57 香水
数日後、マデリーンはロベルタ伯爵夫人の元へ訪れていた。
ロベルタ伯爵の妻である夫人は、青い髪を持つ華やかで若々しい女性だった。
おそらく伯爵と同年代で、夫との間には成人した二人の子供がいる。
「――王妃陛下、ご機嫌いかがでしょうか」
「顔を上げてください、伯爵夫人。会えて嬉しいです」
マデリーンと伯爵夫人は挨拶のあと、握手を交わした。
夫人はロベルタ伯爵家の正妻にして、調香師としての一面も持っている。その腕はたしかで、伯爵夫人の作る香水は何と隣国の王女殿下も使っているのだという。
「紹介しますわ。私の研究室です」
「まぁ……すごい数の香水ですね」
マデリーンは伯爵家の敷地内にある小屋に通された。
室内には香料として使う花や柑橘系の果物、スポイトや試験管などの実験器具が置かれていた。
(良い香りがするわ……)
ちょうど、試作品の香水が一つ机の上に置かれていた。
「子供が成人してからは、一日のほとんどをここで過ごしているんです。週に数回だけ、夫の元に帰っていますわ。あっちもあっちで事業が忙しいようですし、顔を合わせることはあまりないんです」
「あら、そうだったのですね」
よく見ると、小屋のすぐ横に別邸があった。
おそらく夫人は本邸に帰ることなく、別邸で寝泊まりしているのだろう。
ロベルタ伯爵夫妻の仲の良さは有名だったため、ほとんど別居しているとは思ってもいなかった。
「陛下がくださった薔薇の花はとっても良い香りでしたわ」
「ありがとうございます、実は国王陛下からプレゼントされたんです」
夫からのプレゼントであることを知ると、夫人はあら……と口元に手を当てた。
普段聞くことのない国王夫妻の秘話に、驚いているようだ。
「あの花を使って陛下に香水をプレゼントしたいと思って……今日夫人の元へ来ました」
「そうだったのですね……そういえば、あと少しで国王陛下のお誕生日でしたね」
マデリーンはコクリと頷いた。
香水事業には元々興味があったし、一度くらいは自分の手で作ってみたいとも思っていた。
(陛下にあげるプレゼントなら手を抜けないし……きっと良いものができると思ったのよね)
香水を作るなど、普通の貴族令嬢がやりたがるようなことではない。
上手にできるか不安はあるけれど、夫人の手を借りればそれなりのものができるのではないだろうか。
「では、始めましょうか。陛下にとって、きっと良い体験ができますよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします、夫人」
マデリーンはロベルタ伯爵夫人の下で、香水の製作を始めた。
伯爵夫人と共に、マデリーンは薔薇の花を部屋に運び入れた。事前に夫人に贈っていた真っ赤な薔薇の花は、以前にも増して水の中で美しく咲いているように思えた。
「いつ見ても素敵な花ですね。陛下はよほど王妃様を大切に思っていらっしゃるようです」
「いやぁ……そんなことはないと思いますけど。ただ、変な噂が立たないように配慮してくださっているだけですよ」
マデリーンの言葉に、伯爵夫人は何か言いたそうに彼女を見つめた。
他者にどう思われていようと、ヴィルヘルムがソフィアを愛していることに変わりはない。
ソフィアが代わりを務められるようになれば、マデリーンはお役御免だ。
そのときのために、彼女はいつでも王宮を去る準備はできている。
「さぁ、陛下。始めましょう。国王陛下の誕生日に素敵なものを用意しませんと」
「……ええ、そうですわね」
マデリーンは頷き、早速作業を開始した。
まず、二人は薔薇の花から、花びらを取り除いた。
「わぁ、意外と簡単に取れるんですね」
「棘に注意してください。王妃陛下の綺麗な御手に傷を付けるわけにはいきません」
「まぁ、ちょっとくらいは大丈夫よ……あ、痛ッ」
棘で刺した部分に血が滲み、夫人はギャーと声を上げた。
軽い治療を終えると、二人は作業を再開した。
取り除き終えた花びらを、蓋が付いているガラスの瓶に入れた。
(わぁ、鮮やかで綺麗ね)
このまま水とビーズでも入れたらそれだけで何かができそうである。
後に知ったことだが、ヴィルヘルムがプレゼントした薔薇はドゥフトボルケと呼ばれるものだった。
別名香りの雲と言われ、フルーティーな香りが特徴的な薔薇である。
「瓶にアルコールを注げば一旦は完成です」
「……こんなにもすぐ完成するんですね」
一定量のアルコールを注ぎ、ロベルタ伯爵夫人は瓶の蓋を閉めた。
一旦は完成と言われ、マデリーンはあまりにも早い終わりに驚いた。
「ここから先は、陛下の腕の見せ所ですよ」
「……私の?」
伯爵夫人は蓋の閉めたガラス瓶を、マデリーンの手に握らせた。
「今から花びらを丸一日漬けておく必要があります。手順を書いた紙をお渡ししますので、あとは陛下の手でなさってください――私が触らないほうが、国王陛下も喜ばれると思います」
夫人はニッコリと笑い、マデリーンの手を両手で握った。
彼女の香水の良い香りが、マデリーンの鼻をくすぐった。
「伯爵夫人、何から何までありがとうございます」
「いえいえ、夫がお世話になっているお礼ですわ」
マデリーンは必ず素敵な香水を作ると夫人と約束した。
その後、彼女は薔薇の入ったガラス瓶を持って王宮へ戻った。
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