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夫から三十年も放置されましたので、お飾りの妻は平気です~今さら愛されても困ります~  作者: 春乃りぜ
第一章 回帰しました

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23 気になる彼女

――今でも、鮮明に覚えている。



真っ暗な部屋の中で、金髪の女性が赤い唇を醜く歪ませた。

周囲はその姿を上品だと評したが、本当の姿を知る彼からしたら、全くそうは見えなかった。



『ヴィルヘルム。私と一緒に楽しいことをしましょう?』



彼女はそう言いながら、彼の小さな細い腕を引っ張った。

いくら女性相手とはいえ、子供が大の大人に力で敵うはずがない。

彼はそのまま引きずられ、部屋の奥にある秘密の空間に、強引に押し込まれた。



その場所は彼ら二人しか知らない場所だった。

つまり、誰かが助けに来ることはない。



今日も彼は、助けが来ないという絶望の中で、苦痛に耐えながら生きなければならなかった――



「……下、陛下」

「……」



誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。

きっと気のせいだろうと、彼は返事をしなかった。



「――陛下!」

「……ダニエル?」



耳に響いた大声で、ヴィルヘルムはハッとなって我に返った。

侍従のダニエルがずっと彼を呼んでいたのだと、今になってようやく気が付いた。



「……どうかしたか?」

「それを聞きたいのはこっちです、陛下。さっきからずっとボーッとしていらっしゃったではありませんか」

「……さっきからだと?」



そんなにも長い時間、俺は茫然自失状態だったのか。

元々真面目なヴィルヘルムは、仕事中に他のことを考えていること自体が珍しかった。

心ここにあらずな彼に気付いたダニエルが、ニヤニヤしながら尋ねた。



「一体何を考えていらっしゃったのですか?陛下」

「……いや、くだらないことだ」



ヴィルヘルムは先ほど頭の中を支配していた幼少期の記憶については言わなかった。

わざわざ言わなくともダニエルは知っていることだ。暗い話をして場の雰囲気を気まずくするわけにもいかないだろう。



「もしや、陛下。今朝見た王妃陛下のことを考えていらっしゃったのではありませんか?」

「……王妃?何を言っている?そんなわけが――」



ないと言いかけて、彼は言葉を止めた。

先ほどまで考えていたのは王妃ではなかったが、最近彼女のことが頭から離れないのはたしかだった。



(仕事中に何を考えているんだ、俺は……)



自らの身体に起きている異変を、彼は理解できなかった。



「やはりそうだったのですね。陛下はわかりやすいですから」

「うるさいな、お前は気にならないのか?」

「王妃陛下のことがですか?」



ヴィルヘルムは無言で頷いた。

彼の質問の意図を知ったダニエルは、今朝のマデリーンを思い浮かべた。



「そうですね……今日の朝食の王妃陛下は、たしかに前とはかなり雰囲気が違うように感じられました」

「だろう?それにあの返答……」



ヴィルヘルムは今朝の彼の問いに対するマデリーンの答えが気に入らなかった。

特に、最近何をして過ごしているのか聞いたときだ。



『最近……特に変わりのない日々を過ごしています』



目を逸らしながら、マデリーンはたしかにそう言った。



「俺の気を引きたいのなら、普通は本当のことを喋るはずだよな……だが、あの場で王妃は嘘をついた」

「その通りですね。陛下の寵愛を得ようと画策しているのなら、善行をこれでもかとアピールするでしょう」



マデリーンが嘘をついたことを、ヴィルヘルムは知っていた。

彼は影から事前に彼女の近況を聞いていたから。それでもいちいち尋ねただなんて、意地悪な男だと自分でも思う。



「なぜ……彼女はボランティアのことを言わなかったんだ?理解できないな……」

「何言ってるんですか、陛下。女性の気持ちなんて一回も理解できたことないでしょうに」



ダニエルから放たれる嫌味ですら、今のヴィルヘルムには気にもならなかった。

ただ、マデリーンのことが気になってたまらない。そのせいで彼は最近仕事が捗らなかった。



「陛下、王妃陛下のことが気になるのはかまいませんが……」



ダニエルはヴィルヘルムに縋り付くようにその肩を掴んだ。

気のせいか、力が強すぎて肩が痛い。



「仕事くらいしてくださいよ!?陛下の仕事が終わらないと私も終わらないんですから!?」

「わ、わかったわかった……悪かったって……」



ダニエルはここ最近のヴィルヘルムの不調のせいで、何日にもわたって残業をこなしている。

目の下にクマがあり、まともに眠れていないのが伝わってくる。



「周囲に迷惑をかけているという自覚がおありですか?大体陛下は昔からいつもそうやって――」

「……ちゃんとやるから、落ち着け」



ヴィルヘルムは彼の手を掴み、強い力で引き剥がした。

そして、小声でボソリと呟く。



「…………今は、お前の小言を聞いていられるような気分ではないんだ」

「陛下……」



その一言で、ダニエルは今彼がどれだけ心を乱されているかを悟った。

こんなにも余裕のなさそうなヴィルヘルムは珍しい。長年彼を見てきているダニエルですら、そう思えるほどだ。



「……陛下、どうしても王妃陛下のことが気にかかるのであれば、私に一つ提案があります」

「提案……?」



ダニエルはヴィルヘルムの耳元に唇を近づけると、そっと囁いた――




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