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問無抄 ~のら猫と忠犬の虚実録~  作者: ぐるた眠
第二章 海天楼~人魚の舞う妓楼~【挿絵付】

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第四話 妓女の部屋へ

「おい玄晏(げんあん)。なにをぼーっとしてるんだ」


無咎(むきゅう)に肩をつつかれ、夢幻の海に沈んでいた玄晏(げんあん)は我に返った。


気づけば(うし)の刻(深夜一時)をまわり、大広間は暖かな(だいだい)色の灯りにつつまれている。


客たちは名残惜しそうに席を立ち、ぞろぞろと出口や階段へと向かっていく。


彼らの客卓からも、すでに妓女の玳瑁(たいまい)が消えていた。


玄晏(げんあん)はまだ余韻の残るまなざしで息を吐く。


「あの鯪珠という女、ただ者ではない。……やはり人魚の末裔なのだろうか」


「んなわけあるか」


無咎(むきゅう)は酒杯を傾けながら一蹴した。


「だが無咎(むきゅう)どの。鯪珠は二刻のあいだずっと水の中にいた。隠れて息継ぎしているようにも見えなかったが」


「息継ぎはしてるはずさ。あの(はこ)に何か仕掛けがあるんだろう 」


無咎(むきゅう)は玻璃の(はこ)に視線を移すが、すでにガラス部分にも分厚い暗幕が被せられており、中は見えなくなっている。


「どのような仕掛けか、わかるのか?」


「思い付くものはいくつもあるが、調べてみないことには分からん。しかし、不可解なのは仕掛けよりも、あの(はこ)の出どころだ」


「出どころ?」


「ああ。仮にあれが何の仕掛けもない、ただ大量の水を入れる(はこ)だったとしても、とんでもない規模の金と労力がつぎ込まれている。いくら都一の繁盛店とはいえ、一介の妓楼のどこにそんな資金源がある?」


「言われてみれば……」


公演中は人魚に夢中で、彼女を収める(はこ)そのものには着目していなかったが、あれは間違いなく国宝級の代物だ。


大量の水圧に耐えうる巨大な(はこ)

素材や組み立ては、造船技術を応用しているのかもしれない。


そして何より希少なのが、西域からの輸入という透明ガラス。


さらに、巨大な(はこ)を満たすほどの澄んだ水は、単に井戸水を運ぶのでは間に合わない。

川の上流か、滝か、どこからか綺麗な水を定期的に運搬する仕組みが必要だ。


海天楼は、海中を模した建物そのものも十分に作り込まれているが、この玻璃の(はこ)へ注がれた金は明らかに桁違いに見える。


「何か不当な方法で大金を稼いでいる。もしくは裏に何か巨大な組織が……?」


玄晏(げんあん)の顔が引き締まり、眼には皇城司らしい鋭さが戻った。


「人魚の正体が何であれ、探る価値はありそうだ。ただ、今日みたく店の表側しか見られないんじゃあ意味がない。裏側まで潜入する必要がある」


「どうするんだ?」


「ひとまず、今夜はここに泊まっていこう」


その言葉を聞いた途端、酒を飲んでいないはずの玄晏(げんあん)が、急に顔を赤らめた。


「泊まるっ!?泊まるというのは、その、つまり……!」


その過剰な反応を、ただの無知ゆえだと勘違いした無咎(むきゅう)は、丁寧に説明してやる。


「簡単な話だ。ここは妓楼だから、適当に女を買えば客として部屋で一晩過ごせる。そうだな……さっきの玳瑁(たいまい)がいいだろう。ちょっと話をつけてくるから、ここで待ってろ」


そそくさと立ち上がると、無咎(むきゅう)は妓女たちのたまり場へ軽い足どりで向かっていく。


懐から巾着を取り出し、中の銀粒をたしかめるのも忘れずに。


「お、おい待て……っ!」


慌てて止めようとした玄晏(げんあん)の声は、喧騒にかき消されてしまった。


“女を買う”


“妓楼に泊まる”


それがどういう意味なのか、玄晏(げんあん)とて知らないはずがない。


こうして妓楼に足を踏み入れるだけでも、地に足のつかない心地だというのに。


任務のためとはいえ、女の部屋で一夜を明かすなんて───


未知の領域への扉が、意図せず次々と開かれる展開に、あらぬ妄想が膨らむ。


───待てよ……。


俺と無咎(むきゅう)どのは同じ部屋に泊まるのか?

それともひとりずつ?


調査なのだから、ふたり一緒でないと都合が悪い。


しかしそうなれば、今夜は妓女も交えて三人で寝るということになるが……その方がよほど都合が悪いではないか!?


