第三話
ようやく教団本部までたどり着くと、二人を出迎えたのは、教団職員と思われる白装束の若い女たちだった。
「にゅ、入信を考えているのだが……。まずは本当に死者の声が聞けるのか試したい。献金はこれで足りるだろうか」
そう言って、これみよがしに懐から銀塊を取り出してみせる玄晏。
商家のどら息子を必死で演じようとする彼の脇腹を、無咎が肘で小突いた。
「おい。いきなりそんなものを出すな。怪しまれるだろう」
「貴で……いやお前こそ、主人に対する言葉遣いを───」
「お布施は、実際に御声を聞いてからで結構ですわ」
『まずは本物か試したい』とは少々図々しい申し出ではあったが、ここではよくあることなのか。
対応した白装束の女は、彼らの様子を怪しむそぶりもなく、淡々と対応した。
化粧けはないが目鼻立ちのはっきりとした二十代半ばくらいの美人で、彼女がそのまま二人を待合室へ案内する。
「準備が整うまで、こちらでお待ちください」
簡素な部屋には長机が三つと、椅子がそれぞれ四つずつ。
すでに他の入信希望者らしき者が三名いて、それぞれ机に向かっていた。
玄晏らも席に着くと、机の上にはすでに筆記具が用意されている。
幹部の女は彼らの前に薄紙を一枚ずつ置き、「御声聞き」のための手続きを説明した。
「こちらは白冥大士様へのお伝え書きです。お話ししたい故人さまのお名前と、その方へ尋ねたいことなどを自由にお書きください」
幹部の女はそう言って一礼すると、すぐに部屋を出ていった。
「ふむ」
玄晏は薄紙を手の中で弄びながら、無咎に向かって耳打ちした。
「怪しいぞ。教団はこの伝え書きであらかじめ故人の情報を入手し、裏で誰かが死者の声を演じているのかもしれん」
「そんなことは猿でもわかる」
無咎はあくびをかみ殺しながら切り捨てた。
玄晏は聞こえないよう舌打ちをして、筆を手に取ろうとした、その時。
「無理に書かなくてもいいんですよ」
背後から声がして、玄晏は勢いよくふり返った。
いつの間にそこにいたのか。
背の低い五十がらみの女が、二人のすぐそばに立っていた。
白装束を身にまとっているが、頭には銀の冠、首からは大ぶりな数珠を下げている。
幹部の中でもかなり上位の人間と見えた。
女は人懐こい笑顔で「白樺と申します」と名乗った。
「故人さまとの思い出は内緒にしておきたいのでしたら、書く必要はありません。伝え書きがなくとも、白冥大士様はきちんと声を届けてくださいますからね」
「では、なぜわざわざこのようなものを?」
薄紙をつまみ上げ、懐疑的な声色でそうたずねたのは無咎だった。
白樺は特に気にする様子もなく、人差し指を唇に当ててみせる。
「実はこの伝え書き、わたくしどものためではなく、あなた方のためにあるのですよ」
「我々のため……?」
「ええ。御呼びできる故人さまはお一人だけで、話せる時間も短い。しかし人が抱える思いは、一つとは限らないでしょう?いざ故人を前にすると、混乱して何も話せなくなってしまう方がおられます。そうならないように、誰と何を話すかをあらかじめ心に決めておいていただきたいのです」
無咎は顎に手を当てた。
「なるほど。御声聞きとやらを効率的に進めるための台本のようなものか」
「ええ。その通り」
白樺は嬉しそうにうなずき、ついでにこんな話も教えてくれた。
過去に「死んだ夫の声が聞きたい」と、ここを訪ねた未亡人がいたそうだ。
彼女は伝え書きに夫の名を書き、本堂で白冥大士へ熱心に祈った。
しかし、彼女が聞いたのは別人の声だったという。
「それが、三十年も前に別れたかつての恋人だったそうです。彼のことは誰にも話したことがなかったそうですから、勿論わたくしどもも知りませんでした」
「いったい、なぜそんなことが?」
疑問を呈する玄晏に、無咎が代わりに答える。
「その女が『本当に声を聞きたかった』のは昔の男の方だった、ということか?」
白樺はゆっくりとうなずく。
「ええ。『未亡人でありながら、他の男の名を書くのが憚られ、つい嘘を書いてしまった』とおっしゃっていました。しかし白冥大士さまは伝え書きではなく、その方自身のお心にしたがって故人さまをお呼びしますから、こういう行き違いが生じることもございます」
「そんなこともあるのか……」
玄晏は感心したように、手元の紙を見つめる。
「ええ。ですから伝え書きは書かなくとも結構ですし、書いたものをわたくしどもにお見せいただく必要もございません。ただ、心の中で強く、思い浮かべてください」
そう言いながら、白樺は玄晏の正面へ静かに歩み寄った。
腕が伸び、その丸々とした掌が玄晏の額にそっと当てられる。
玄晏は戸惑いながらも、促されるように目を閉じた。
「あなたが今、最も会いたいのは誰ですか?会いたくても、もう二度と会えない、たった一人の。その方にもしひとつだけ、何かを聞けるとしたら────」
低いが、よく通る声だった。
眉間にうっすらと皺を寄せる玄晏の様子を、無咎は顎に手を当てたまま、静かに観察していた。
*
白樺が去ったあと、先に待合室にいた中年男が声をかけてきた。
「どうやらあの白樺というおばさんが教祖さまらしいぞ」
「ああ、そうでしたか」
教祖にしては威厳がない。言い替えれば、ひどく親しみやすい人物だった。
そういうところがかえって、人の心を掴むのかもしれない。
「ところで、君らは入信希望者か?」
「はい、ええ、まあ」
探りを入れられているのかと一瞬身構え、玄晏は曖昧な返事をしてしまった。
「貴方は違うのですか?」
すかさず無咎が聞き返すと、その太った中年男はどこか憐れむような、わずかに見下すような目を向けた。
「俺は違う。白冥大士だの冥界だのはどうでもいい。ただ亡くなった親父に、どうしても聞きたいことがあるんだ。聞くことを聞いたら、こんな所は用なしだ。君らも金をしぼり取られる前にさっさと帰るんだな」
「は、はあ……」
玄晏と無咎はそろって苦笑いをする。
話を終えると、男は重そうな体でよいしょ、と立ち上がった。
手には記入済みの伝え書きが握られており、それを今からあの教祖へ渡しにいくのだという。
「必要ないとは言われたが、白冥大士とやらにあらかじめ言伝てしておいた方が、失敗はないだろう。俺は今日、確実に親父から聞き出さねばならんことがある」
よほど大事な話があるのだろう。
大股で部屋を出ていく男を見送り、玄晏はあきれてため息をこぼした。
「どうでもいいと言いながら、けっきょく白冥大士の力は信じているようだ。ああいう冷やかしの相手をするのも大変だな」
何気なく無咎へ話しかけると、彼は机に向かって熱心に筆を動かしていた。
何だろうと手元を覗くと、紙に描かれていたのは、蝶の絵だった。
「俺たちも冷やかしのようなものだろう」
蝶の触角を書き足しながら、無咎は言う。
「一度でも声を聞かせてやれれば、御礼として多少の献金は見込める。それに巷へ評判も流してくれる、情報員の役割をになわされるのだ」
玄晏は、下手くそな蝶を見つめたまま黙ってうなずいた。




