4話 『かみしろ』
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『かみしろ』という一言が榮の心には深く残り、答えの出ない問いを抱えたまま迎えた夜――
◇
夜風に当たりながら、ケーキの箱を片手に歩いていた榮。
嫌な汗こそ止まったが、先程の澪華の『かみしろ』という呟きが印象深かったせいか、店を出た今でも耳の奥にこびりついて離れない。
頭をこねくり回し、数分前の出来事を振り返る。
かみしろ。あれは、一体何だったんだ? 俺の名字を呼んだのか? 仮にそうだとしても、俺は神代だし……。
言い間違え、あるいは人の名前ですらない、何か別の意味を持つ言葉だったのか。
「神代」「神城」「上代」――同じ読み方の名字なんて珍しくない。もし本当に俺のことを指していたのなら、なぜ澪華は俺の名前を知っている?
けれど――確証はないが、偶然の呼び間違いとするには、どうにも腑に落ちなかった。
思考を重ねる度、頭にモヤモヤとした重さだけが積もっていく。伴って、ケーキの箱を持つ手に力が入り、紙袋がクシャッ、と音を立てていた。
「はぁ……」
考えたところで、答えなんて出るわけがない。あの女が何者なのか。「かみしろ」が何を意味しているのか。そんなものを一人で考え続けたところで、余計に眠れなくなるだけだな――。
「……もういいか」
頭を軽く振り、榮は考えることを一時的に停止した。
今日くらいは、甘いものでも食べて忘れよう。あの澪華という女のこと、白髪の少女のことも。そう思わなければ、とても平常心なんて保てそうにない。
◇
黙々と歩いていると、いつの間にか我が家に着いていた。玄関の千本格子をゆっくり開くと、
「あら、おかえり榮」
居間から祖母がチラッと顔を覗かせる。
「ただいま」
「遅かったねバイト、お疲れさま」
「うん」と返事をすると、榮は手に持っていたケーキの紙袋を差し出す。
「帰りにケーキ買ってきたよ」
「えっ、本当に? ありがとう」
祖母は少し驚いたように笑い、紙袋を大事そうに受け取る。その会話に耳を立てていたのか、居間にいた祖父も新聞から目を上げた。
「珍しいこともあるもんだな」
「たまには、いいかなって」
そう答えながら、榮は少しだけ「ふぅ……」と肩の力を抜いた。
この家だけは、いつもと変わらない。静かで、温かくて、安心できる場所。だからこそ、さっきまでの出来事がまるで悪い夢だったような気さえしてくる。
――自室へ戻り、ベッドへ腰を下ろし天井をぼんやりと見つめる。
『かみしろ』
彼女が呟いた言葉が忘れたくても忘れられない。一瞬だけもう一度考え込む。
「考えすぎだな……もういい加減、考えるのはやめよう」
殴るように自分に言い聞かせ、部屋の明かりを消す。
静寂の中、意識はゆっくりと沈み、久しぶりに深い眠りへ落ちていく――。
◇◇
榮が眠りについた、同じ頃。
静まり返ったとある家で、澪華は部屋の扉を開けた。すると、リビングで待っていた白髪の少女がすぐに澪華へと駆け寄ってくる。
「おかえり!」
見ているだけで幸せになりそうな笑顔だが、少女の視線は澪華ではなく、手に持っている紙袋へと向けられていた。
「買ってきてくれた? あのケーキ」
「はい。ご希望のショートケーキです」
澪華が紙袋を差し出すと、少女は半ば強引に受け取り、さっそく箱を開封。包み紙を引き剥がし、いざ食べようと顔を輝かせた。
「わぁ……! いただきまーす!」
ショートケーキを大きく一口頬張り、満足そうに顔をほころばせた。
「ん~、おいしい!」
少女の幸せそうな様子を見つめながら、澪華は静かに口を開く。
「……あの少年のことですが」
少女はフォークを動かしたまま、淡い黄色の瞳を大きく開け、どこか不思議そうに小首を傾げている。
「『かみしろ』である可能性があります。……まだ確証はないですが」
少女は「ふーん」とだけ返事をすると、再びケーキへと視線を戻す。
「まあ、今はいいや」
「……え? よろしいのですか?」
「うん。だって、今はおいしいケーキ食べてるんだもん。そっちの方が大事」
口元についたクリームを指で拭いながら笑った。
(はぁ……まったく……)
そんな態度に呆れ、お叱りの言葉を掛けようと思ったが、天使のような顔と笑みに、澪華の発言権は奪われてしまった。
これにはもう、苦笑せざる得ない――
「……相変わらずですね」
「ふふっ、焦っても答えは出ないでしょ?」




