第十三話 白音堂
「教祖どのの香炉にも、同じような仕掛けがあるはずだ。もっとも教祖どのはすべて把握しているわけだから、さほど複雑な細工は必要ないがな」
白樺はいわば、本堂と演じ手を繋ぐ指示役だ。
壇上で本堂全体の様子を見ながら、残り時間や信者の様子を伝え、緊急時には儀式自体を中止させる。
ある信者の男が、突然悲痛な声を上げる。
「────でたらめを言うな!俺は……っ、俺は確かに……あいつの声を聞いたんだ!」
よく見るとそれは、最初の御声聞きの最中に、玄晏らに声をかけてきた熱心な青年だった。
頭を抱えながら苦悶の表情を浮かべる青年に、無咎は冷静に告げる。
「でたらめだと思うなら、床板を剥がしてみろ。現れる管をたどれば、声の主の居どころにもたどり着くだろう」
「……っ!」
青年は悲痛な顔のままその場を離れ、出口へと消えたと思えば、一本の長い棒を抱えて戻ってきた。
それは鉄製の火鉤。火災時に燃え広がりを防ぐため、建物を壊す道具だった。
青年は火鉤を乱暴に振り下ろし、床板の継ぎ目に突き立てる。
「やめなさい!」
いつもは冷静なはずの白菊が叫び、青年を止めようと駆け出す。
しかし彼女の細い体は、玄晏の腕によって引き留められた。
「放して!」
「近づいては危険だ!」
玄晏は必死に白菊を押さえ込んだ。
それは、床下の種明かしを邪魔されぬためではない。
凶器を振り下ろす青年はもはや正気を失い、近づく者にも危害を及ぼしかねなかった。
「───もう、結構よ……」
騒然とする堂内に、教祖白樺の声が響く。
音量はけして大きくはないのに、その声はまるで放音孔を通したように、本道のすみずみまで届き、すべての人間の鼓膜を揺らした。
思わず青年の手も止まり、皆の視線が白樺に注がれた。
「こんな機会はもう、二度と来ない。見てもらおうじゃないの。この香炉も、音響管も、あの御神体もすべて、うちの道具方がつくった渾身の作なのよ」
全てを悟った顔の教祖に、白菊は痛ましいほど弱い声を漏らす。
「白樺さま……」
白樺の口から出た『道具方』という、教団には似つかわしくない言葉に誰もが違和感を覚えた。
ただひとり、無咎を除いては。
「声を遠くに届けるだけならば、いくつも方法は思いつく。しかし、音の届く範囲まで絞ることができるとは、さすがに予想できなかった。それに、顔も知らぬ他人を即興で演じるのは、人並み外れた度胸と洞察力、そして長年積んだ経験の賜物だ。白音堂の人間は、一人一人が腕利きの職人のように綿密な仕事をしているな」
白樺はふっと笑みをこぼす。
その顔からは親しみやすい教団の仮面が外れ、人生の辛酸を嘗め尽くしたひとりの女の姿が覗いていた。
「あなたはもう、気づいておられるのね。わたくしたちの正体に」
「ああ。あんた達は大した“役者”だ」
その言葉に、白菊を含め幹部たちが一気に肩を落とす。
そして悔しそうに顔を歪め、うつむいた。
彼らを束ねる“座長”である白樺だけは、どこまでも誇らしげであった。
白音堂の正体は、かつて都で活躍した舞台人(劇団員)の集まりであった。
年齢や劇場の閉鎖など、さまざまな事情で仕事を失った役者、そして裏方らも集結し、この宗教団体はつくられたのである。
寂れた山里の古寺を改装し、「御声聞き」のための緻密な仕掛けを築き上げたのは、かつて壮麗な舞台装置や大道具を手がけていた腕利きの職人たち。
そして、本堂の隠し部屋から死者の声を演じていたのは、かつて名演技で多くの喝采を浴びた役者たちである。
長年の経験と才能をつちかった彼らにとって、老若男女の演じわけなど造作もない。
「御声聞き」は彼らにとって、いわば即興劇であった。
そもそも白音堂を始めたきっかけは、新しい劇団を立ち上げるための資金稼ぎに過ぎなかった。
再び舞台に立つことを夢見る彼らは、信者たちからの献金が貯まったら、すぐに教団を解散するつもりだった。
しかし、手探り状態で始めた「御声聞き」への反応は、彼らの予想をはるかに超えた。
故人との再会を求め、詰めかける人々。
役者の演じる「御声」 の一言一句に耳をすませる信者たちの、吸い込まれるような視線。
飽きて退席する者も、野次を飛ばす者もない。
偽物だと気づかれることはなく、皆が「白音堂」に夢中だった。
さらなる「御声」を求めて私財を投げ打ち、全てを教団へ捧げる者まで現れた。
その熱狂に応えるように、教団は「来夢の里」を築いた。
里は信者たちを囲う檻であると同時に、彼らにとっての居場所でもあった。
そんな中でいつしか舞台人らは、ある真理に気づく。
この「白音堂」こそが、自分たちに与えられた、巨大で美しい「劇場」なのだということに。
「こんなに熱心で、純粋に演技だけを楽しんでくれる“観客”は、そうそう出会えるものではない。人生の半分を舞台に捧げたけれど、ここからの景色は比べ物にならないほど素晴らしいものだったわ」
若い頃、都で三本の指に入る大女優であった白樺は、先ほどまで君臨していた台座を見上げ、感慨深げに目を潤ませた。




