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問無抄 ~のら猫と忠犬の虚実録~  作者: ぐるた眠
第二章 海天楼~人魚の舞う妓楼~【挿絵付】

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第十話 函調査その3

「最後は床下だ。どこまで見られるかが問題だ、が……っと、」


 床に足をとられ、前へつんのめった無咎(むきゅう)

 その肩を、玄晏(げんあん)がとっさに支えた。


 函の底は、砂利止めのための低い木枠が飛び出しており、玄晏(げんあん)も何度か転びそうになった。


「まずは排水口を覗こう」


 底の排水口は、直径二寸(6センチ)ほどのものが四つ。

 無咎(むきゅう)はその一つの網を外して針金を差し入れた。


 棒はすぐ下の浅い(ます)に当たる。


 排水口の内部を火で照らしてみたが、細い水路が伸びているだけだった。


「何もなさそうだな」


 玄晏(げんあん)が半ば諦め気味にこぼすが、無咎(むきゅう)の表情はまだ探求心に満ちている。


「いやまだだ。もう一度、(はこ)の外へ出るぞ」


 次に無咎(むきゅう)が目をつけたのは、(はこ)の下に()かれた巨大な石台座。


 石台座の側面には、排水溝に溜まった海藻などのゴミを取り除くための小窓がある。


 玄晏(げんあん)がその小窓を開けたが、見えたのは砂と藻の溜まった浅い受け桝と、運河へ向かう狭い排水溝だけだった。


無咎(むきゅう)どの。なぜそこまで床下にこだわる?」


 玄晏(げんあん)は思わず疑問を投げた。


 たしかに、床下はどの角度からも死角になる。


 だが、水で満たされた(はこ)の底は、巨大な水圧に押され、自由がきかない。


「貴殿がどんな仕掛けを探しているかは分からない。だがたとえば、空気を吸うための管や袋を隠すなら、岩の方が楽ではないか?」


 率直な疑問をぶつける玄晏(げんあん)に、無咎(むきゅう)(はこ)の上部を指差しながら言った。


「その可能性は消えた。今、俺が想定する仕掛けは、岩に隠せるほど小さくない。おそらく上からの搬入も不可能だ」


 函の上をふさぐ格子枠。

 飛び込み用の大きな穴は横三尺(90センチ)、奥行四尺(120センチ)近くあった。


その穴さえ通れないほどの仕掛けが、この函の中に?


