35話 みたの知る『かみしろ』とは
狐の神「みた」に呼ばれた榮は、かみしろという謎に満ちた言葉に直面していく――。
――案内された榮はみたの後を追い、日本家屋の玄関をくぐった。
廊下は丁寧に磨き上げられ、年月を感じさせる柱や梁が静かな温もりを漂わせている。
「こちらじゃ。」
みたは慣れた足取りで奥へ進み、一つの和室へ榮を案内する。
床の間には一輪の白い百合が生けられていた。
「好きなところへ座るがよい。」
「あ、はい。」
みたは手際よく急須へ湯を注ぎ、湯呑みを二つ並べた。
やがて湯気の立つ温かい茶を榮の前へ静かに差し出す。
「飲むとよい。」
「ありがとうございます。」
榮は軽く頭を下げ、湯呑みに手を添える。
「……美味しいです。」
みたは満足そうに微笑み、自分も茶を口に含む。
湯呑みを置くと、みたは榮をまっすぐ見つめる。
「さて。」
「先ほどのかみしろの話じゃ。」
みたは静かな口調で話し始めた。
「蒼真の話は、間違ってはおらぬ。」
「じゃが、あやつは半分ほどしか知らぬ。」
「……半分。」
榮が小さく呟く。
みたは頷いた。
「かみしろというものは、昔から伝わる存在であることに違いはない。」
「しかし、それはただの名字でも、一族の呼び名でもない。」
「かみしろとは、一つの称号であり、一つの系譜。」
「神々より授けられ、神々と共に在ることを許された者たちの名じゃ。」
榮は思わず息をのむ。
「神々……。」
「そうじゃ。」
「まあ……、漢字で神代と書くように、神の代わりと捉えることもできるがの。」
みたは静かに頷く。
「わしら……いや、異能の世界では、この名を知らぬ者はあまりおらぬ。」
「それほどまでにかみしろという存在は、古くから語り継がれてきた。」
榮は疑問を口にする。
「でも……。」
「それなら、どうして俺は何も知らないんですか。」
「それは当然じゃ。」
「普通の人間として育てられたのであれば、知る機会などあるまい。」
「ましてやお前さん、異能というものはあまり知らなそうだしな。」
「は、はい……。」
「むしろ、知らぬ方が自然じゃ。」
そして、みたは少しだけ表情を改めた。
「じゃが、ここからが本題じゃ。」
部屋の空気がわずかに張り詰める。
「かみしろという名は、この人の世で生まれたものではない。」
「……え?」
みたはゆっくりと続ける。
「人々は、この世界を現実世界と思うておる。」
「それは間違ってはおらぬが……。」
「この世だけが世界のすべてではないのじゃ。」
みたの琥珀色の瞳が静かに揺れる。
「はるか昔、人の世とは別に、神々が住まう国が存在しておった。」
「そこを、神国と呼ぶ。」
榮は息を呑んだ。
神国。
神話や漫画の中だけの存在だと思っていた世界が今、目の前のみたという神様の口から現実として語られている。
みたは静かに榮を見つめる。
「そして、かみしろという名は――」
「その神国に由来する名なのじゃ。」
榮は、しばらく言葉を失っていた。
神国。かみしろ。
先程から頭が追いつかない。
みたは湯呑みを手に取り、一口だけ茶を飲む。
そして、穏やかな笑みを浮かべた。
「さて。」
「お前さんをここへ残した理由じゃが。」
榮ははっと顔を上げる。
「……俺を?」
「うむ。」
みたは静かに頷いた。
「この話は、まずお前さん本人に聞かせるべきじゃと思うての。」
榮は姿勢を正す。
「お前さんと初めて目が合った時。」
「わしは、お前さんの目に惹かれた。」
「……目?」
「そうじゃ。」
「その瞳からは、人にはない神々しさが微かに感じられた。」
「強大な力という意味ではない。」
「もっと古く、もっと懐かしい気配じゃ。」
榮は無意識に自分の目へ触れる。
確かに俺は、よく人から『あなたの目を見ると不思議な気持ちになる』と言われるが……。
それを神々しさという意味では、捉えてきていなかった。
みたはどこか懐かしそうに目を細める。
「そしてもう一つ。」
「お前さんの姿じゃ。」
「姿……?」
「うむ。」
みたは静かに頷く。
「お前さんは、わしの知るかみしろによく似ておる。」
その一言に、榮の鼓動が速くなる。
「もちろん、瓜二つというわけではない。」
「じゃが、目元や表情、纏う空気……。」
「ふとした仕草まで、驚くほど重なる。」
みたは遠い昔を思い出すように庭へ視線を向けた。
「初めてお前さんを見た時、一瞬だけ時が戻ったのかと思うた。」
「それほどまでに、面影があった。」
榮は思わず尋ねた。
「その……かみしろっていう人は。」
「俺と、どういう関係なんですか。」
みたは静かに首を横へ振る。
「まだ分からぬ。」
「本当に血が繋がっておるのか。」
「偶然似ておるだけなのか。」
「あるいは、もっと別の理由があるのか。」
そう言うと、みたは優しく微笑んだ。
「じゃからこそ、お前さんと話してみたかった。」
「この目で確かめたかった……、それだけじゃ。」
みたはまだ何か言いたげだったが、榮は黙ってその言葉を受け止める。
自分が何者なのか。
その答えは、まだ霧の中に隠れたままである。




