1話 夜陰の邂逅
少女を追いかけた路地裏で、神代 榮を待ち受けていたのは――。
ぜひ最後までお楽しみください!
「……っ!」
俺が手を差し伸べようとした瞬間、女の子の目が開かれた。
怯え、あるいは警戒。次の瞬間、彼女は小さな体をバネのように弾ませ、路地の奥へと猛スピードで走り去っていった。
「あ、おい、待てって――!」
声をかけるが、もう遅かった。
子供の足とは思えないほどの異様な速さで、白い髪が夜の闇に溶けていく。
普通なら、ここで諦めて帰るだろう。深夜の不審な出来事として忘れてしまえばいい。
だが、俺の『鋭すぎる目』は、彼女が走り去った瞬間の違和感を、確かに見逃さなかった。
「地面を踏む音が、全くしなかった…」
アスファルトを蹴る足音も、ランドセルが揺れる物音も、一切聞こえなかったのだ。
まるで、重力を無視して夜の空気を滑るように消えていった。
「絶対おかしい」
気づけば俺は、自分の意思でその白い影を追いかけ、夜の街へと走り出していた。
息を切らしながら角を曲がり、白い髪の影を追いかけた――その矢先だった。
「――しまっ、」
突如目の前に現れた人影に、俺は衝突しそうになって足を止めた。
そこに立っていたのは、見惚れるほどに綺麗な、長い黒髪を持った高身長の女性だった。
仕立てのいいスーツのような服をまとい、夜の闇に溶け込みそうなほど凛とした佇まいで、ただ静かにそこに佇んでいる。
年齢は20歳ほどだろうか。
こんな夜中に、こんな路地裏に、不釣り合いすぎるほどの美女。
恐る恐る、俺はその女性の顔を見上げた。
目が合った、その瞬間。
「……っ!」
彼女は、息を呑むほどに冷たく、刃物のように鋭い眼光でこちらをじっと見据えていた。
その目はただの一般人を見る目じゃない。
「……君」
静まり返った路地裏に、彼女の低くかすれた、ハスキーな声が響く。
氷のように冷徹で、それでいて有無を言わせないような迫力があった。
「この子になにか、用があるの?」
逃げ出そうとした俺の足は、完全に床に縫い付けられたように動かなくなっていた。
だけど、俺の感覚が恐怖で悲鳴を上げている理由は、目の前の女性じゃない。
俺の『目』は、凛として佇む彼女の背後――薄暗い路地のさらに奥を捉えていた。
そこに、いた。
さっき逃げ去ったはずの、あの白髪の少女が、こちらをじっと見つめて立っている。
「なんだ、この圧倒的な空気…」
少女の小さな体から、街の空気をすべて凍らせるかのような、おどろおどろしい圧迫感が放たれていた。
突然、静まり返った路地裏に、幼い声と低い声が響いた。
「君、喋らなきゃわからないですよ」
彼女は冷ややかな視線のまま、呆れたように話した。そして、少女は距離をこちらに近づけながら話す。
「もういいよ澪華、その人はただの『にんげん』だよ」
「……そのようですね。ですが、あなたをここまで尾行してきた理由を……」
「んー…そうだね。あ、でも、澪華はもう先に帰ってていいよ。後は私が聞いておくから」
「承知いたしました」
澪華という女は、少女に一礼すると、夜の闇へと静かに退いでいった。
立場が逆だ。
あの凛とした大人の女性が、この小さな白髪の少女の命令に、完全に従っている。
路地裏に残されたのは、俺と、白髪の少女の二人だけ。
「さて……」
甘くて幼い声が、凍りついた空間に響く。
少女の淡い黄色の瞳が、じっと俺を捉えた。
向けられた視線一つで、俺の体は恐怖のあまり破裂しそうなほどに強張っていく。
(今、逃げるしかない……ッ!)
少女が小さく一歩、こちらへ足を踏み出そうとしたその一瞬。
本能が絶叫した瞬間、縫い付けられていた俺の足が弾かれたように動いた。
「あはは、バイバーイ。『またね』」
背後から少女の笑い声が聞こえる。
俺はもう、後ろを振りかける余裕なんてなかった。
一目散に路地裏を飛び出し、夜の闇を無我夢中で駆け抜けた――。
毎日毎日変わらなかった俺の日常が、あの狂った空間に足を踏み入れた瞬間、完全に音を立てて崩壊を始めた。
――そして、恐怖に怯えた夜が明け。
『次の日の夜』がまたやってくる。