「しかし……」


「そろそろ終わったかしら?」


 退屈そうな鯪珠の声が、会話を遮断(しゃだん)した。


 彼女が(てい)よく追い払おうとしていることは明らかだが、無咎はまだ函の中を見つめている。


 そしてあろうことか、さらに厚かましい要求を突きつけた。


「あの。函の下の防水層も確認したいのですが、ためしに底板を剥がしてもらえませんか?」


「……え?」


 予想だにしなかった要求に、戸惑う鯪珠の背後から、梁親方の怒号が飛んできた。


「なに言ってんだ!あそこはただの床じゃねえ!大量の水を受け止める底板が、そう簡単に剥がせるわけねえだろう!」


 底板は一寸のすき間もないよう(うるし)で固めてある。

 もし無理やり剥がせば板自体が割れてしまい、修復がいかに骨が折れるかは素人でも想像できる。


「あんたたち、やっぱり函を壊してうちを潰すつもりだな!?」


 親方は怒りの形相を浮かべ、ずかずかと大きな歩幅でこちらへ歩み寄る。


「これ以上は作業の邪魔だ!さっさと出ていけ!」


 これまで溜まっていた鬱憤(うっぷん)が爆発したように、無咎の襟元をつかむ。


 無咎の袖から、閉じた白い扇が床へこぼれ落ちた。

 当人は涼しい顔をしていたが、胸元が大きく開き、つま先がわずかに床から浮いている。


「おいやめろ!!」


 とっさに駆けよった玄晏が、梁の手を無咎から引き剥がす。

 無咎の両足は床に着地した。


「無理()いしたわけでもないのに、なぜ暴力を受けねばならん!それに、約束の時刻は過ぎていないぞ!」


 暴力というほどでもなかったが、なぜか玄晏は腹の底から怒りがわき、冷静でいられない。


 いっそ皇城司の佩玉(はいぎょく)を目の前に突きつけ、この野蛮な大男を捕らえてしまおうかとさえ思った。


「何だと!客だと思って下手に出てりゃあ図に乗りやがって!くそガキども!」


 梁は腰から下げる数多の道具から、木槌(きづち)に手をかけた。


 皇帝の命のもと都を守るのが皇城司だが、相手がもし凶器を振り回すつもりなら、玄晏も容赦はしない。


 自ら拳を握り、相手に殴りかかろうと身構えたとき


「ねえ親方。待ってちょうだい」


 そばで見ていた鯪珠が、梁の背中に手を置いた。


 思わず木槌から手を離す梁。


 続けて鯪珠は、函のほうを指さして言った。


「さっきから気になっていたのだけれど……ほら、正面奥の、少し右寄りのところ。玉砂利が盛り上がって見えるでしょう?もしかして底板が浮いているのかも」


「ああ!?あ……たしかに……ちょいと様子が違うな」


 ガラスの向こうへ視線をやったとたん、冷静な職人の顔へ戻り、目をこらす梁。


 玄晏らも同様に確認したが、砂利に隠れてよくわからなかった。


 日頃から函を見慣れている鯪珠らにしか気づけない、微細な異変なのだろう。


「早く見た方がいいわ。それに、もし剥がれていたのなら、下を見せてあげてもいいんじゃないかしら」


 すぐに確認すべく、梯子をのぼりはじめた梁だが、なぜか無咎も勝手に彼のあとをついていく。


 何て()りない奴だと呆れながら、玄晏も後を追おうと思ったが、さすがに男三人で入るには狭すぎるため、ガラス越しに見守る。


「ここだな」


 梁が太い指で砂利をかき分けると、青灰色の底板が現れる。

 たしかに小さな板が一枚だけ、壁に向かって斜めに浮き上がっており、上から押すとブカブカと跳ねた。


「これは……板が割れちまってる。一度剥がして、新しいのと交換したほうがいい」


 梁の手によって底板が剥がされる。


 縦一尺(30センチ)横二尺(60センチ)、厚みは四寸(13センチ)くらい。


 しっかりと厚みはあるが、横に大きく亀裂が入っている。


 端には接着用の黒い漆が塗られ、裏面はさらなる防水のため、全面が漆で塗り固められていた。


「見るなら勝手にしろ。ただし、絶対に傷つけるなよ」


 剥がした床板を、まるで赤子でも抱くように持った梁は、そう言い残しただけでさっさと梯子をのぼる。


 もはや無咎のことなど眼中になく、一刻も早く函の修繕に入りたいようだ。


「……とんだ職人バカだな」


 玄晏がつぶやくと、ガラスの向こうの無咎も同じような口の動きをしていた。

 そして、すぐに気を取り直し床にしゃがみこむ。


 玄晏は梁と入れ替わるようにして函へ降り立った。


 剥がされた底板の下には、麻布を貼り込めた黒い防水層が見えた。

 そこは漆と石灰を練り合わせて固めたものらしく、継ぎ目もなく叩いてもびくともしない。


 無咎は、底板と防水層の間のわずかなすき間を覗きこみ、針金を差し込んだ。


「どうだ?何かあるか?」と玄晏。


 しばらくして顔を上げた無咎の頬は、黒く汚れていた。


「床下の隙間は均一で、かなり狭い。何かを隠すのは不可能だな」


「そうか……」


 これで、最後の希望が消えた。


 それでも、無咎の瞳はまだ鈍い光を宿している。


 その見下ろす先には、板を剥がされぽっかりと空いた四角い空間があった。


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