31話 狂気じみた女の行方
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榮は、今日も澪華のおみまいに行こうとしていたとき、突然蒼真から話したいことがあると言われ――。
――それから数日が過ぎ、澪華の毒の症状は少しずつ落ち着いてきているものの、まだ退院できる状態ではない。
その間、榮と五葉は毎日のように病院へ足を運ぶ。
付き添いの澪華がこの状況なので、当分五葉は榮の家から学校に登校するようにした。五葉の学校が終われば待ち合わせをし、二人で病院へ向かう。
そんな日々が続いている。
そしてあの日以来、アスピラが姿を見せることもない。商店街も、住宅街も、あの日の騒ぎが嘘だったかのように平穏を取り戻していた。
しかし、その静けさが二人の不安を消すことはない。榮は出かけるたびに周囲を気にするようになり、五葉も無意識に人の気配へ意識を向ける癖がついていたのである。
あの日の出来事は、まだ終わっていない。そんな予感だけが、胸の奥に残り続けていた。
――そして、数日後。
たまたま早くバイトが終わり、榮が病院に行こうとしていた時、ポケットの中でスマートフォンが小さく震える。画面を見て、表示されていた名前に榮は思わず足を止めて、
――不在着信『青石蒼真』
榮はすぐに電話へ出る。
「もしもし。」
『ん、榮かな。』
電話の向こうから聞こえてきたのは、落ち着いた蒼真の声。
「はい。」
『急にごめん。少し話せるかな。』
「大丈夫です。」
短い沈黙のあと、蒼真は静かに口を開いた。
『……この前、警察に頼んでいた件なんだけど。』
『どうやら、少し情報が掴めた。』
「……!」
榮は思わず息をのむ。
『電話で話す内容じゃない。』
『できれば、五葉ちゃんも一緒に来てほしい。二人に直接伝えたいことがあるんだ。』
「分かりました。五葉にもすぐ連絡します。」
『ありがとう。』
『あと、病院じゃなくて別の場所で話そう。』
『詳しい場所は、このあとメッセージで送るよ。』
「はい。」
榮はスマートフォンをゆっくり下ろした。
数日間、何の進展もなかった。だが、ついに動き出す。
――アスピラに繋がる、新たな情報が。
――榮が、元々の待ち合わせ場所だった公園へ着くと、五葉はいつものベンチのそばで静かに待っている。
榮の姿に気付き、小さく手を振った。
「あ、榮。」
「待たせた。」
榮はそう言いながら五葉の前まで歩いてくる。
五葉は首を横に振り、
「ううん大丈夫。今日も病院に行こう。」
そう言いかけた五葉だったが、榮の表情を見て言葉を止める。
「……どうしたの?」
「さっき、蒼真さんから連絡があって。」
「え?」
「病院へ行く前に蒼真さんから連絡がきて。」
「この前、警察に頼んでた件で……少し情報が掴めたらしい。」
「……!」
五葉の表情が一気に引き締まる。
「本当に?」
「ああ。」
「でも、詳しい話はここじゃできないって。二人で来てほしいって言われた。」
五葉は少し考え込むように視線を落とす。
「……どこで?」
「病院じゃない。近くのカフェ、そこで待ってるらしい。」
「……じゃあ行こう。」
「ああ。」
二人は公園を後にする。
――しばらく歩くと、一軒の落ち着いた雰囲気のカフェが見えてくる。
「……ここだ。」
五葉も店内へ視線を向け、二人はゆっくりとカフェの扉を開けて、中へ入っていった。
榮は店内を見回す。すると、窓際の席から一人の青年が軽く手を上げ、
「こっちだ。」
二人は席へ向かう。
「お待たせしました。」
「いや、俺も今来たところだよ。」
五葉も小さく会釈をする。
「こんにちは。」
蒼真は二人が席へ座るのを待ってから、表情を少しだけ引き締めた。
「今日は来てくれてありがとう。」
「……早速だけど、本題に入る。」
蒼真はテーブルの上に、一枚の透明な証拠袋をそっと置いた。その中には、黒い革製の財布が入っている。
「これ。」
「財布……?」
それを見て、榮と五葉は目を丸くする。
「実は、君たちの言っていた例の路地裏を、もう一度警察が調べた時に見つかったものなんだ。」
「それは路地裏の植え込みの陰に落ちていたらしい。」
五葉は証拠袋へ視線を向けた。
「それが――彼女の財布だった。」
続けて話す。
「最初は誰の物か分からなかった。でも、中を確認した警察が身元を調べた結果、一人の女性に辿り着いたんだ。」
榮は思わず身を乗り出す。
「アスピラ……なんですか?」
「いや、ある意味違う。」
「財布の中に入っていた身分証には、『宝来愛莉』という名前が記載されていた。」
「……住所はこの地域ではなかったが。」
榮と五葉は同時に目を見開く。
「……え?」
「つまり。」
蒼真は証拠袋を見つめながら言う。
「アスピラという名前では生活していない。少なくとも、普通の社会では宝来 愛莉という名前で暮らしていたらしい。」
榮はこの前の女の姿を思い浮かべる。
あの挑発的な笑み。紫色の瞳。そして、人を躊躇なく傷つける冷酷さ。そんな人物が、普通に生活している。
「……偽名、とかじゃないの?」
五葉の意見に蒼真は首を横に振った。
「その可能性もある。」
「が、警察が調べた限りでは、その名前で生活していた記録はいくつも残っていたらしい。」
「だから少なくとも、『宝来 愛莉』として暮らしていたことは間違いない。」
蒼真はそう言うと、一度言葉を止め、テーブルの上に置かれた証拠袋へ静かに視線を落とす。
「正直に言う。警察がどこまで動いてくれるかは分からない。」
「証拠もまだ少ないし、身元が分かったからといって、すぐに逮捕できるわけでもないから。」
榮は黙って聞いていた。五葉も何も言わない。
――蒼真は拳をゆっくりと握る。その動きは小さいながらも、普段穏やかそうな蒼真が、感情を抑えていることが分かった。
「……でも。」
先ほどまでより少しだけ低い声で、
「その女だけは、決して許せない。」
その短い一言には、強い怒りが込められていた。
榮は思わず蒼真を見る。
病院で見せていた穏やかな笑顔とは違う。今の蒼真の瞳には、静かな怒りが宿っている。
「澪華をあんな目に遭わせた。いや、それだけじゃない。」
「君たちまで巻き込んだ。」
「……俺は普段、誰かを恨むことなんてほとんどない。でも、今回だけは別だ。」
窓の外へ目を向ける。
「もし、その場で誰か一人でも命を落としていたら。……きっと、取り返しはつかなかっただろう。」
静かな口調。だからこそ、その怒りがより伝わってくる。榮も五葉も、何も返せずにいる。
二人もまた、アスピラの危険さを身をもって知っている。あの日、ほんの少し状況が違えば。澪華だけでなく、自分たちも助からなかったかもしれない――。




