第一話 玻璃の函
本作の掲載イラストはすべて、生成AIによるイメージ画像です。
物語に登場する物と完全に一致するものではないことをご了承ください。
「無咎どの。わ、私はこういう場所が初めてだ。……な、なのだが、貴殿は慣れているのかい?」
「落ち着け。さっきから挙動と言動がおかしいぞ」
今回もまた、いかにも商人らしい上質な衣に身を包んだ玄晏は、目の前に並んだ美酒や料理には目もくれず、キョロキョロと周囲を見まわしてばかりだった。
うす暗い空間に響く甲高い笑い声と、甘やかな香や白粉の匂い。
極彩色に着飾った女たちが、まるで熱帯魚のように背後を交差する空間は、彼が生まれてこのかた体験したことのないものだ。
その一方で、くたびれた赤い上着を羽織る無咎の視線は、また別のところに釘付けだった。
「俺だってこんな店は初めてだ。妓楼というより……まるで海底宮殿だな。これほど細部まで作り込まれた空間なら、見物料をとってもいいくらいだ」
あえて暗く落とされた、三層楼(三階建て)吹き抜けの中央広間。
客卓やいたるところに置かれた青ガラスの灯籠が、淡い光で空間を照らしている。
壁にはあえて荒く凹凸のある素材を使うことで、海底岩を模しているようだ。
天井からは貝や魚を模したガラス細工や、泡のようにきらめくビーズの簾が降り、「海天楼」の名に恥じない海底世界を作り出している。
「しかし何より凄いのは、あの『玻璃の函』とやらだ」
無咎が扇で指し示したのは、一丈半(およそ五メートル)ほど先の中央に鎮座する巨大水槽───「玻璃の函」だった。
それは重厚な木材を鉄で頑丈に繋ぎ合わせた、高さ七尺(およそ二メートル)横幅は二丈あまり(六メートル半)の巨大な函で、客席側の一面のみが透明ガラスになっている。
玄晏は、前方にそびえ立つその巨大な函をまじまじと眺める。
「たしかに。噂には聞いていたが、これほど透明な硝子がこの世に存在するとは。わずかな曇りはあれど、向こう側の景色がはっきり見える」
そもそもガラスというものは、工芸や装飾品に使われる、透明感のある美しい素材だ。
しかし、向こう側がはっきりと透けるように造りだす技術は、まだこの国には存在しない。
いっぽうでこの玻璃の函は、かぎりなく透明に近いガラス板が何枚も青銅枠によって格子状に組み上げられ、巨大な一面をなしている。
そんな摩訶不思議な函には、これまた驚くほど透明な水が満ちている。
水中底には白い玉砂利と珊瑚の欠片が敷かれ、模造品の岩場と海草が設置されていた。
「見ようによっては『人魚の檻』だな……」
主のいない、どこか物寂しく小さな海底を見て無咎がぽつりとこぼした、その時
「旦那がた。お初にお目にかかりますね? どの娘をつけましょうか?」
茶色の腰巾着を下げた給仕の男がやって来て、腰を落としながら声をかけてきた。
「いいところに来た。おい、あの透明なのは本当に硝子なのか?いったいどうやって作られるんだ?」
「ああ。あれですか。すごいでしょう?硝子で間違いないですがね、西域から特別に透明な玻璃板を取り寄せてるんです」
「異国の玻璃板か。そりゃあすごい」
「あのう、それで妓女は……」
「ああそうだった。人魚は呼べるか?」
と無咎がたずねると、男はばつが悪そうにぺこりと頭を下げた。
「すみません。あいにく鯪珠は、演舞がありますので……」
「客の相手はしない、という噂は本当なのか」
「いえいえ。鯪珠が『人魚の舞』をするのは月に二度 。それ以外の日はお相手しますが、お得意様の予約が一年先まで埋まっておるんですよ。合間に一言ご挨拶にうかがうくらいなら、何とか……」
無咎は腕を組んでため息をこぼす。
「さすが。都で一番の売れっ子だな。話すのもひと苦労だ」
「申し訳ありません。お詫びに、今夜は特別いい娘をご紹介しますよ。ちょうど今月入ったばかりで、若くて新鮮なのがいるんです」
ねちっこい笑みを浮かべながら、わざとらしく耳打ちする給仕の男。
「……新鮮?」
横で聞いていた玄晏は、嫌悪に近い違和感を覚えた。
この海天楼で妓女は魚や珊瑚など、ひとりひとり海にちなんだ名が付けられているらしい。
ゆえにそのような言い方をしているのだろう。
いっぽうで無咎は、慣れた風で首を横にふった。
「若い女は好きじゃない。せっかくならここでいちばんの古株を呼んでくれ」
「は、はあ……」
珍しい注文に男は一瞬きょとんとするも、すぐにまた薄ら笑いを浮かべ、己のひげ面を指さした。
「ちなみに、ここでいちばん長いのは、あっしですがねえ」
すると無咎はいたって真面目な顔で、ひげ面へ酒杯を差し出す。
「じゃああんたが相手してくれ」
「ええっ!?」
男は目をひんむくと、なぜか己の衣の合わせ目を固く握る。
とんでもない「好きもの」が現れたとでも思ったのだろうか。
「いっいちばんの年増女ですね!すぐに呼んで参ります!」
と逃げるように去っていった。
「ちっ。俺が呼んだのは“事情通の古株”だってのに。ただの年増女が来たって役に立たんぞ」
唇をとがらせながら悪態をつく横顔を、玄晏は苦笑いで見つめた。




