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問無抄 ~のら猫と忠犬の虚実録~  作者: ぐるた眠
第一章 白音堂~死者の声が聞こえる村~

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第六話

玄晏(げんあん)(まぶた)をあけると、そこには見慣れぬ無機質な天井が広がっていた。

家具の色目や形が統一され、壁には蝶の紋様が描かれている。


───ああ、今は調査中だったか……。


しばし布団の上でまどろみ、さっきまで見ていた夢を思い出した。


───伯文(はくぶん)兄さん……。


姿の見えぬ「御声聞き」とは反対に、夢に出てきた伯文(はくぶん)は、いつもの快活な笑顔を見せるだけで、声は聞かせてくれなかった。


今思えば、亡き彼と言葉を交わしたあの「御声聞き」もまた、現実ではなく、まさに白蝶の見せる夢に過ぎなかったのだろう。


玄晏(げんあん)が重い体を起こすと、そばの鏡台では、一昨日出会ったばかりの奇妙な男・無咎(むきゅう)が髪を結っていた。


春の陽光が、繊細な顎の骨格や、小ぶりながら筋のとおった鼻を白く照らし出している。


無咎(むきゅう)はこちらに気づくと、そのあどけない顔をこちらに向けた。


朝餉(あさげ)の時間はとっくに過ぎている。あんたの分も貰ってきてやったぞ」


彼が指し示した卓の上には───鍋にたっぷりの粥、山積みの饅頭(マントウ)に、みずみずしい野菜や山菜を使った料理の数々。

ざっと見ても五人前はありそうだった。


「……ふたり分か?」


唖然として問うと、無咎(むきゅう)はあきれ顔で焦茶色の長上着に袖を通す。


「俺は食堂で食った。あんたもさっさと食わないと置いていくぞ」


「いったいどこへ?」


「調査に決まっているだろう」


昨夜の気まずい空気など、まるでなかったような口ぶりだった。


玄晏(げんあん)は少しだけ胸の軽くなった心地がして寝台から立ち上がる。

急ぎ朝餉を平らげているうちに、夢の残り香は消えていた。





「おい。本堂はあっちだぞ」


玄晏(げんあん)が円錐形の巨大な二重屋根を指差して呼びかけると、先を行く無咎(むきゅう)は足を止めてふり返った。


「今すぐ本堂を調べたいのは山々だが、足を踏み入れたとたん追い出されるのが関の山だ。教団側も、俺たちがただの商家ではないと勘付いているだろうしな」


昨日のやり取りで、二人が「主人と使用人」という設定を演じきれていなかったのは明白だ。


「では、どうするんだ」


「協力者に会いに行く」


「協力者?」


再び歩きだす背中を追うと、いつの間にか足を踏み入れていたのは、本堂と反対方向にある、住み込みの信者たちの居住区であった。


建物の一棟一棟が清潔な白木造りで、まるで定規で測ったように同じ形をしている。


軒先や戸口、風に揺れる旗に至るまで、いたるところに白蝶の紋様が刻まれており、その統制された美しさは薄寒いものを感じた。


無咎(むきゅう)はある屋敷の前で足を止め、門をくぐる。


「こんにちは。こちらは司馬夫人のお宅でしょうか?」


いつもより一段高くまろみを帯びた声を響かせると、奥から現れたのは、白装束に大ぶりな数珠を身に着け、灰色の髪を品よく整えた初老の婦人だった。


「ええ。私がそうよ」


無咎(むきゅう)は姿勢を正し、胸の前で拱手(きょうしゅ)する。そして、いかにも好青年といった柔和な笑顔を披露した。



(とう)無咎(むきゅう)と申します。こちらの()玄晏(げんあん)とともに都で商いをしておりましたが、縁あって来夢の里でお世話になることになりました。以前は宮中の妃嬪の皆さまにもご贔屓いただきまして、こちらに貴妃さまの母君がいると耳にし、ぜひご挨拶をと」


すると司馬夫人は目を丸くし「まあまあ」と、高官の妻とは思えないほど親しげな反応を見せた。


「ここにいる人たちは皆家族ですから、どうか身分は忘れて。私のことも母だと思ってちょうだい」


夫人はふたりを屋敷へ招き入れ、無咎(むきゅう)と身の上話に興じる。


「夫人はいつからこの里へ?」


三月(みつき)ほど前ですわ」


茶をすすりながら、夫人はこれまでの経緯を語り始めた。


十五で都の高官へ嫁ぎニ男ニ女に恵まれ、娘は貴妃となって皇帝の子を生んだ司馬夫人。

女なら誰もが夢見るような、幸せな人生だったとふり返る。

ただひとつ、早くに亡くした息子のことだけが、昔から悔いであったと。


「そんな時に白音堂の噂を耳にして、試しに一度訪れてみようと思ったのよ」


話を聞くかぎり、亡き息子というのは貴妃の兄にあたるようだが、よほど若いうちに亡くなったのか。その存在は玄晏(げんあん)も初耳であった。


「はじめは入信するつもりなんてなかったわ。ただ、本当にあの子に会えるなら、声を聞いてみたかった。だけど、一度聞いてしまったら、もう……」


夫人は顔を伏せ、一瞬、感極まったように言葉に詰まった。


「ここにはあの子がいるのよ。これまで、いくら帰ってきてほしいと祈っても、一目会うことすら叶わなかった息子が。それなのに今、また……。こんなところに息子をひとり置き去りにして、離れられる母なんているかしら」


