69話 狂おしき情念の残滓 2
お読みいただきありがとうございます。 みたの回想の続きです。
伏見稲荷編が完結するまで残り5話ほど。これまで主人公の「榮」は、仲間の活躍をただ傍観してきていただけですが、この先、榮はどのようなアクションを起こすのか――
追記 1話から12話までを修正しました。
――だが、その幸福な夜は、二度と戻らない一瞬の夢に過ぎなかった。
「あれは……!?」
翌日の夜。
空を覆い尽くした不吉な黒雲から、天を割るような巨大な落雷が城の天守閣を穿つ。
それに伴って激しい炎が天守を包み込んでいくのを、みたは境内からただ呆然と眺めていることしかできなかった。
(……確認しに行くか……)
不安に胸を押しつぶされそうになりながら城の敷地へ忍び込んだわしは、屋根の陰から慌ただしく行き交う城の関係者たちの会話を耳にする。
『天守閣に雷が落ちたぞ! 火を消せ!』
『……かみしろ様は!?』
『ダメだ、天守にいらっしゃった……あの炎では、もう助からん……!』
彼らが交わすその言葉を聞いた瞬間、みたの何かがけたたましく崩れ去った。
(助からない―死んだ――守れなかった―――)
心臓が激しく脈打ち、彼女の精神を錯乱させ、
「あっ……グルル………がぁぁぁあ!」
喉がちぎれんばかりの叫びとともに、背から解き放たれたのは山吹色に輝く九本の巨大な尾。
雷を降らせた天を呪い、かみしろを護れなかった己を呪い、みた――九尾は狂乱のままに絶望の焔を吐き散らす。
◇
荒れ狂う暴風雨の中。
吹き荒れる神威の炎は建物を破砕し、逃げ惑う人々を容赦なく飲み込み、焼き尽くした。
大地を切り裂く十メートル程の九尾の咆哮が、夜の京都全土をさらなる絶望の渦へと叩き落としていく。
「オオオオオオオオオオオオンッ!!!」
もはや誰も止められない惨劇の渦中―――突如として、九尾の視界を鋭い白刃の一閃が切り裂いた。
気配もなく現れたのは、颯爽とした姿の謎の女侍。
彼女は狂い咲く炎の嵐を軽やかにかいくぐると、凄まじい剣気とともに一刀で、九つの尾のうち『三本』を切り落としたのだ。
「グルルゥゥゥ……!」
激痛と同時に膨大な神力が削ぎ落とされ、荒れ狂っていた狂気が一気に冷え込んでいく。神力を失い、その場に崩れ落ちて沈静化した九尾の女は、抗う術なく地面に突っ伏して、女の侍を前に意識を飛ばした――。
そして……。
災いで生き延びた者たちの間から、『九つの尾を持った化物が暴れ狂っていた』という恐ろしい噂が瞬く間に広がる。
噂が広まりきると、人々が強く非難したのは伏見稲荷大社であった。
当然のことか。九尾がいるという伝承は、昔からこの神社で伝わってきたのだから。
指弾されるのも当たり前……か。
かつて人々から敬われていたはずの神社は一変し、恐怖と憎悪の対象へと成り下がった。もはや神ではなく「禍をもたらす化物」とみなされた九尾の女は、討ち果たされ、小さな祠へと閉じ込められたのだ。
木の扉には無数の札が隙間なく貼り付けられ、光の届かぬ闇へと沈められる。
九尾の暴走の代償はあまりに重く、人々の狐に対する印象は劣悪なものとなり、境内に立ち並んでいた狐の銅像も憎悪を込めて打ち壊されてしまった。
◇
祠の漆黒の闇の中、みたを苛み続けたのは、己が引き起こした罪の深さそのもの。
静寂の中、目を閉じれば今も鮮明に浮かび上がる。炎に包まれて消えたかみしろの面影。そして、彼を失った絶望に任せて焼き尽くしてしまった、無数の無辜の人々の悲鳴と激痛の記憶。
(わしは……何ということをしてしまったのじゃ……)
かみしろは、人間を愛し、みたにも「人間として共に生きよう」と温かな手を差し伸べてくれた。それなのに、己が解き放った狂乱の焔は、彼が愛した街も、人々も、すべてを無慈悲に灰へと変えてしまったのだ。
『大切にしてください。俺が言わなくても……どんな気持ちなのか、伝わりますよね……』
あんなにも優しく響いていた彼の言葉が、今では鋭い刃となって胸を刺し穿つ。
もし彼がこの惨劇を見たら、どれほど悲しむだろう。どれほど失望するだろう。
「すまぬ……すまぬ、かみしろ……っ」
届くはずもない謝罪を、暗闇の中で何度も何度も呟きは泣く。
九つの尾のうち三本を斬り落とされ、力の大方を失った身体は重く冷たい。だが、どれほど体が痛もうと、胸の奥で渦巻く後悔と罪悪感に比べれば何の痛みにもならなかった。
――そうして、人々に煙たがられながら、忘れられていく神社と共に時を過ごした何百年。
