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特異社会の『傍観者』として  作者: はるぱる
第一章『日常裏の世界への入口』
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18話 明るい顔にある陰

第18話、お読みいただきありがとうございます!



「知らないっていってるだろ。」


榮がそう答えた後。

紫色の瞳をした少女は、しばらく黙ったまま榮の顔を見つめていた。

やがて、小さく笑みを浮かべる。


「ふーん。」


「君、結構口固いんだね。」


どこか拍子抜けしたような返事だった。


「……そういえば。」


女は突然思い出したように肩をすくめる。


「まだ名前を言ってなかった。」


そう言うと、軽く片手を上げた。


「私はアスピラ。」


「よろしく……って言っても、そんな空気じゃないけど。」


飄々とした笑みを浮かべる。


榮は黙ったまま相手を見つめる。

アスピラは気にした様子もなく続けた。


「で、神代(じんだい)榮。」


「今度は君の番。」


「本当に何も知らないの?」


その瞬間、榮の表情が変わる。


「……待て。」


思わず声が低くなる。


「なんで俺の名前を知ってる。」


アスピラは一度だけ瞬きをしたあと、不思議そうに首を傾げた。


「え?」


「知ってるけど?」


あまりにも当然のような返事だった。

榮の眉間に皺が寄る。


(なんだ、こいつ……。)


自分は、この女に名前を教えた覚えはない。

会うのも今日が初めてだ。

なのに、アスピラは迷いなく「神代榮」と口にした。


背中を冷たいものが這い上がる。


「……誰から聞いた。」


榮の問いかけを聞いたアスピラは、少しだけ目を細めた。


「ふふっ。」


思わず吹き出すように笑う。


「そんなに警戒しなくてもいいじゃん。」


「……。」


「君さ、本当に何も知らないんだね。」


榮は眉をひそめる。


「だから、さっきからそう言ってる。」


「知らないものは知らない。」


アスピラは榮の顔をじっと見つめる。

紫色の瞳が、まるで値踏みでもするように細められた。


「へぇ……。」


「面白い。」


ぽつりと呟く。


「普通なら、もう少しは何か気付いてると思ってた。」


「でも君は違う。」


「本当に何も知らないまま、ここまで来ちゃったんだ。」


榮は表情を険しくする。


「さっきから何なんだよ。」


「俺を知ってるような口ぶりばかりして。」


「知ってるよ。」


アスピラはあっさりと言った。


「少なくとも、君が思ってるよりはね。」


その答えに、榮の背筋へ冷たいものが走る。


「……。」


これ以上、この女と話していても何も得られない。

むしろ、不安ばかりが大きくなる。


榮は小さく息を吐くと、踵を返した。


「悪いけど、俺は帰る。」


「話すことはもうない。」


そう言って歩き出そうとした、その瞬間――。

榮が一歩踏み出した、その瞬間だった。


「おっと。」


ガシッ――。


「っ!?」


突然、首に腕が回された。

勢いよく後ろへ引き寄せられ、榮の体勢が大きく崩れる。


「ぐっ……!」


腕が喉へ食い込み、息が詰まる。


「なっ……!」


榮は慌てて腕を掴み、振りほどこうと力を込める。

だが、びくともしない。

見た目からは想像できないほどの力だった。


「離せ……!」


苦しそうな声を漏らす榮に、アスピラは少しだけ頬を膨らませた。


「もう。」


「勝手に帰ろうとしないでよ。」


「まだ話は終わってないんだから。」


その口調はどこか軽い。

まるで友人を呼び止めるような調子だった。

しかし、首へ回された腕の力は決して軽くない。


「話すことなんてない……!」


榮は必死に腕を引き剥がそうとする。


「俺を放せ!」


アスピラは少し考えるように首を傾げる。


「んー……。」


「放したら逃げるでしょ?」


「だから却下。」


そう言って、腕に少しだけ力を込めた。


「ぐっ……!」


息がさらに苦しくなる。榮の顔がわずかに歪んだ。

その様子を見ていた通行人たちが、次第に足を止め始める。


「えっ……。」


「なんか揉めてない?」


「大丈夫なの、あれ……。」


商店街を歩いていた人々が、不安そうな表情で二人を見つめる。

買い物帰りの主婦。学生。

店先にいた店員までもが異変に気付き、ざわめきが広がっていく。


「誰か警察呼んだほうがいいんじゃ……。」


「首締めてるぞ。」


「止めなくて大丈夫なのか?」


周囲の空気が一気に張り詰める。


それでもアスピラは、どこか面倒くさそうに小さくため息をついた。


「……あーあ。」


「人、集まってきちゃった。」


紫色の瞳だけを動かし、周囲を見回す。

その表情には焦りよりも、「面倒なことになった」という気怠さのほうが色濃く浮かんでいた。


アスピラは小さくため息をつくと、榮の首から腕を外した。


「はいはい。」


「これでいいでしょ。」


解放された榮は大きく咳き込み、その場で膝に手をつく。


「げほっ……! げほっ……!」


喉が焼けるように痛む。

息を整えながら、榮はアスピラを睨みつけた。


「……何なんだ、お前!」


その声に、周囲の視線がさらに集まる。

アスピラはそんな空気を気にも留めず、軽く肩をすくめた。


「あー、大丈夫大丈夫。」


周囲へ向き直ると、手をひらひらと振る。


「ちょっとした喧嘩だから。」


「心配しなくていいですよ。」


あまりにも自然な口調だった。

まるで本当に些細ないざこざだったかのように笑ってみせる。

しかし、その言葉を聞いた榮は堪えきれず声を荒らげた。


「ふざけんな!」


「いきなり首を締めておいて、何が──」


その瞬間だった。


「……五葉。」


どこか聞き覚えのある、落ち着いた女性の声が響く。


「見つけました。」


榮もアスピラも、反射的に声のした方へ視線を向ける。

商店街から少し歩いた先。

人混みを抜けるように、一人の黒髪の女性が歩いてくる。

そのすぐ隣には、雪のような白髪を揺らしながら、小柄な少女が小走りで続いていた。


「榮!」


五葉は榮の姿を見つけると、その表情を一変させる。

そして、そのすぐ隣に立つアスピラを見た瞬間――。


淡い黄色の瞳から、穏やかな色がすっと消えた。


一方、アスピラはその二人を見るなり、口元をゆっくりと吊り上げる。


「……やっと来た。」


その笑みには、待ち望んでいた獲物を見つけたような愉悦が滲んでいた。

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