12話 少女の気持ちに寄り添って
温かい雰囲気にあった食事から、少女はどのような変化を見せてくれるのか――
――榮たちがおいしくご飯を食べたあと。
食卓には、食後の穏やかな空気が流れていた。
そして祖母が淹れた温かいお茶から、ゆっくりと湯気が立ち上る。
「ほら、お飲みなさい」
「は、はい……!」
少女は湯呑みを両手で包み込み、小さく息を吹きかけて飲む。さっきまで涙を浮かべていた少女の瞳も、今では落ち着きを取り戻していた。
よかった――。
「……おいしかったです」
ぽつりと漏れたその一言に、祖母は目を細めて笑う。
「ふふ、それならよかった。またいつでも食べに来てね」
「え、また来てもいいの?」
「もちろんよ」と祖母は迷いなく頷く。
「私たち、本当は賑やかな方が好きだからね」
ソファに腰掛けている祖父も、湯呑みを口元へ運びながら笑った。
「それに、お嬢ちゃんが遠慮する必要なんてないさ」
「あ、ありがとうございます」
その言葉以外、少女は何も言うことができなかった。
きっとじいちゃんとばあちゃんの、あまりにも優しすぎる人柄に驚いているんだろう。
俺もこの家に引っ越してきたときそうだった。嘘偽りのない笑顔に何度を動かされたか……。
そして少女の満面の笑顔を見て、俺は心の中で静かに安心した。
初めて会った頃なら、こんな開放的な表情は見せなかっただろう。少しずつ、本当の顔を見せてくれるようになっている。
心底嬉しい。
祖父は飲んでいた湯呑みを置くと、平然とした口調で言った。
「今日はもう遅い。よかったら、このまま泊まっていきなさい」
その言葉に少女は目をぱちぱちと瞬かせ、
「と……泊まる?」
「ああ。もう夜も遅いし、君のようなまだ幼い子一人で帰らせるわけにはいかないからね」
祖父に賛同するような形で祖母もコクリと頷く。
「お布団やお風呂は用意できるから、遠慮しなくていいのよ」
少女は少しだけ視線を落した後、榮にどうすればよいのかというような目を向けた。
確かにもう時間的に子供が出歩いていいような時間じゃない。正式な親もいるかどうか分からないし。
「俺も、その方が安心かな。君がいいよって言うならだけど」
「……うん、分かった。じゃあそうする」
そんな少女の答えに嬉しかったのか、祖母は上機嫌に立ち上がった。
「それじゃあ、お風呂の準備をしてくるわね」
と台所を後にする。
子供が好きだからなのか、それとも女の子の世話をしてみたかったからなのか。
俺が家に来た時より対応がスムーズだ。
何故か少し悲しいような。
――しばらくして祖母が戻ってきた。
「そういえば……着替えがないわね」
祖母はしばし考えるように首を傾げると、ふと思い出したように押し入れへ向かった。
この家には女子用の着替えはない。祖父から聞いた話だと、昔はお母さん(榮の母)が暮らしていてその頃は豊富に服もあったが、自立した際に全て捨ててしまったのだそう。
再び戻ってきた祖母の手には、小さく畳まれたシャツと半ズボンがあった。
「女の子の服じゃないけど……。これは、榮が小学生の頃に着ていた服なの」
白いTシャツと、黒の半ズボン。たぶん俺がこの家に頻繁に遊びに来て、わざわざ毎回服を持ってくるのが面倒だからといって買っておいたやつ。
少し懐かしさを感じるその服を見て、榮は思わず苦笑する。
「あ……それ、まだあったんだ」
「もちろんよ。きれいだったから取っておいたの」
祖母は少女へスッと服を差し出す。
「よかったら着てね」
丁寧に保管されていたからか、しわ一つもない服を少女は両手で大切そうに受け取り、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
そのまま祖母に案内されて、リビングから少し出た浴室へ向かっていく。
長い白髪の隙間から見えた少女の小さな背中。そこには食事前の張り詰めた空気はなく、今や体の隅々まで安堵感が満ちているようだった。
数十分後。
少女がお風呂を上がり、居間へ戻ってきた。
着ているのは白いTシャツに少し大きめの黒の半ズボン。
俺が小学生の頃に着ていた服だけあって、袖も裾も少し余っている。だが男子向けの服なので、こればっかりは申し訳ないとも思った。
そして湯上がりのせいか、少女の腰まで届いている長い白髪はまだ少し湿っていた。さらりと流れるその髪は雪のように白く美しく、部屋の明かりを受けて艷やかに深く輝いている。
前髪の隙間から覗く淡い黄色の瞳は、昼間よりもどこか穏やかで優しい。整った顔立ちはまるで人形のようであり、年相応の幼さを残しながらも、どこか神秘的な雰囲気をまとっていた。
その美貌に、榮は思わず目を奪われてしまったが、
――やっぱり普通の子じゃない。
「異能」があることではない。気配、存在そのものが、決定的に一般人とはどこか違う。ここまで少女を見てきて、今やっと結論が出た。
(それと澪華、あの人にも異能があるのだろうか)
……深夜の路地裏、あの異様さは忘れもしない。氷の刃のような鋭い目で俺のことを眺めてきて、「血を吐け」といわんばかりの威圧感を孕んだ声での問いかけ。そんな彼女の放つ威圧感に、俺は恐怖で完全に支配され、何ひとつ答えることができなかった。
あれは異能の効果によるものなのか……?