人もまばらになってきた大広間で、一人悶々と頭を抱える玄晏(げんあん)


そんな男が、いきなり背後からぽんと肩を叩かれた。


「た、玳瑁(たいまい)どの……」


ふり返るとそこには、紫の衣をまとった玳瑁(たいまい)が静かに立っていた。


彼女は最初に現れた時と同様に、顔を薄いベールで覆い隠しながら、手のひらに載せた木札を差し出してくる。


玄晏(げんあん)が反射的にそれを受けとろうとすると、そのままゆっくりと手を握られ、ぐいと引かれた。


「……」


部屋へ案内する、ということだろう。


玄晏(げんあん)は戸惑いながら立ち上がり、周囲を見渡すが、無咎(むきゅう)の姿が見えない。


やはり男二人で妓女の部屋に入るのは、不可能だったのだろう。


玄晏(げんあん)のことは玳瑁(たいまい)に任せ、今は別の女を捕まえているのかもしれない。


尻込みする玄晏(げんあん)をよそに、玳瑁(たいまい)は口を閉ざしたまま、彼の手を強く引いて歩く。


ベールをまとった後ろ姿は、先ほどのざっくばらんな印象とはずいぶん違った。


しなやかな足取りと、時おり透けて見える肩や腕はどこか妖美で、まるで男を惑わす桃源郷の仙女のようであった。


半ば生理的に高鳴る鼓動と、少しの悔しさを感じながら、玄晏(げんあん)は導かれるまま階段を踏む。


周囲では、同じように妓女に腕を引かれた男たちが、鼻の下を伸ばしながら回廊を歩いていた。


やがて一つの扉の前で、玳瑁(たいまい)は立ち止まる。


両手で扉を開くと、彼女はそっと玄晏(げんあん)の背後へ回った。


「これは……」


広間が海の底なら、彼女の部屋は秘密の洞窟だった。


部屋を照らすのは、灯籠から漏れる淡い緑色の光。


薄暗く、扉の外からは細部が確認できないが、奥に設えられた大きな寝台だけはしっかりと主張してくる。


囲う半透明の帳はまるでクラゲの薄膜のように繊細で、青くゆらゆらと揺れながら、こちらを誘っていた。


「あの、玳瑁(たいまい)どの。私の連れにどこまで聞いているか分からないが、私は別に貴女と……」


扉の前で立ち止まったまま、必死に弁解する玄晏(げんあん)


しかしその背後で玳瑁(たいまい)は、あろうことか脚をふり上げ、玄晏(げんあん)の腰を容赦なく蹴飛ばした。


「うわっ!」


つんのめるように入室した玄晏(げんあん)は、そのまま無様に床へと転がる。


「っ……おい! いきなり何を───」


「ばか。俺だ」


「───む、無咎(むきゅう)どのっ!?」


乱暴に外されたベールの下から現れた顔を見て、玄晏(げんあん)は目を丸くした。


切れ長の瞳に、繊細な輪郭。

肌は化粧けがないのに、唇だけしっかりと赤く紅がひかれている。


それは玳瑁(たいまい)ではなく、まぎれもなく相棒の男だった。


「いったいなぜ、そんな格好を……?」


唖然として見上げる玄晏(げんあん)


無咎(むきゅう)は慎重に扉を閉めると、ずかずかと大股で部屋の奥へ進んでいく。


「俺たちが同じ部屋に泊まるには、こうするしかないだろう。女がいたって邪魔だ。玳瑁(たいまい)にはどこか店の外で一泊するよう言ってある」


一晩の花資(代金)に、たっぷりと宿代を上乗せして渡すと、玳瑁(たいまい)は大喜びで出ていったという。


「久しぶりに飲み歩いてくるよ 。うちの店、シケた酒しか置いてないからね」と言って。


いっぽうの無咎(むきゅう)は、玳瑁(たいまい)の着ていた衣装を借りて彼女になりすますことで、玄晏(げんあん)とともにこの部屋で一晩過ごす権利を得たのである。


「なんで気づかないんだよ。顔はまだしも、手の感触で男か女かくらい分かるだろう。背丈だってまるで違う」


無咎(むきゅう)は拳で乱暴に唇をこすりながら、呆れ声を漏らす。

手の甲が紅で赤く汚れていた。


「仕方ないだろう。私はずっと椅子にかけていて、彼女の背丈は知らない。それに、女に手を握られたこともない」


羞恥で顔をそむけた玄晏(げんあん)

視線の先の寝台には、丁寧に畳まれた無咎(むきゅう)の衣と白い扇が置いてあった。


「ふん。じゃあ男はあるのかよ?」


「それは……掴まれたことならあるが。あんなふうには……」


「あんなふうって?」


玄晏(げんあん)の手のひらに感触がよみがえる。

指の間に一本一本、冷たい指が入り込んでいく、何とも形容しがたい異物感。


しかし、妙な気配を感じてふりかえると、ニヤニヤと不適な笑みが目に飛び込んできた。


「うるさい!任務に関係ないだろう!」


怒鳴り声と笑い声が、秘密の洞窟を同時に揺らした。

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