第九話 函調査その2
無咎は函の中をひととおり見回したあと、底に設置された大きな岩に近づいた。
公演中、鯪珠の姿が消えるのは、岩や海藻の背後に隠れる瞬間だけだ。
一度に隠れる時間こそ数拍だが、その頻度は多かったと玄晏も記憶している。
海藻は本物を使っており、何かを仕掛けるのは難しい。
よって次に疑うべきなのはこの大きな岩だ。
「岩の背後に何か隠せそうだな。人も隠れられるかもしれない」
と玄晏が言うと、無咎は同意しつつも難色を示した。
「しかし、公演中のそこは水中だ。人は息が続かない」
試しにいちばん大きな岩を叩くと、重厚な外見に反して軽い音が返ってくる。
こちらは偽物のようだ。
無咎の声が弾む。
「中は空洞か。ここに管を挿せば、岩の背後に回った鯪珠が、こっそり息を吸えるかもしれん」
玄晏も協力し、ふたりで岩を傾けてみた。
すると、底の穴から水がざばりとこぼれ落ちる。
岩裏には水抜きの穴と、沈めるための石重りが見えた。
「たしかに空洞だが、いったん函に水が溜まると、岩の中にも水が入り込む仕組みだ」
「……つまり、中の空気を吸うことはできないと?」
「ああ。空洞のままだと岩が水に浮いてしまうから、わざと水が入るようにしたんだろう」
落胆する玄晏だったが、気をとりなおし、次の調査に取りかかった。
側面や背面の壁を叩き、空洞や穴がないか確認する。
その最中、ふと周囲が静かすぎるのに気づくと
「無咎どの、いつの間に?」
共に調査していたはずの無咎が、函の外に出ており、ガラス越しにこちらを観察しているではないか。
「玄晏。そのまま自由に動いてみてくれ」
「動く?」
「ああ。あの岩の前から、反対の壁際まで。奥から手前にも、なるべく色んなところを歩き回ってほしい」
玄晏は不審そうにしながらも、玉砂利を踏んで函の中を横切った。
無咎は客席側から、その姿を視線で追う。
そのうち函の前には作業員たちがぞろぞろと集まり、皆で物珍しげに玄晏を眺めはじめた。
───まるで見世物になった気分だ……。
居心地の悪さを感じる玄晏だが、演舞中の鯪珠も同じような気持ちなのかもしれない。
「両腕を上げて、泳ぐ真似を!」
それでも無慈悲な指示が続く。
玄晏はつのる羞恥心に耐えながら、空の函を縦横無尽に泳ぎ回った。
しばらくして無咎は納得したようにうなずく。
「なるほど。玻璃は景色を歪めはするが、消してはくれないらしい」
彼らにとっては、透明な玻璃ガラスそのものが、生まれて初めて目にする怪しげな代物だった。
『果たして、ガラス越しに見える景色は、本当に函の中身なのか?』
その疑念を晴らすための実験だった。
「ガラスの継ぎ目にかかるたび、中で動く人間の姿はわずかに歪む。だがどこを通っても、身体がふっと消えることはないし、別の場所へ移ることもない」
一つの大きな可能性を潰した無咎は、そばにいた鯪珠へ問う。
「こうして部外者に函の中を見せるのは、初めてではないのですよね?」
「ええ。本当は気が向かないけれど、変に隠すと余計怪しまれて面倒だから」
「では、今我々がやっているようなことは────」
無咎はあくまでも、『函に興味のある商人』という体で話している。
しかし、すでに感づかれているかもしれない。
ふたりの目的が、海天楼を潰そうとする間者と何ら変わらないということに。
「もちろん、何度もしていたわ。岩や壁を叩いたり、必死にこじ開けようとしたりね」
ついには高価な玻璃ガラスに釘で穴を空けようとした無法者もいたらしく、梁によってすぐつまみ出されたそうだ。
それを聞いて、玄晏はまた肩を落とす。
自分たちの行動はしょせん他者の後追い。
つまり、この函をいくら調べても何も見つからない、ということではないか。
いっぽうの無咎は「なるほど」とだけ返し、再び函の中へ戻った。
ガラス面の格子枠も順に調べたが、玄晏の予想どおり、何も見つからなかった。
玄晏が慎重な手付きでガラスへ触れようとすると、すぐ目の前に梁親方の顔があった。
『傷つけたらただじゃおかねえぞ』と、無言の圧がガラス越しに伝わってくる。
へへ、と苦笑いを浮かべて、玄晏は手を引っ込めた。