冬の間は凍てつく寒さに悶え、夏は逃げ場のない暑さに苦しめられた。かつて気品さえあった巫女姿も、いまや見る影もなくおんぼろになっていた。
みたは神ゆえに空腹こそはない。だが、それでもかみしろに会いたいという、歪んでしまった空腹のようなものがあった。
人々を何千何万と殺したくせに、未だ一人の男に縋り付きたいという「執着」を持つ。もう、神でもなんでも無い存在になっていたのだ。
◇
時が経ち、現代になる。
荒れ果てていた境内の空気はいつしか一変し、伏見稲荷はふたたび多くの人々が行き交う賑やかな場所へと戻っていた。
無数の朱色の鳥居が立ち並び、訪れる人々の楽しげな歓声や祈りの声が、祠のすぐ外まで届いてくる。人々の恐怖と憎悪は時の彼方に消え去り、かつての活気を取り戻していたのだ。
しかし、外の景色がどれほど華やかに変わろうとも、祠の中に閉じ込められたみたの心だけは凍りついたまま。
「神様、どうか家族が健康でありますように」
「仕事がうまくいきますように」
無邪気に届けられる人々の願い事を聞くたびに、みたの胸の奥で歪んだ情念がうずく。
(皆、己の幸せばかりを願うて……。わしの願いは、たった一つだというのに………誰がお前たちの祈願など聞き入れるか……)
何千何万の命を奪った己が許されるはずもない。それでも尚、人々の無垢な祈りの声を雑に聴きながら、みたは「かみしろに会いたい」という深く醜い執着を抱え続けていた。
――そこから更に月日が立ち、出会いは突然訪れた。
みたが一時的に心を入れ替え、ほんの少しだけ外の世界と関わりを持とうとした時期に友となった男――「蒼真」
彼がある日、境内の奥近くへと連れてきたのが『榮』。
暗闇と執着の中で途方もない年月を過ごしてきたみたにとって、その出会いは止まっていた刻が再び動き出す、大きな転機となるのだった。
みたの心にあった黒い霧が晴れる。
何せ榮の姿は、かつてのかみしろに瓜二つであった。
その立ち姿、優しい眼差し、面影を残す顔立ち――視界に捉えた瞬間、みたの胸の奥で眠っていたあの醜くも苛烈な「執着」が、途方もない濁流となって湧き上がりそうになる。
(かみしろ……かみしろなのか……!?)
手を伸ばしたい、抱きしめたい、もう二度と離したくないという強烈な衝動が全身を駆け巡る。しかし、みたは破滅的な欲望に呑まれそうになる心を、必死でぐっと堪える。
「どうしたんですか?」
「あ……いや、なんでもないのじゃ」
かつて己の感情に任せて暴走し、京都を焼き尽くしてしまった悲劇。そして何より、かみしろが大切にしようとしてくれた「人間としての優しい心」を踏みにじってしまったあの後悔が、踏み止まらせる楔となったのだ。
(同じ過ちは二度繰り返さぬ――)
だが強くなる興味を抑えきれず、おずおずと彼の名を呼んでしまった。一方、榮はあの日のかみしろとそっくりの「ひょんとした顔」をして、
「はい……?」
その表情に魂を大きく揺さぶられたわしは、「どうしても、榮ともっと話がしたい」と願いを蒼真に伝える。
「いいですよ。なら、俺と五葉は先に帰ってますね」
「うむ……じゃが良いのか?」
「え? 別に俺は構わないですけどね。でも五葉がなんていうか……」
蒼真の真横にいたのは、身の丈が百四十五前後のおなごであった。
それと特徴的な点が三つあり、
一つ目は光沢のある淡い黄色の目。
二つ目は透き通るように美しい白髪の髪。
三つ目は不気味なほどに可憐で整った美顔。
そして常人とは一線を画す、周囲を呑み込まんとするほどの隠された覇気を纏っていた。
「いいよ。みたさんがそうしたいならそうすればいいんじゃない? 別に私は止めもしないけど……でも、榮に変なことしないでね」
なんじゃ、この小生意気なおなごは。変なことなど……するわけない……のじゃ。
それにわしは決心した……。
「言われなくとも分かっておるわい。
まあ取り敢えず蒼真、そやつを頼んだぞ」
「はい。みた様もまた明日」
「う、うむ。また明日じゃ」
――二人きりになり、静まり返った境内に残されたのは、みたと榮。
胸の奥がまた重く脈打つのを必死に抑え込み、みたは緊張で強ばる声をごまかすように小さく息を吐いた。
「……行くぞ榮。静かな場所へ案内してやる」
「はい。よろしくお願いしますね」
「………」
こうしてみたは彼を促し、昔偶然見つけたあの静謐な「神域」へと足を踏み入れたのだった。
歪な思い出の追憶。
それはここで終わる――
本作品はフィクションです。実在の人物、建物、事件等とは一切関係ありません。




