表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
問無抄 ~のら猫と忠犬の虚実録~  作者: ぐるた眠
第二章 海天楼~人魚の舞う妓楼~【挿絵付】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/23

第五話 真夜中の函

部屋の端に膝をつく玄晏(げんあん)は、広間にいた時と同様、終始落ちつきがなかった。


ここが、妓女の部屋か……。


卓には光沢のある絹布が敷かれ、その上で青いガラスの酒杯が転がっている。

洗練され、どこか妖しげな秘密の洞窟。

鏡台などの調度品は珊瑚や貝がモチーフで、細部にわたって世界観をつくり上げていた。


ここに上がる客たちは、いったいどのような至福を味わってきたのか……。


しかしそんな幻想を、薄幕の向こうで寝そべる男が打ち砕いた。


「だいたいなあ。二刻(30分)も息を止めるなんざ、本物の人魚にだって不可能なんだ。だってあいつらにはエラがない。魚なのは腰から下だけで、呼吸器は俺たちと同じなんだから」


薄紫のひらめく衣装をまといながら、寝床を我が物顔で占領し、身も蓋もないことをくどくどと垂れる無咎(むきゅう)


「はあ……」


玄晏(げんあん)は適当に聞き流し、ため息をついた。


しかし、ぼんやりと明るかった扉の外が一段暗くなり、空気は一変する。


「何事だ?」


「ただの消灯だろう。客も妓女も部屋に籠る時間だ」


玄晏(げんあん)は回廊に続く扉を細く開ける。


確かに、先ほどまでひしめき合っていた妓女や客はなく、まばらに給仕の姿があるだけだ。

しんと静まり返る回廊は、一見すると普通の宿屋のように見える。


しかし、突然、ごうごうと低い、軽い地鳴りのような音が玄晏(げんあん)の鼓膜をゆらす。


玄晏(げんあん)は驚いて耳を澄まし、無咎(むきゅう)も寝台で顔を上げた。


「地震……?にしては長すぎる」


そう言って緊張を走らせる玄晏(げんあん)の背後から、無咎(むきゅう)の落ち着いた声が飛んできた。


「いや、部屋はゆれていないから地震じゃない。ただ、下で大きな音がしてるんだ」


回廊に変わった様子はなく、慌てて逃げだすような人もない。


しかし、音は止まない。


「下……まさか……っ!」


一階からの轟音(ごうおん)───あの巨大な函に関係しているに違いない。


そう直感した玄晏(げんあん)はすぐさま部屋を飛び出し、階段を降りる。


「おい、待て!」


無咎(むきゅう)は扉から一歩出たところで自分の格好に気づき足を止める、

しかし、そのまま顔をベールで覆って玄晏(げんあん)を追った。


階段をおりる途中、音は地鳴りではなく、ゴボゴボ、ざあざあとした水音に近づいていった。


ふたりは一階へ到着する。


明かりを落とした広間は、いつもの華やかさはなく、ただ数人の下働きが黙々と卓や床を掃除していた。


ざあざあと大きな音は続いているが、どこかで水漏れが起こっている気配はない。


そしてその音に、誰ひとり気にする様子もない。


ふたりは音の発生元である、巨大な玻璃の函の前に立つ。

ガラス面が暗幕で全て隠され、中の様子はいっさい見えなかった。


無咎(むきゅう)が、その下に敷かれた石台座に足を置く。


「やっぱりな。玻璃の函から水を抜く音だったのか」


玄晏(げんあん)は石台座に触れなかったが、すでにその周囲の床が低く振動していることを感知していた。


おそらく函の底に排水口があり、床下を通って水が外へ棄てられているようだ。

水の廃棄先は、そばを流れる運河だろう。


玄晏(げんあん)は、無咎(むきゅう)のあとにつづいて函の周囲をぐるりと一周しながら言う。


「公演後は毎回こうして水を捨てているのだろうか。2、3回くらい使い回せば良いものを。勿体ない」


函を満たしていた透明な水は、どう見ても運河の水ではない。

どこかの清水を毎回運び込むだけでも、莫大な金と労力を要するはずだ。


「次の公演まで半月もある。入れっぱなしだと水もガラスも汚れて余計面倒なんだろうさ。まあ、それにしたって贅沢なことだ」


排水音はまだ止む気配がない。

函の大きさから推測するに、空になるまで半時辰(一時間)はかかるだろう。


無咎(むきゅう)は頭からベールを外し、函の上部を見上げる。


「今は公演外だから、こうして暗幕で覆われているのもまだ分かる。しかし、公演中にも上に暗幕がかかっていたのは、気になるな」


玄晏(げんあん)は隣に立ち、彼の横顔を見た。


「たしか玳瑁どのの話では、上から覗く客が転落しないようにとか」


「理由に惑わされるな。事実だけをみろ」


こちらを向いてぴしゃりと告げる無咎(むきゅう)


