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ヴィクトリア朝の特許事務所 ― 魔法の権利、保護します  作者: みんとす
第二章 魔法が詐欺でなくなる日
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6. お前も父親と同じだ

 母なら分かると思った。父がどう壊れたか知っている人間なら、自分がどう壊れたかも分かる。


 足が母の工房の前で止まった。ボンド・ストリートから二本入った路地。仕立て師の看板。窓が開いていた。


 扉を開けた。鈴が鳴った。


 マーサ・グレインジャーは作業台に向かっていた。白髪が増えた。だが針は動いている。布を刺し、糸が通り、引く。父が図面を描いている間、この手で食卓に皿を並べた。父が失敗した後も、この手で縫い続けた。


「アラベラ」


 振り向かなかった。針は止まらなかった。


「座りなさい」


 アラベラは椅子に座った。工房の空気はアイロンの蒸気で重かった。七月の熱気と蒸気が混ざって、天井の低い部屋を満たしている。秋物の仕立てを夏にやる。手を止めない女だった。


「仕事は」


「閉めてきました」


 針が一瞬止まった。すぐに動いた。


「何があったの」


 アラベラは話した。ブリジッドのこと。意匠登録。聴聞。告発側の逆用。紙が凶器になったこと。全部話した。守るって、こういうことだったの——ブリジッドの声がまだ耳に残っていた。


 母は縫い続けていた。ブリジッドの手に似ていた。だがこちらには魔法はない。ただの針と糸と、四十年の技術がある。


 話し終えた。母は針を止めた。糸を切った。


「お前も父親と同じだ。何も変わってない」


 アラベラの体が凍った。


「お父さんもそうだった。正しいことを正しくやって、正しさごと踏みつけられた。お前はそうならないように、紙の出し方を覚えたんだろう。法律を覚えて、手続きを覚えて、同じ目には遭わないって」


 母の目は乾いていた。泣いているのではない。二十年前に泣き終わった人間の目だった。


「でも結局同じだ。やり方が違うだけで、潰れ方は同じじゃないか」


 アラベラは何も言えなかった。弁理士が、自分自身の弁護に、証拠を出せない。


「お母さん」


「何」


「お父さんは——」


「あの人はいい人だった。夢を見る人だった。夢を見て、夢のまま終わった人だった」


 母は針を取り上げた。


「お前は違うと思った。でも同じだった」


 針が布に入った。それ以上、母は何も言わなかった。


 アイロンの蒸気が細く上がっていた。窓から夏の夕方の光が斜めに差し込み、蒸気の筋を照らしている。母の指が布を送る。父が死んだ後も動き続けた手だ。止まらない。止まったら、二十年ぶんの疲労が一度に来る。だから止まらない。


 アラベラは立ち上がった。母は顔を上げなかった。


「ありがとうございました」


 なぜ敬語が出たのか、自分でも分からなかった。鈴が鳴って、扉が閉まった。



 通りに出た。事務所には戻れなかった。紙と書類に囲まれた場所は、自分の失敗の記録そのものだった。


 辻馬車の停留所を過ぎ、乗合馬車の標示を読み、脚がそちらに向いた。北。ロンドンの北の外れ。


 乗合馬車は空いていた。七月の夜に墓地へ向かう客はいない。車窓から通りの灯が流れていく。だんだん灯が減り、暗くなり、馬の蹄の音だけになった。


 終点で降りた。砂利道を歩いた。


 名前のない墓地だった。壁が低く、門は開いたままだった。管理人はいない。夏草が墓石の足元を覆っている。手入れする者がいないのだろう。


 GEORGE GRAINGER

 1841 — 1889


 発明家とは書かれていない。紙に残さなかった男だから、石にも何も残らなかった。安い灰色の石。彫り師の手間を省いた、浅い字。雨が十年降れば消える程度の深さだった。


 アラベラはその前に座った。膝を抱えた。手ぶらだった。鞄もない。法令集もない。事務所の鍵だけがポケットの中にある。


 七月の日は長い。西の空にまだ光が残っていた。墓石が日に焼けて熱い。安い石は熱を溜める。掌で触れると、体温よりまだ高かった。


 父に話すことは何もなかった。父に聞きたいことも何もなかった。ただ、紙を一枚も持っていない場所にいたかった。


 上着のポケットに固いものが当たっている。手帳だった。開かなかった。


 風が墓石の角を回った。遠くで鴉が鳴いた。草の匂い。石の匂い。テムズの腐臭は届かない。紙の匂いもインクの匂いもしない。


 光がある限り、ここに座っていられる。



 ——翌朝。六時半。


 ネルは事務所に来た。


 来なくていい、と言われた。だが来た。理由は簡単だった。パーキンズさんの振替日が明後日だった。先生がいなくても、パーキンズさんの期日は動かない。


 鍵穴に鍵を入れた。回らなかった。外から閉めてある。中に誰もいない。


 合鍵を出した。先生が渡してくれたものだ。「私が三日連続で来なかったときだけ使いなさい」と言われた。三日ではない。一日だ。だがパーキンズさんの振替は明後日だ。


 回した。開いた。


 事務所は暗かった。窓が全て閉め切られている。七月の朝なのに、空気が澱んでいた。昨夜ここにいた人間が、空気ごと閉じ込めて出ていった。


 全てのファイルが閉じられ、机の上に積まれていた。先生が閉じたものだ。


 ネルは窓を開けた。一つ、二つ、三つ。朝の風がようやく入ってきた。澱んだ空気が動いた。


 湯を沸かした。紅茶を入れた。一杯ぶんだけ。先生の分は入れなかった。入れたら、来ると期待している自分を認めることになる。


 パーキンズのファイルだけを開いた。先生が閉じたファイルだ。開けてはいけない。だがパーキンズさんが困る。振替日と住所を確認し、手紙を書いた。日付、金額、支払先。間違いがないことを二度確認した。ファイルを閉じ直した。元と同じ位置に戻した。


 それから便箋をもう一枚取った。


 公式文書ではなかった。事務所の用箋ではなく、自分の便箋を使った。


「トリーナさん。ブリジッドさんがミルクをくれたとき、あなたの赤ちゃんは何日ぶりに泣き止みましたか。わたしはあのとき、あなたの顔を見ていました。あの顔を、判事に見せてほしい。でも、行けないなら、行かなくていい」


 封をした。宛先を書いた。証人召喚ではない。法律の文書ではない。だからカー牧師には止められない。


 時計が七時を打った。


 ネルは机の上を見た。閉じられたファイルの列。先生がいない事務所。窓から入る朝の光が、ファイルの背表紙を照らしている。


 一人の事務所は、広かった。


 七時にブライスが来た。帽子を被っていなかった。


「アラベラは」


「いません」


「事務所を閉めたのか」


「鍵がかかっていました。外から。窓も全部閉めてありました」


 ブライスの顔が変わった。皮肉のない顔だった。


「昨日の夜からか」


「はい。わたしが帰った後です。先生は——『明日は来なくていい』と言いました」


 ブライスは窓の外を見た。七月の朝の光がリンカンズ・インの石畳を白く照らしている。


「俺が探す。お前はここにいろ」


 ネルは頷いた。トリーナ宛ての封を机の端に置き、次の便箋を引き寄せた。


 便箋の先頭に日付を書いた。明日の日付だった。

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