で考える生き物よ。あなたと王太子殿下の身体の相性が最高だってことがわかれば……いくら嫌っていたとしてもあなたを妻にしてくれるわ』
義母である公爵夫人からそのことを聞いたマデリーンは、まんまと信じて媚薬を入手した。
当然、彼女自身はそのような行為を体験したことがなかったし、本当のことを言えば不安でたまらなかった。
しかし、ヴィルヘルムへの思いが強すぎるあまり、犯行に及んでしまったのである。
彼が媚薬の入ったドリンクを飲み、正気を失った状態でマデリーンを抱くことにより、計画は成功に終わる。
はずだったが、そう上手くはいかなかった。
『何だこれは……変な味がする……!』
ヴィルヘルムは渡されたドリンクに異変を感じ、飲み込む前に全て吐き出してしまったのだ。
その後、マデリーンは王太子の飲み物に薬を混ぜたとして一時期牢に入れられることとなった。
しかし、混ぜたものが毒ではなく媚薬だったこと。ヴィルヘルム自身が彼女の極刑を望まなかったこともあり、マデリーンはすぐに釈放されることとなった。
当然、父からはどこまで恥を晒す気かと激怒された。
マデリーンを唆した義母は最後まで彼女を庇うことはなく、知らんぷりだった。
(……悪いことをすれば、いつかは自分に返ってくるとは言うけれど)
――まさかこのような形で報いを受けるとは、マデリーンは思いもしていなかった。
「陛下……いかがいたしましょう?王宮医を呼びましょうか?」
「いいえ……医者は呼ばなくていいわ」
原因が媚薬であることがわかっている以上、対処法はわかっている。
(時間が経てば効果はなくなるはずだから……それまでの辛抱よ……)
マデリーンはそう考えることで、何とか心を保った。
ソフィアに嵌められたことを、彼女は今になって知った。
(私を苦しめようってこと?なかなか考えたわね……)
今日はヴィルヘルムの誕生日。
彼が自身の誕生日を憂鬱に思っており、部屋から一歩も出ないのは有名な話だった。
ヴィルヘルムの目が届かない今日を狙ってわざとやったのだろう。
マデリーンは何とか部屋へ戻ろうと、アイラの肩を借りた。
――そのとき、背後から声がかかった。
「――王妃陛下、こんなところにいらしたんですね」
「………誰よ、あなた」
振り返ると、知らない男が立っていた。
まるでマデリーンがここにいることをわかっていたかのような口ぶりだった。
(コ、コイツ……見覚えがあると思ったら、ソフィアの護衛騎士の一人じゃない……!)
男はニヤニヤしながら、ゆっくりとマデリーンに近づいた。
「王妃陛下、辛そうですね―――私が助けてあげましょうか?」
その言葉の意味がわかり、鳥肌が立つ。
媚薬を飲ませて終わりではなく、どうやら男に襲わせるまでついて来るようだった。
「ア、アンタ……ソフィアのやってることわかって言ってるわけ!?」
「さぁ、何のことだか」
彼はとぼけたが、嘘をついているのがバレバレだ。
マデリーンに向かって伸ばされた手を、咄嗟に掴んだのはアイラだった。
「陛下に近づかないで!アンタなんかが触っていいような人じゃないんだから!」
「な……生意気だぞ、女……!」
アイラはそのまま、男の腹を殴りつけた。
「グッ……」
「ざまあみろ!」
余程の力をこめて殴ったが、男は少しよろめいただけで致命傷には至らなかった。
当然だろう、彼は騎士でアイラはか弱い女性。力の差は歴然だった。
「お前、俺にこんなことしてただで済むと思ってんのか?」
「アンタが側妃の手下か何だか知らないけど!王妃陛下に手を出そうとするなら、私だって黙っていられないわよ!」
驚くことに、アイラはマデリーンを守るように立ちはだかった。
「ア、アイラ……」
「陛下、そこでじっとしていてください。騒ぎを聞きつけた騎士様がすぐに来てくださいますから、それまでの辛抱です」
アイラはマデリーンを前に笑ったが、その表情からは滲み出る不安を隠しきれていなかった。
薬の作用で動くことのできないマデリーンを抱え、女性が一人で屈強な男と向かい合う。彼女はまだ二十歳だった。なんて強い心力を持っているのか。
「アンタ、側妃に言われてやってるのね?あの女、普段は清楚ぶってるくせにとんだ極悪女ね!そんな女についてるアンタも愚かだわ!」
「お前、何もわかってないな」
アイラの挑発の言葉を、彼は嘲笑った。
男はゆっくりと近づくと、アイラの耳元で囁いた。
「――側妃ソフィアの悪事はな、こんなもんじゃねえんだ」
「……どういうこと?」
恐ろしくなったアイラは、咄嗟に男から距離を取った。
男は欲にまみれた顔で、言葉を続ける。
「あの人は俺が知る限り、この世で最も悪を極めた人だ。望むもののためなら何でもやってのけるんだよ―――たとえそれが、死刑になるような大罪だったとしてもな」
「……!」
ゾッとするような囁きに、アイラの顔から血の気が引いていく。
普段強気で大半のことには臆さない性格の彼女が、ここまで追いつめられたのは初めてだった。
――その瞬間、男がアイラの側頭部を拳で殴った。
「キャアッ!」
「ア、アイラ……!」
殴られたアイラは勢い余って倒れ込んだ。
力が強すぎたのか、彼女はそのまま意識を失った。
倒れたアイラには目もくれず、男はゆっくりとマデリーンに近づいた。
その瞳には、下心がしっかりと見て取れた。
男に手首を掴まれ、マデリーンは抵抗することもできずにただじっとしていた。彼はニヤッと口角を上げ、そのまま彼女を人目につかない場所へ引きずり込もうとした。
そのとき、突然空気を一変させる低い声が、静寂に包まれた夜に響き渡った。
「―――ここで何をしている?」
「……!」
驚いて振り向くと、ヴィルヘルムが立っていた。
いくら夜遅いとはいえ、今日はまだ彼の誕生日。毎年部屋から出ないはずの彼が、なぜここにいるのか。
「陛下……どうして……」
「こ、国王陛下!?」
二人は驚いた目でヴィルヘルムを見上げた。
氷のように冷たい彼の瞳が、男を真っ直ぐに射抜いた―――
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