7話
「妃としての自覚を持てと言っただろう、馬鹿者が」
「マクシム様・・!」
氷のような冷たい怒りを向けられて、私は顔を歪めた。痛いくらいに強く引かれた腕と共に、今自分が置かれている現実に、意識が一瞬で引き戻される。ここは国中の貴族達が集まっている場。しかも婚約のお披露目の場で、殿下を放って他の男の元へ駆け寄るなんて、醜態を晒す訳にはいかない。
でも・・アークがすぐそこに・・
「エレン!」
彼の方も私を見つけたのだろう。アークの悲痛な叫びが聞こえた。私が再び彼の方を振り返って、一瞬だけ目と目が合った、そのとき。
「マクシム。エレンを部屋へ」
殿下────・・
私の横を通り過ぎたジオラルド殿下は、そのまま取り押さえられたアークの方へ歩みを進めた。嫌な予感がして。私は必死に手を伸ばし、殿下の腕の裾を捕まえた。
「お願い。彼に酷いことしないで」
必死の懇願をした私に、殿下が一瞬向けた目は冷たかった。ぞくりと、内臓が震えるくらいに。僅かに繋ぎ止めた裾を振り解き、殿下は私を無視して歩いて行く。心に逆巻く不安の渦が、どうしようもなく膨れ上がって、私は必死で彼の背中に追い縋った。
「お願い! 殿下────」
「行くぞ」
マクシム様と数人の兵士が私の身体を引く。
「お願い・・!」
私はまるで犯人の一人かのように、会場から連れ出された。部屋に戻され、扉の前には護衛なのか監視なのか、兵士らが置かれた。どうする事もできず、私はひたすらに祈り続けた。どうかアークが無事でありますように・・!
どれくらいそうしていたのだろう。部屋の扉が開かれ、入ってきたのは、それが許される唯一の存在。
「殿下・・」
私は立ち上がり、彼の胸に縋りついた。
「アークはどうなったんです!? まさか処罰を受けるなんてことはありませんよね!?」
「・・不当な侵入者に対して、何も罰を与えず解放するわけにはいくまい」
「・・! 彼をどうしたんです・・?」
「アークには一兵卒への降格処分と、ギガバルト要塞へ転属してもらう」
危険な辺境に────?
「お待ち下さい! 彼は私と一度話がしたいと、そう願い出ただけじゃありませんか! どうかご再考を!」
「ならん。これは判例から見ても、相当な処分だ」
「私が代わりに罰を受けますから!」
私の必死の懇願は、殿下の意思を綻ばせることは無かった。むしろ彼は、不快を露わにした。
「そのような事が許されると思うか? 個人的な感情で処分を軽くするなど、上に立つ人間のする事ではない! いい加減に我儘を言うのはよせ」
最近よく向けられている、本気の怒りをぶつけられて、私は唇を噛んだ。
わがまま・・? これは全部、私が悪いの?
恋人がいるのに婚約者に指定されて、その恋人は私のせいで辺境に送られて、それでも私は名誉な事だからって、喜ばなきゃいけないの?
そんなの無理だよ。私は殿下の操り人形じゃない。私にだってちゃんと、心があるんだよ────?
「・・殿下が何の説明もなしに、私たちを引き離したからじゃないですか・・」
私だってアークと話がしたかった。このまま結ばれることは無理でも、せめてお別れの理由くらい、ちゃんと自分の口で伝えたかった。
彼は何も悪くないのに。どうしてそんな事すら許されないの?
「私は上に立つ人間なんかじゃありません。王太子妃になんかなりたくない。うちは確かに貧乏だったけど、両親は私を愛してくれました。私はそういう、平凡な幸せが欲しかっただけなのに」
涙と一緒に、今まで積もり積もった憤りが、どんどん溢れ出してきて。止まらなくなってしまって。
「騎士を目指すように言ったのは殿下でしょう? なのにどうして今更、妃になれだなんて言うの? 無理ですよ私には。剣の腕しか磨いてきてないのに!」
そして私は────絶対に口にしてはいけない言葉を、言ってしまった。
「もう私の人生を振り回すのはやめて下さい。・・貴方と居るのが、もう辛いです」
****
殿下の隣を歩く、あの女の姿を目にした時・・激しい頭痛と、目眩を覚えた。
何度打ちひしがれた事だろう。幼い頃から繰り返されるこの光景。それを目にする度に心に植え付けられたのは、深い挫折感。だけどそれでも私たちが絶望しなかったのは、あの方の隣に居るあの女は、いつも男装で剣を携えていたからだ。あの女はいつも、こう言っていた。
「私は殿下の護衛です」
私たちはそれを信じた。その言葉に一縷の望みを繋いだ。しかし真実はどうだ。
今日あの女は煌びやかなドレスを身に付け、殿下の横でしおらしく微笑んでいた。最高級の指輪や耳飾りを輝かせて。そしてあの女の頭上には、私たちがそれを手にする為に血の滲むような努力を重ねてきた・・黄金のティアラが乗せられていた。それこそが、あの女の言葉が嘘であった、何よりの証明ではないか。
許せる訳がない・・あんな卑怯な方法で殿下の隣を独占してきた、狡猾なあの女を。私たちが馬鹿正直に努力する姿を見て、嘲笑っていたであろうあの女を。
ああ、恨めしい・・卑劣なエレン・スペンサーを許すまじ────。
「全く・・エレンのような下品な貧乏人を婚約者に指定するなど、殿下と王室にはがっかりだわ」
「護衛騎士だなんて言って、結局は虎視眈々と婚約者の座を狙っていたという訳ですわね」
「学生時代から騎士コースに入ってまで殿下の隣を独占していたのですもの」
「本当に、なんという卑怯者かしら。卑しい貧乏人は成り上がるために手段を選ばないのね」
「このままやられっぱなしでは私達の気が収まりませんわ。・・ねぇ、皆さん?」
「もちろんよ。何か考えがあるの? マリアンヌさん・・」




