68話 狂おしき情念の残滓 1
投稿期間が空いてしまい、申し訳ありませんでした!
みたが、かつての切ない「思い出」に浸る話です。多いので2話に分けます。
◇
アスピラの猛毒によって、今も尚みたの体は全身に至るまで、毒が張り巡らせられていた。体は思うように動かせず、口を開こうとすれば少しの血反吐を吐き、悶絶してしまうような状態である。
そんな死の間際であるみたの狐耳を、なんの躊躇もないまま引っ張って持ち上げ、眼前にいる榮に見せしめたアスピラ。
此奴には、人の痛みを理解するというような気持ちは一切ないのだろう。それ故に、罪のない人間を貪るように殺してきた、と見受けてもおかしくはない。
――しかし、殺人鬼を表すようなアスピラに怖気づくこともなく、榮は拳を上げてわしを助けてくれたのだ。
想定していなかったのか、榮に頬を怒りの拳で殴られたアスピラは、その場に尻もちをつきながら困惑しているようだった。
「逃げるぞっ……みた!」
地面に横たわっていたみたの腕を、榮は半ば強引に引き上げた。そして背中にみたの体を乗せて、神域の出入り口へと無我夢中に疾走する。
榮が走り続ける数秒間、みたの脳内でかつての「愛憎半ばする思い出」が刻々と蘇ってきたのだった――。
◇◇
江戸時代
京都でのある夏の終わり頃――
伏見稲荷大社の主祭神でありながら、人の目に触れぬよう静かに暮らしていたわし。そんなわしの前に現れたのが、『かみしろ』であった。
初めて会った時の彼は、酷く怯えていた。
狐耳を生やし、薄い琥珀色の髪色をした女、当然人間ではない。そんな存在におののくのは、普通に考えればそれは当たり前のこと。
だが、京の街で重責を背負い、心に隠した傷を抱える彼と過ごすうちに、二人はいつしか境内の敷石の上で言葉を交わす特別な間柄となっていったのだ。
――城の警備が終われば、伏見稲荷へ来るのが日課になっていた彼は、今宵もわしに会いに来てくれたのだ。
「神様、今日も美しい夜ですね」
かみしろとの会話が、鮮明に蘇る。
「そうじゃな……じゃが、かみしろよ。お前さんのその手、どうしたのじゃ?」
「あぁ、これは少し火傷した跡ですよ」
彼は軽い火傷だと苦笑していたが、わしにはこれがただの怪我だとは思えなかった。
「嘘をつけ。お前さん、何も隠す必要などないのじゃぞ?」
「いえいえ、嘘なんかじゃありませんよ。ただの怪我ですから――」
「声色と表情でバレバレじゃぞ……」
「……バレてましたか」
かみしろの手の甲から腕の付け根にかけて、薄紅色に焼けた痕がくっきりと見えた。
どうしてこれで嘘だと言えたのか。正直に話せば良いものを……。
「そんなことより、神様。俺達が出会ってもう一年ですし、そろそろ貴方様にもちゃんとした名前がなきゃ」
突然、木の濡縁から腰を上げたかみしろがそう呟く。
「名前……か。じゃが、そんなものは要ら――」
「うかのみたまのおおかみ、でしたっけ? 正式名称。長くて嫌じゃありません? 名前、考えましょうよ」
神の言葉を最後まで聞く耳を持たず、畳みかけるかみしろ。
まあ、いつもの此奴らしいな。
「うかのみたまのおおかみじゃなくて、『みた』にしましょうよ」
「みた……か。随分とまあ、親しみやすい名前じゃな。しかし、嫌いでもない響き――気に入った」
「……ん?」
「ふえっ!? いやだから、お、お前さんがそういうのなら、べつにそれでもよ、良い……のだそ?」
気に入った気持ちを自分なりに伝えたのに、焦って声が途切れ途切れになってしまった。
な、何か変に思わせたかのう……。
(こ、こやつの反応は……?)