「……」


反論できず、表情を曇らせる二人。


しかし、夫人は穏やかにほほえみかけた。


「ここの暮らしも、慣れれば良いものよ」


この村では皆が平等である。

貧富の差も、身分も、損得感情すら発生しない。


都の喧騒を離れて、余生はここで静かに過ごすつもりなのだと言って、夫人は話を終えた。


無咎(むきゅう)が問う。


「夫人は『御声聞き』を何度も経験されているそうですが、ふだんご子息とはどのようなお話を?」


「他愛もない話です。最近ようやく暖かくなったとか、風邪をひいていないかとか。近ごろのあの子は、私の体を心配してばかりね」


「……」


何かが引っ掛かっているように黙り込む無咎(むきゅう)に代わって、今度は玄晏(げんあん)が口を開いた。


「私も、母と顔を合わせても『元気か』くらいしか話せないと思います。男が母親と話すことなんて、そうそう思いつきやしませんからね」


「ええそうね。仕方のないことです。息子とは離れていた時間が長いし、私は今やこんな年寄りですからね」


白い布で覆われた無機質な部屋に、笑い声が響いたところで、無咎(むきゅう)が本題を切り出す。


「実はこれから、本堂を見学したいと思っているのですが、よければご一緒しませんか」


「ええ。もちろんよ。案内するわ」


無咎(むきゅう)があらかじめ予想していたとおり、司馬夫人は信者の中でも特に優遇されているらしい。


夫人が本部へおもむき本堂への見学を申し出ると、幹部も二つ返事で快諾(かいだく)し、見張り等がつく様子もなかった。


その後玄晏(げんあん)らが夫人を連れて本堂を目指していると、石段のふもとに、真新しい白装束をまとった男がひとり、所在なげに佇んでいた。


「あれ。あなたは、たしか……」


その丸々と太った体に、玄晏(げんあん)は見覚えがあった。


名前を思い出そうと記憶をたどるよりも早く、前を行く無咎(むきゅう)が声をかける。


「陳どのですね、昨日はどうも」


昨日、「御声聞き」の待合室で彼らに声をかけてきた男だった。


「ああ。ど、どうも……」


こちらに気づいた陳は、肉のついた顔を決まり悪そうにゆがめ、貼り付けたような笑顔で答えた。


「どうしたのですか、その格好は」


「実は……少しの間ですが、ここで暮らすことになりまして」


「え?」


玄晏(げんあん)は思わず声を上げ、無咎(むきゅう)と顔を見合わせた。


昨日の陳は、入信の意思など微塵もなく、むしろ信者たちを(さげす)んでいた。

『聞くことを聞いたら、こんな所は用なしだ』とすら豪語していたのに。


そんな男が、今日になって教団の象徴である白装束に身を包んでいるとは、どういう風の吹き回しか。


「亡くなったお父上とは、お話しできたのですか?」


無咎(むきゅう)の問いに、陳は視線を泳がせながら、曖昧(あいまい)にうなずいた。


「ええ、まあ……。いざ親父の声を聞いたら、もう少し話したくなってしまいましてね。生前は不義理ばかりしていたから、今ここで孝を尽くすのも悪くない、と思い直したんです」


頭を掻きながら浮かべたその笑みは、やはり空虚であった。


その後丁寧に一礼してその場を去っていく背中を眺めながら、無咎(むきゅう)は司馬夫人へたずねた。


「夫人。一度この村に入った者が、途中で抜けることは可能なのでしょうか。入村時には手持ちの全財産を教団に預けるという話でしたが」


「ええ、可能ですよ」


夫人は慈しむようなほほえみで答えた。


「実際に村を出て、家族のもとへ帰られた方も何人か存じていますわ。その際は、納めた額の半分が返金されたようです」


先ほどの陳が「少しの間」と言って入信を告げたのは、やはり途中で脱会するつもりなのだろう。


納得してうなずく玄晏(げんあん)の横で、無咎(むきゅう)は正反対の反応を見せた。


「……陳どのはこの村から、永遠に出られないかもしれないな」


そう呟いて、取り出した扇の先でこめかみを叩く。


彼の視線の先には、巨大な円錐形の二重屋根が、すべてを飲み込まんばかりに静まり返っていた。

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