54 ヴィルヘルムとダニエル
マデリーンは大慌てでヴィルヘルムから距離を取ろうとしたが、彼がなかなかその手を離さなかった。
「へ、陛下……もう平気ですから」
「……」
ヴィルヘルムは黙り込んだまま、マデリーンをじっと見下ろしていた。
マデリーンは女性にしては背が高いほうだ。しかし、男性の中でもかなり高身長なヴィルヘルムとは頭一つ分ほどの差がある。
それに加え、彼女は華奢だった。
筋肉質なヴィルヘルムの身体に、すっぽりと収まっている今の状況は何だか恥ずかしかった。
「……無礼な真似をして悪かったな」
「い、いえ……助けてくださってありがとうございます、陛下」
ヴィルヘルムは両腕から彼女を解放した。
名残惜しくはあったものの、マデリーンが望んでいないので仕方がない。
それにしても、どうしてこんなにも切ない気持ちになるのだろうか。
ウィリーとして過ごしているときと、ヴィルヘルムとして彼女に接しているとき。
マデリーンの態度が明らかに違うことに、彼はショックを受けていた。
「ソファで寝る気か?」
「はい、陛下は私のベッドで寝てください」
「お前がソファで寝るんなら、俺は床で寝るよ」
ヴィルヘルムがここまで頑固な人間だとは、マデリーンも知らなかった。
言い争いをしたところで睡眠時間が削られるだけなので、ここは我慢だ。
「……ベッドで寝ますね、私」
「ああ、じゃあ俺はソファで寝る」
マデリーンはいつも通りベッドに入り、ヴィルヘルムはソファに横になった。
ベッドに横たわると、ちょうどヴィルヘルムの姿はソファの背に隠れて見えなくなった。
(陛下と同じ部屋で寝てるってだけなのに……どうしてこうも緊張してしまうのかしら)
マデリーンは言葉では言い表せない複雑な感情を抱きながらも、明かりを消した。
――二人にとって長く深い夜が訪れた。
すぐに眠りについたマデリーンと違って、ヴィルヘルムはなかなか寝ることができなかった。
部屋の中から聞こえてくる彼女の吐息が、彼を狂わせた。
手を伸ばせば届く位置にいるのに、触れることができない。
勇気のない自分が情けないし、もどかしくてたまらない。
そんな状況で、二人はそれぞれ夜を過ごした。
***
翌朝、マデリーンは外から聞こえる小鳥のさえずりで目を覚ました。
時刻はちょうど朝の八時。九時間も寝られたのは久しぶりだった。
「陛下……やっぱりソファで寝たのがいけなかったのでは……」
「いや、違うから心配しないでくれ」
一方、ヴィルヘルムは寝られなかったようで、目の下にクマを作っていた。
本当はベッドのせいではなくマデリーンが同じ部屋にいたせいだったが、そんな気色悪いこと本人に言えるわけがなかった。
「陛下、侍女を呼びましょうか?」
「いや……一人で着替えられるから必要ない」
ヴィルヘルムは先代王妃の虐待が原因で女性が苦手になってしまったため、彼の暮らす宮殿に侍女はほとんどいない。
いたとしても、彼と関わることはほとんどなかった。
若き国王の美貌に惹かれて侍女を志願した者たちは一度もお目にかかることができず、がっかりしてやめていくのだとか。
着替えを終えた頃、部屋にセヴェランスの侍女が入ってきた。
「陛下、お客様がいらっしゃっています」
「……俺にか?」
マデリーンではなく、ヴィルヘルムに会うためにセヴェランス公爵邸を訪れるとは何とも不思議な話だ。
一体どこの誰だろう。彼は通してくれと命じた。
「――陛下、こんなところにいらっしゃったんですね」
侍女と入れ替わるように部屋に入ったのは、ヴィルヘルムの侍従ダニエルだった。
「ダ、ダニエル……」
「あら、オーウェン卿……」
ヴィルヘルムよりもずっと酷いクマを作って現れたダニエルは、満面の笑顔で彼に近づいた。
「げ、元気にしていたか?ダニエル」
「元気にしてるように見えます?」
ダニエルは彼の前まで来ると、その胸倉を掴んだ。
「――テメェ何してんだよ、マジで」
「わ、悪かったって……帰ったら仕事やるから……今日は見逃してくれないか?」
ヴィルヘルムは何とか言い訳を繰り返した。
必死の説得が利いたのか、ダニエルは彼の胸から手を離した。
「帰ったらやるんですね?」
「あ、ああ、もちろんだ。絶対にやる、絶対」
「……わかりました、今回だけは特別に見逃しましょう」
ダニエルは頭を抱えながらも、ヴィルヘルムの約束を受け入れた。
というか、そんな乱暴な言葉を陛下に向かって平然と言う人だったのか。
昔からの付き合いとは聞いていたが、ちょっぴり驚きである。
(……あら、何か今の感じってウィリー卿と接してるみたいだったわね)
妙な既視感を覚えたが、気のせいだろう。
ダニエルが帰ったあと、ヴィルヘルムは彼のいないところで愚痴を溢した。
「アイツ、いくら長い付き合いだからって俺は王族だぞ?不敬にもほどがあるんじゃないのか?」
「そ、それはそうですね……」
ヴィルヘルムは子供のように頬を膨らませた。
普段大人びている彼だが、近しい人の前では年相応――いや、それ以下の姿を見せることもあるようだ。
そんな意外な一面に、マデリーンは少しだけ驚いた。
「アイツ、昔頭に十円ハゲできてこの世の終わりかってくらい落ち込んでたくせに……」
「……ふっ、ふふっ」
そこでマデリーンは、堪えきれなくて吹き出してしまった。
彼女は笑いながら何とか言葉を紡いだ。
「陛下ったら、オーウェン卿の秘密をそう簡単に暴露するものではありませんわ」
「……王妃」
彼は失言をしてしまったことに気付き、照れたように顔を背けた。
「でも、何だか素敵な関係ですね。羨ましいです」
「……」
ヴィルヘルムとして初めて見る、屈託のないマデリーンの笑顔に、また彼の心が乱された。
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