41 ヴィルヘルムの暗い過去
――ヴィルヘルムはまだ幼い頃の夢を見ていた。
物心ついた頃には実の母親はすでに他界していて、彼は父である国王と義母の王妃によって育てられた。
とはいっても、父はほとんど彼の育児には参加していなかった。
仕事が忙しいのと、類を見ない女好きだったこと。側室の一人だった母が亡くなったあとも、他に女を囲っては遊びを繰り返していた。
『ヴィルヘルム、お前は私の唯一の子だ。母親の身分など気にしなくていい。王太子として、気高く生きろ』
『……はい、父上』
会えば必ずと言っていいほど口にしたその言葉。
唯一の子、王太子として――それらは常に彼を縛り付けていた。
他に父の血を引く子供がいればまだ心も楽になっただろうが、王家の子はヴィルヘルム一人だけ。
お前の代わりはいないのだと、彼は常日頃から言われ続けた。
傍から見れば最低な父親だっただろうが、彼をより苦しめていたのは義母である王妃のほうだった。
『――ヴィルヘルム』
『……母上』
彼の記憶にある義母は、いつも優雅な笑みを浮かべている人だった。
貴族令嬢だった頃から社交界の華として知られ、公務も完璧にこなす彼女は王妃の鑑とまで言われていた。
――ヴィルヘルムだけが、彼女の本当の姿を知っていた。
毎晩のように王妃に秘密の部屋へと連れて行かれ、彼は言葉にならない屈辱を与えられ続けた。
まだ幼かったヴィルヘルムは、その行為を理解していなかった。なぜ、王妃がそれほどまでに自分を苦しめようとするのかも、全て理解できないままでいた。
『あなたは一体誰に似たのかしら?その顔……憎たらしくてたまらないわ』
まるで拷問のような仕打ちは、彼が五歳の頃から始まり、十五歳まで十年もの間続いた。
王妃はいつも、王妃宮にある隠された秘密の部屋を使用していたため、誰かが彼の苦痛に気付くことはなかった。
だから、王妃宮は今でも彼にとって憂鬱な気分になる場所だった。
彼女は躾と称し、彼に鞭を振るうことも多々あった。
心も身体もボロボロにされ、ヴィルヘルムはとうとう父王に助けを求めた。
『ヴィルヘルム、王妃がそんなことするわけないだろう?お前が何か悪さをしたんじゃないのか?』
国王は、たった一人の息子の言葉を信じることなく、笑った。
そして彼のことなど気にも留めず、また別の女のところへ向かうのだった。
しかし彼が十五歳を迎えた日、一人の王妃専属侍女の勇気ある証言により、彼女の罪は全て明らかになった。
真実を知った国王は王妃を捕らえ、処刑した。よって、ヴィルヘルムに危害を加えようとする者は誰もいなくなった。
だが、父は息子が負った心の傷からは目を背けた。
かつて彼の証言を信じなかった負い目があるからだろうか。国王は徹底的にヴィルヘルムを避け、出来る限り顔を合わせないようにした。
母も父も、周囲にいる人間たちから見放された彼は、人間不信になった。
特にヴィルヘルムの女性に対する嫌悪感は凄まじかった。
義母から受けた仕打ちは、永遠に彼の記憶に刻まれ、彼を苦しめ続けた。
ヴィルヘルムは今まで誰一人として愛することができなかった。
彼の心の傷は修復できないほどに抉られ、たとえ誰であろうと癒やすことはできない。
たしかに、そう思っていたのに――
「……」
自室のベッドの上で仮眠を取っていたヴィルヘルムは、ゆっくりと目を開けた。
時計を見ると、彼が眠りについてから、三時間ほどが経過していた。
こんなにも長く昼寝をするのは久しぶりだった。
「……またあの夢か」
彼は義母の死後四年が経過した今でも、たびたび幼少期の夢を見ることがあった。
あの一件は、ヴィルヘルムにとっては消えないトラウマとなっていた。
まだ部屋の中は明るいというのに、どうしてこんなにも暗い気持ちになるのだろうか。
この頃気が沈むと、彼はある人物の顔を思い浮かべるようになった。
「王妃……いや、マデリーン……」
彼女を下の名前で呼んだのは初めてだった。
結婚する前はセヴェランス令嬢、結婚後は王妃と、ずいぶん他人行儀な呼び方をしていたから。
「マデリーン……お前が恋しい……」
脳裏に彼女の眩しい笑顔が浮かび、ヴィルヘルムの胸が締め付けられた。
今すぐに彼女に会いたい。
彼女の温かい身体で、俺を包み込んでほしい。
そんなことを考えているうちに、マデリーンの幻影が見えたような気がした。
誰かを愛することがこんなにも辛いとは、想像もしていなかった。
「会いたい……」
夫が妻に会いに行くのは普通のことだが、今までマデリーンにしてきたことを思えばどうしても行動に移せなかった。
今さらどんな顔をして、彼女に会いに行けばいいんだ。
それに、マデリーンは既にヴィルヘルムへの愛など抱いていないようだった。
「次会えるとしたら、来週のボランティアのときか……」
会議をキャンセルしてでも行かなければ、とヴィルヘルムは心に決めた。
そのとき、部屋の扉がノックされた。
ベッドに座ったまま返事をすると、ダニエルが中に入ってきた。
「陛下、ご報告が」
「……どうした?」
ヴィルヘルムは落ち着いた様子でダニエルの言葉を待った。
だが、そんな彼にとんでもない事実が告げられた。
「――王妃陛下が騎士の男と会っていたようです」
「………何だと?」
マデリーンが俺以外の男と会っていた?
その姿を想像するだけで、彼はいてもたってもいられなくなった。
ヴィルヘルムはすぐに立ち上がると、そのまま全速力で王妃宮へと駆け出した――
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