18 ヴィルヘルムの心配
側妃ソフィアと別れたあと、マデリーンはそのまま自室へと戻っていた。
気のせいか、先ほどよりも歩くスピードが速い。もしかすると、側妃に言われたことで傷付いているのだろうか。
彼女の後ろをついて歩いていた侍女は不安になり、マデリーンに声をかけた。
「王妃様……大丈夫ですか?」
「……」
マデリーンは何も言わず、歩き続けた。
やはり、ソフィアに言われたことにショックを受けているのだろう。
近頃明るくなったマデリーンだが、実は繊細だ。特にヴィルヘルム関連となると、小さなことで傷付いてしまう。
「側妃様……あそこまでデリカシーがないとは知りませんでした。王妃陛下も言い返せばよろしかったのに」
その一言に、マデリーンはようやく足を止めた。
振り返った彼女は、傷付くどころかきょとんと首をかしげていた。
「……え?何が?」
「え」
マデリーンは何を言っているの?とでも言いたそうに侍女に尋ねた。
その反応に、侍女は困惑した。
「ソフィア側妃様の発言で何か思うところがあったのでは……」
「あら?彼女、何か言ったかしら?」
「お、覚えていらっしゃらないのですか!?」
侍女は驚きのあまり大声を上げた。
誰よりもソフィアを目の敵にしていたマデリーンだったのに、つい数分前の彼女との会話を忘れているだなんて。
マデリーンは周囲をチラチラと見たあと、小声で侍女に囁いた。
「それより私、ちょっとお手洗いに行きたいの……」
「まさか、それでいつもより歩くのが早かったんですか?」
「そうよ?そんなこと恥ずかしくて言えるわけないでしょう?」
マデリーンは頬をほんの少しだけ赤く染めた。
ソフィアのことで傷付いていたわけではなく、ただお手洗いに行きたくて急いでいただけだったのだ。
侍女は色々と言いたいことはあるが、ひとまず安心した。
「い、いってらっしゃいませ……王妃陛下……」
「ええ、いってくるわね」
侍女は昨日と変わらないマデリーンを、笑顔で見送った。
強がっているのではなく、彼女は本当にソフィアのことなど気にも留めていなかった。
***
「――陛下、王妃陛下がソフィア側妃様と接触したようです」
「何だと!?」
ブホッ――とヴィルヘルムは飲んでいた紅茶を噴き出した。
ちょうど白いシャツを着ていたため、零れた紅茶でシャツがビショビショになってしまった。
侍従が呆れたようにヴィルヘルムに声をかけた。
「あーあ、陛下何してるんですか……シャツが紅茶色になってるではありませんか」
「し、仕方ないだろう……お前こそ、突然そういうこと言うのやめないか」
ヴィルヘルムが噴き出した紅茶はシャツだけでなく、机の上の書類にまで飛び散っていた。
真っ白なシャツに真っ白な書類。白いものがことごとく犠牲となってしまったのである。
侍従はヴィルヘルムを椅子から立ち上がらせた。
「早く着替えましょう。侍女を呼びますか?」
「いや……いい。着替えくらい一人でできるし、お前が手伝え」
「陛下は相変わらず人をこき使うのが好きだなぁ」
嫌味たっぷりの発言を、ヴィルヘルムはもはや気にも留めなかった。
彼の侍従――ダニエル・オーウェンは伯爵家の次男であり、ヴィルヘルムとは幼い頃からの付き合いだった。
ヴィルヘルムにとって最も信頼のおける部下であり、彼に無礼な発言をできる唯一の人間でもあった。
「――陛下、着替えをお持ちしました」
「ああ、ご苦労」
彼が侍女の代わりに服を持ってくるよう命じたのは、本宮に配属されている執事だった。
噂が立つのを恐れているのか、彼は女性を執務室に入れないことを徹底している。
入ったことがあるのはマデリーンとソフィアの二人くらいだろう。
着替えの服を受け取ったヴィルヘルムは、汚れたシャツを脱ぎ捨てた。
鍛え上げられた彼の肉体が姿を現わした。膨らんだ胸筋や六つに割れた腹筋は、まるで彫刻のように美しかった。
「陛下、いつ見ても綺麗なお身体ですね。陛下に抱かれる側妃様が羨ましいです」
「お前、今日はいつもより無礼な発言が多いな」
ダニエルの冗談に、彼は眉をピクリと上げた。
今の冗談は流石に度が過ぎていたと、ダニエルも感じ取ったようだ。
「ところで……さっきの話の続きだが……」
「ああ、王妃陛下が側妃様とお会いしたという話ですか?」
ヴィルヘルムはシャツのボタンを閉める直前で手を止め、ダニエルのほうを向いた。
その顔には、心配の色が滲んでいる。
「その……何か、トラブルはなかったか?」
「……いえ、特にはありませんでしたよ。王妃陛下は声を荒らげることもなく、穏やかな口調で側妃様に接していたそうです」
「そうか……」
ヴィルヘルムはふぅと安堵の息を吐いた。
ソフィアに何かあったらどうしようと思っていたが、そんな心配は杞憂だったようだ。
「……彼女のお腹には子がいるんだ。王家の血を引く、大切な子がな」
「ええ、もちろんわかっていますよ。国民たちが王孫の誕生を今か今かと待ち望んでいますから」
彼の心配に、ダニエルは笑顔で言葉を返した。
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