そうじゃなかったら、あんな常人離れした雰囲気を纏うことなどできない。
「生きるか死ぬか」を選ぶような、まさに土壇場だった。
まあ、どちらかを選択したところで、生きる道は消されていたに違いない。
言葉一つ発せず、その場からなりふり構わず逃げ出したことだけが、唯一、俺の生命線を繋ぎ止めてくれたのだと思う。
まだ澪華については、知らないことだらけだ――。
「……なんかその服、懐かしいな」
巡る思考を強引に切り捨て、照れ隠しを混ぜ込んでそう呟く。ふと少女は自分の着ている服を見下ろした。
「そうなんだ。あとこの服、なんだか私にぴったりですごく着やすいよ」
くすりと微笑みながら、嬉しそうに裾を引っ張ってみせる。
「そ、そうか。あはは……」
この少女が異端な存在であることは変わらない。
この先どう関わっていくかは分からないし、無意識のうちに恐怖から拒絶してしまう瞬間だってあるはずだ。
だけど――いつまでも過剰に恐れて固まっていても、何も変わりはしない。
「変えて……いかないとな」
――その後、祖父母は「おやすみ」と短い声を残し、それぞれの自室へ戻っていった。
しんと静まり返る居間。
壁掛け時計のチクタクという秒針の音だけが、やけに規則正しく響いている。
榮は手にしていた湯呑みをゆっくりと机へ置くと、対面に座る少女へと視線を向けた。
「……ここじゃ話しにくいし、部屋に来るか?」
「……いいの?」
「ああ」と短く答え、榮は椅子から腰を上げる。
「だいぶ散らかってるけど」
「ううん、大丈夫だよ」
少女は小さく頷くと、榮の背中を追ってそそくさとついていく。
◇
六畳ほどの、決して広くはない部屋。
派手な飾りなどは一切なく、必要最低限の家具だけが整然と置かれている。
使い込まれた机の上には、何冊もの参考書と使いかけのノートがうずたかく積まれていた。
数学、国語、英語。
どれも高校で学ぶような内容の教材。
少女は興味深そうに部屋の中を見回すと、机の上に積み上げられた参考書へと視線を止めた。
「……勉強、好きなの?」
榮は机の方を見て、どこか自嘲気味に小さく笑った。
「まあ……時間があればいつもやってる」
「なるほどねー」
少女はいくつかの参考書を見つめたまま、コクリと頷く。
本棚にも小説や教科書だけでなく、歴史や科学に関する本が隙間なく並んでいた。
中には図鑑や専門書まである。
「すごい。榮は勤勉なんだね」
「そんな、大したことじゃないよ。それに、知らないことを知るのって結構面白いんだぞ」
学校に行けない代わりに、俺はただ普通に勉強するのではなく、専門的なところまでも学んできた。
趣味と言ってはなんだが、将来の夢を見つけるためにも良いと思ったから。
特に科学や歴史は、暗記するだけでは得られない味もあるのだ。
まだ誰も見たことのない現象を目の前で実証したり、過去の断片を繋ぎ合わせて、歪められていた歴史の裏にある真実を見抜いたりする。
――そうして「未知の事実を自分の手で解き明かす」
これが自分にとっての理科と歴史の本質なのだ。実に面白い。
「これは……」
少女は分厚い参考書を一冊手に取ってみた。参考書のページには、榮の丁寧な字で要点がまとめられ、何度も読み返した跡が残っている。
「……大事に読んでるんだね」
「まあな。気づいたら、こんなに増えてた」
バイトはもちろんあったが、週に2,3回程しかないので結局することが勉強か読書に。ゲームは無いし、パソコンも無い。(スマホはあるが、主に連絡用用途でしか使わない)
そのため、このように参考書や教科書で溢れかえっている部屋になってしまった。
あと……そろそろ少女の名前を聞かなくては。やはり教えてもらった方が気持ち的にも楽になる。
「そういえば、結局聞けなかったことがあるんだけど。いいか……?」
榮の少し真剣さを帯びた声に、少女は姿勢を正して
部屋の穏やかな空気がすっと張り詰め、いよいよ本題へと切り込む瞬間が訪れた――。
主観の文の場合には一人称を『俺』とかに変えています。
9月8日 追記
榮が科学や歴史について語っていたとこで、榮は「実証したりした」と言いましたが、彼はバイト代の7割を教材や道具に費やしています。なので、それで買った実験道具を使って実証した、と説明を足せばよかったです。すみません。