「気に入ってくれたんですね! 良かったぁ。じゃあこれからは、『みた』って呼びますね!」
特に気にしてなさそうじゃな。良かったわい。
「す――あーもう、好きにしろ!」
「なんで怒ってんのさ……」
急に距離を詰めてくるからじゃろ。そりゃ焦るわ。
しかしまあ、いちいち人を困らせるやつじゃのう……。
照れて驚くみたを横目に、突然、かみしろはこちらに右手を差し出してきた。
「これ、何だと思います?」
「わ、分からぬ。なんじゃ?」
「これはですね、翡翠の石です」
かみしろが差し出したのは、千年の歳月を眠り、大地の深くで呼吸を続けたような、静寂の深緑をした石である。
「この石は、俺がつい先月、海に面した地域に訪れた際に発見したものなんです。どうやらこの石は凄く貴重で、滅多に見つけることができない代物らしいのですよ。だから、今すごく大切にしているんです」
「そ、そうかい。大事にするのじゃぞ」
そんなに大切なものなら、何故この場で見せつけてきたのじゃ。一体、此奴は何を考えておるのだ?
「とても大事にしてる物です。誰かにあげようなんてことも、当然思ってもいませんが――」
かみしろはしばし間を開けた後、スッと息を吸い、みたの手に直接触れ、
「みたになら、この石をあげてもいい。……それに、俺はみたの事を一番に思っているから」
突拍子もなく言われたその表明に、みたは驚き戸惑った。心臓の奥底からトクトクと振動が伝わってくるのも分かる。
そして、「みたの事を一番に思っている」――この言葉が、神であるみたを敬っているということなのか、信頼なのか、それとも好きであることの表現なのか。
「大切にしてください。俺が言わなくても……どんな気持ちなのか、伝わりますよね……」
「あ……あぁ……」
今まで、みたはかみしろに対して好意を寄せることはしなかった。あくまでも神と人間の延長線上の関係で慣れ親しんできたためである。
だが、今宵の「この一人の人間」によって、その関係は大きく乱れ始めてしまったのだ。
「みた……俺は今日からあなたを『神様』として見ない。俺のような『人間』として話して、笑って――共に暮らそう」
どこか遠い目をして話す彼の周りには、これまでよりも温かくて柔らかな空気が広がっていた。さらに、共に暮らすという言葉に、みたの頭は余計に混乱してしまう。
「あ、えっと……かみしろ。お主さっきからどうしたのじゃ……? 共に暮らそうだとか、さっきの翡翠を渡したときもそうじゃ。何か言いたいことがあるなら言っておくれよ……」
みたの思考処理は、時すでに追いつかなくなっていた。話題がコロコロと変わるため、伝わってくる情報が多すぎるのだ。
「あと……みた。もう遅いし、最後に一つだけ話すことがある」
また次の話になる。無理じゃ、もう。話すときにあたふたするし、下手な返事は辞めておこう。
お互い困惑しないためにもな。
「明日の天気は多分雨だ。雨と言っても風付きのな」
「………む」
「結構、強めに降るみたいだから、みたも気をつけてな」
「………」
みたがかみしろの目をまじまじと見ている中、彼は愛嬌のある微笑みをして、こちらの頭に手を乗せてきた……。
「ありがとう、みた。あなたに出会えて、俺は心が救われた。幼い頃から身寄りがなかった俺が、唯一心を通わせられた人だ」
そんなことを言うな。今日が最後であるかのようなことを。
「みたは……大切な人が誰かいるの?」
何故聞く。わしが答えなくとも分かっておろう。……まさか、何か意図があってのことなのか?
「……かみしろ……お前さんじゃよ」
みたはぽつりと、掠れた声で呟いた。
「お前さんしかおらぬに決まっておるじゃろうが……バカモノ……」
自分の頭に置かれた手の温もりを感じながら、みたはそっぽを向いて小さく吐き捨てた。
――この時ちゃんと受け入れていれば……。
「あなたらしいな。――そんなところが、俺は愛おしいんですよ」
「むむぅ……。じゃあ、わしもお前が愛おしい! お前の何倍も、何十倍も愛おしいのじゃあ!」
半分自暴自棄になって投げつけられた愛の言葉。しかしかみしろは、そのすべてを大らかに受け止めた。
「ははは、よく言いますね。――本当に」
「ん……?」
最後まで意味深な言葉を残した彼であったが、夜は子の刻をとっくに過ぎていたため、自宅に帰ってしまった。
本当は、まだまだ話していたい。が、かみしろは神ではなく人間、四六時中話していられるわけじゃないし、神と違って睡眠も取らないといけない。
「かみしろ……最後まで、何を伝えたかったのか聞けなかったな……」
みたとかみしろのより詳しい「話」を、今後に出そうかなと考えています。(出すとしたら2章が終わると同時くらいかも)




