第十五話 残酷な夢
玄晏による報告の後、都のいたるところに官府からの榜(掲示板)が立ち、巷を騒がせた宗教団体の正体について、多くの民が目にすることとなった。
『白音堂は巧みな技術によって死者の声を偽装し、多くの者を欺きを巻き上げた。極めて悪徳な集団であるため、即刻解散を命じ、首謀者は公正な裁きを受けさせるものとする 』
教祖の白樺や幹部の白菊たちは、まずは中央府に捕らえられ、その後すぐに大理寺の牢獄へと移された。
裁判はまもなく始まる予定だが、証言台に立つ玄晏は「教団に悪意はなく、信者たちも洗脳による支配を受けている様子はなかった」と、恩赦を求める働きかけをするつもりだ。
そんな彼に、取り壊しが決まったあの山間の本堂を、最後にもう一度訪れようと提案したのは、意外にも無咎であった。
「なあ無咎どの。以前ここですれ違った若い未亡人を覚えているか?」
前回よりもゆっくりと、一歩一歩踏みしめるように山道を登りながら、玄晏はふらふらと歩く赤い背中に問う。
「ああ、いたな。夫の声が聞こえなかったと言って、泣きながら山を降りていたご婦人が」
「それが不思議なのだ。あの教団は、老若男女すべての人間の声を演じ分けられる。それなのに、なぜあの人の御声聞きは失敗したのか。もし他にもあのような失敗例があるのなら、教団を糾弾する声がもっとあっても良いはずだが 」
無咎は適当にまとめた髪を揺らしながら、軽快な足取りで答えた。
「糾弾なんて起こるはずがない 。あのご婦人たちは御声の代わりに、“最も望んでいたもの”を得たのだからな」
「……どういうことだ」
玄晏は即座に答えを求めたが、無咎はなかなか教えてくれない。
「今のあんたなら、もうわかるだろう。先に言っておくが、夫以外の声を聞いたわけではないぞ。彼女は間違いなく、誰の声も聞けずに白音堂を去ったんだ」
「……ということは、何の収穫もなかったということだろう。わざわざあの場所へ赴いて、御声以外に何を望む?」
無咎の言い分によれば、あの婦人は御声聞きの失敗に、落胆するどころか満足していたということになる。
何とも奇妙な矛盾だが、実は玄晏も薄々同じことを思っていた。
あの時の彼女は涙を流していたものの、表情はどこか晴れやかで、足取りもしっかりしていたからだ。
仮にもし彼女が“最も望んでいたもの” を得たのであれば、あの涙は悲しみではなく、歓喜ゆえであったのかもしれない。
歩きながら考え込む玄晏に対し、無咎はとうとう足を止めて振り返った。
「人は真実ではなく『信じたいもの』に飛び付く。そして、名役者揃いの白音堂は、どんな『死者』も演じられる。だが、奴らはあえて夫の声を聞かせなかったのさ」
無咎の涼やかな瞳をじっと覗き込んだあと、玄晏ははっと膝を打った。
「ああそうか!声が聞こえないということは……つまり夫は『死者』ではない。教団は、あのご婦人の夫が『まだ生きている』と伝えたのだな」
無咎が満足そうに口角を上げる。
「正解だ」
彼女の夫は二年前、山に入ったきり消息を絶っているという。
婦人は帰りを待ち続けていたが、どれほど探しても夫の姿は見つからず、半ば未亡人として日々を過ごしていた。
帰らぬ夫を弔う日々の中で、死んでいるのならば、せめて遺体を見つけて供養してやりたい。
そんな切実な思いを抱えて白音堂の門を叩いたのだ。
教団は人の心のすき間に入り込み、真実の代わりに『相手が最も望む答え』を与えてきた。
「しかし、それではあのご婦人はもう二度と白音堂を訪ねないだろう?あの教団が、みすみす金づるを逃すような真似をするだろうか」
「夫を演じるだけなら容易いだろうが、行方不明者の場所など誰も知るわけがない。厄介な客には、さっさと帰ってもらった方が得策だ。あの手の集団は一見誰にでも門戸を開いているように見えて、その実、相手を選別しているんだ。が……」
いかにも筋の通った、合理的な答えを告げたと思えば、あえて言葉を濁す無咎。
玄晏はその複雑な沈黙を察したように、自らの推論を繋げた。
「貴殿が言っていたように、巧みな話術を持つあの教団なら、いくらでも言いくるめられたはずだ。『気づいたら黄泉の国に来ていた。どこでどう死んだかは覚えていない』とでも言って」
「ああ。あえてそうしなかったのは、やはり教団にとって、信者は単なる金づるではなく『観客』だったんだろう。奴らはただ、あのご婦人に『最上の夢』を見せたかったのさ」
やわらかな春風を頬に受けながら玄晏がうなずいたあと、ふたりは静かに歩き出す。
「人の幸福とは、善悪とは、いったい何だろうか」
と、玄晏は自身に問うた。
今この時もあの婦人は、夫がどこかで生きていると信じ、その帰りを待ち続けている。
しかし現実は────すでに夫は亡くなっていて、今もこの山のどこかで、妻に見つけてもらうのを静かに待ち続けているのだとしたら、
これほどまでに、残酷な夢はない。




