10 妻の様子が変だ
マデリーンが王妃宮に着いた頃、彼女を監視していた人物は本宮にある一室へ向かっていた。
周囲の目を気にしながら宮殿内を歩いた彼は、国王ヴィルヘルムの執務室の扉をノックした。
「――陛下、失礼いたします」
「入れ」
中から声がかかると、彼は音を立てないように扉を開けて室内に入った。
侍従はおらず、中にいたのはヴィルヘルムただ一人だった。
彼は身に着けていたローブのフードを外すと、ヴィルヘルムの前で床に膝をついた。
「――言われた通り、王妃陛下の一日の動向を監視しました」
マデリーンの監視を命じていたのは、ヴィルヘルムだった。
ヴィルヘルムは無表情のまま影を見下ろし、口を開いた。
「ご苦労だったな、王妃には気付かれていないか?」
「はい」
影はゆっくりと立ち上がり、一枚の報告書を手にした。
彼の持つ紙には、マデリーンの今日の行動が全て細かく書かれている。
ヴィルヘルムは覚悟を決めて尋ねた。
「それで……どうだった?」
特に期待はしていなかった。
自分でもなぜこんなことを命じたのか、説明がつかなかった。いつまでも執務室に押しかけないマデリーンを、ヴィルヘルムは不審に感じていた。
ただ気になっただけで、彼女が恋しくなったわけではないと、彼は必死で自分に言い聞かせていた。
「王妃陛下は今日、朝の九時に起床されたようです」
「九時?ずいぶんと遅い時間だな」
日課となっているヴィルヘルムへの朝の挨拶は、いつも八時には行われる。
やたらと濃いメイクをし、着飾っているマデリーンのことだ。おそらく二時間前……六時には起きているのだろうと思っていた。
「ええ、昨日王妃宮では王妃陛下と使用人たちの間でパーティーが行われていたようです。そのせいか、今日はいつもより遅めに起きられました」
「パーティー……やはり昨夜の騒音は王妃たちだったのか」
昨日の夜、ヴィルヘルムはたまたま王妃宮の前を通りかかった。
宮殿から漏れる騒音を不思議に思ったものの、いちいち行って確認するようなことはしなかった。
(結婚してから一年もの間、一度も王妃宮へ行ったことがないというのに……今さらどんな顔して宮へ入ればいいと言うんだ)
気にならないわけではなかったが、そのような過去があるせいか、彼は躊躇してしまった。
夫が妻の宮殿を訪ねるのは当たり前のことだが、マデリーンとヴィルヘルムは普通の夫婦ではなかった。
「今日は絶対に何か言ってくると思ったんだがな……」
実は昨日の夜、ヴィルヘルムが王妃宮の前を通ったのは側妃のいる後宮を訪れた帰りだった。
王宮にいる侍女たちは噂好きで、国王と側妃のゴシップを絶対に放ってはおかない。わざわざ聞かずとも、宮殿内の噂は自然と耳に入ってくるのだ。
『陛下!昨日側妃の元へ行ったとは一体どういうことですか!?』
マデリーンはヴィルヘルムが後宮へ行くたびにいつも押しかけては苦言を呈した。
初夜から放置するだなんてありえないとか、側妃だけを寵愛するとあらぬ噂を立てられるだとか。ヴィルヘルムは彼女の文句にうんざりし、いつもまともに話も聞かずに追い返していた。
(……今思えば、彼女の言ってることは案外間違っていなかったな)
ヴィルヘルムは今になってようやくそのことに気が付いたようだった。
しかし、既にやってしまったことを悔いたところでどうしようもなかった。
「それで……日中は何をしていたんだ?」
「執務を終えた後は外へ出ていらっしゃいました」
「外へ出ただと?」
一体何をしに?
ヴィルヘルムの頭の中に純粋な疑問が浮かんだ。
国王の次に地位の高い王妃が宮殿を出るなど、本来あまりないことだ。
特にマデリーンは日中はほとんど自室に引きこもっていると聞く。
久しぶりに遊びにでも行ったのだろうか。
しかし、マデリーンの行動はヴィルヘルムの予想斜め上を行くものだった。
「それが……教会でのボランティアに参加していました」
「…………ボランティア?」
マデリーンにはとても似つかわしくないその言葉に、ヴィルヘルムは呆気に取られていた。
聞き間違いではないかと一瞬疑ってしまうほどだ。
ヴィルヘルムは険しい目で影を問い詰めた。
「何の冗談だ?」
「冗談ではございません、陛下」
影は間髪入れずに答えた。
彼の真剣な表情から、どうやら事実のようだった。
「ボランティアだなんて……王妃がか?」
「はい、怪我人の治療や犯罪歴がある者の就職などの相談に乗っていたそうです」
「……」
詳しい活動内容に、ヴィルヘルムはさらに衝撃を受けた。
犯罪歴がある者の更生に、あのマデリーンが携わっていると?
彼女自身が既に犯罪者みたいなものだが、一体どんな心境の変化があればそんなふうに変わるのか。
額を手で押さえたヴィルヘルムに、影が尋ねた。
「陛下、どうかなさいました?」
「いや、何でもない……お前は引き続き王妃の動向を監視してくれ」
「承知致しました」
彼は一度影を部屋から出し、一人になった。
「あのマデリーンが、ボランティア活動だと?」
いくら信頼できる影からの報告だったとしても、にわかには信じられない。
一度も気にかけなかった妻だが、今になって彼女のことが頭から離れなかった。
(……一体、何が起きているというんだ?)
彼は執務室の窓から見えるマデリーンの暮らす王妃宮を、無言のままじっと眺めた。
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