「理由はいくらでもでっち上げられるが、事実は嘘をつかない。信じていいのは『天面へ暗幕が被せられた』という事実だけだ。もしあの時玳瑁が理由を語らなかったら、どう推測できる?」


玄晏(げんあん)は顔を上げ、視線を函の上部、それから二階の回廊へ移した。


「天面を隠されたということは、上から覗かれたくない。見られてはならない秘密があった……?」


大きくうなずく無咎(むきゅう)


その得意げなまなざしは、もはや自分が女装していることすら忘れているようだ。


「ああ。おそらくその秘密は、上からじゃなきゃ見つからない。俺たちのいた客席側からは、わからない場所にあったんだろう」


のら猫の鋭い嗅覚に、忠犬は思わず(うな)った。


調査どころか、まだ函に触れてもいない。

そんなうちから、秘密の隠し場所に当たりをつけていたとは。


彼の涼やかな瞳は、真っ黒な暗幕に覆われた函の中を、ただひとり覗き見ているようだ。


「明日、なんとかしてこの函を調べるぞ。内部も気になるが、“上から”というのを考慮すれば、本命は天面の足場、次点は底の下だな。ほら、ここは客席からは全く見えないが、上からは丸見えだろう?」


ほんの一時辰(二時間)前にここで見た景色が、玄晏(げんあん)の頭によみがえる。


鯪珠は、函の上を歩いていた。


『上はただ足場が組まれてるだけ。あの()は今、細い棒の上に降りたんだ』


函の上部には、格子細工がほどこされた太い上枠があり、客席からは天面の足場がちょうど見えなくなっていた。


「ああ。そうだ───」


玄晏(げんあん)が答えようとした、その時


「───おい、そこで何をしてる!?」



突然、背後から男の声がした。


彼らがふり返ると、大柄の男が、胸の前で両腕を組んで立っていた。


暗くて表情までは定かでないが、男は玄晏(げんあん)と同じくらいの背丈で、身体の厚みは一回り上に見える。


腰からは鉤のような細長い道具をじゃらじゃらと下げ、妓楼の用心棒というよりは、大工の棟梁のような雰囲気だ。


「函に近づくんじゃない!」


男は目の前の男女(に見えるふたり)に一歩近づき、怒声を響かせる。


「まずい。いくぞ!」


答えるより先に、顔にベールを落とした無咎(むきゅう)が玄晏の袖をひいた。


玄晏(げんあん)は顔を見られないよう伏せ、導かれるまま暗がりを走った。


今、捕まったら間違いなく海天楼から追い出され、二度と足を踏み入れることすら叶わない。


玄晏(げんあん)は足をとめることなく、顔だけを背後に向けると、幸い、男の姿はなかった。


単に追い払われただけだったようだが、これ以上一階にいるのは危険と判断し、ふたりは急いで部屋へ戻る。


目の前でひらひらとゆれる裾に、小股で走るおぼつかない足取り。


無咎(むきゅう)が転ばないかと玄晏(げんあん)はひやひやした。


そして、案の定────


階段の手前で、ドテッ、と鈍い音を立てて無咎(むきゅう)は床へ滑り込んだ。


「おい、大丈夫か?」


玄晏(げんあん)は声をひそめながら、しゃがんで手を差し出す。


元来の転びやすさに加え、今日の彼は女の衣装、そして視界を覆い隠すベール。


むしろこの時まで、一度もつまずかなかったのが奇跡だった。


無咎(むきゅう)は、何とか玄晏(げんあん)を支えに立ち上がろうとするも、視界不良と(から)(すそ)のせいで手こずる。


それを見かねた玄晏(げんあん)


「火急ゆえ、失礼する」


と言って、腕を引きよせると、無咎(むきゅう)の腰を抱え己の肩へかつぎ上げる。


「お、おい!」


そのまま砂袋でも運ぶように、階段を一段飛ばしで駆け上がった。


かつて訓練で身につけた、もっとも速く人間を運搬する方法である。


「……」


はじめこそ戸惑いの声を上げた無咎(むきゅう)も、あとは抵抗しなかった。


自分の下腹を玄晏(げんあん)の肩に預けるよう体位を調整し、膝を少し曲げて、最も運ばれやすい体勢を自らつくる。


彼自身も、これが自分にとって最も効率的な移動方法だと認めたらしい。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