第十一話 信じたいもの
「そして最後は、少々特殊な例だが……」
無咎の視線が上がり、後方席のある一点に定められる。
「この里には、白冥大士への信仰心はさほどなさそうなのに、毎日のように参拝を欠かさない信者がいる。───陳どの」
またもや名を呼ばれ、陳は丸々とした体をびくりと震わせた。
「あなたは父君に聞きたいことがあったそうですが、先日の御声聞きでは、父君にこう言われたのではないですか。『今は話せない』と」
「……!」
「聞き出したかったのはおそらく、父君の残した『遺産の隠し場所』。莫大な富のありかを聞き出そうと、あなたはこの白音堂の門を叩いた。違いますか?」
「そ、それは……」
口ごもる陳に、無咎は容赦なく追及を続ける。
「そんなあなたに対し、父君はこう言ったはずだ。『大事な遺産のありかは、お前ひとりにだけ話したい。ここでは、誰に聞かれるかわからない』と」
「……」
白装束姿の陳は口を大きく開けたまま言葉を失う。
御声聞きには、大勢の信者や教団幹部が詰めかけている。
「御声」が聞こえるのは跪拝台にいる人間と教祖だけだという話だが、実際は誰に聞かれているか分からない。
その上、教祖のことも必ずしも信用できるわけではなかった。
その慣習をやぶり、たったひとりで「御声」を聞く方法は一つだけ。
“入信して修行を積み、自力で故人と通じる能力を身につけること”だ。
陳はまさしく、先日の御声聞きを終えたとたん、白音堂への入信を決めてしまったばかりである。
堂内の誰もが固唾をのんで見守る中、やがて陳の大きな体が、がっくりと前へ折れた。
「……その通り、だ」
絞り出すような声だった。
「親父にはまず『二十年ぶりに会ったと思えば、開口一番に金のこととは』と叱られたよ。そのあとの話は……あんたの言うとおりだ」
肩を落とす陳に、玄晏は首をかしげた。
「貴殿は、そんなことで入信を決めたのか。一度里の住人になれば、財産を没収されると聞いたが」
金欲しさにやって来た人間が、なぜあっさりと全財産を手放す決断ができたのか。
「脱会したら半額は戻るのだろう?俺は商売に失敗して、財産なんてほとんど手元にない。だから遺産を頼りに、わざわざこんな山奥まで来たっていうのに……手ぶらで帰るわけにはいかないんだ。それに、ここで親父に逆らって機嫌を損ねたら、すべてが台無しになると思って……」
陳の顔は青ざめ、全身に悲壮感がただよう。
彼はもともとある名家の次男だったが、家長である父と折が合わず、今から二十年ほど前に家を出た。
その五年後に父は他界。
しかし、最近になって父が莫大な遺産を隠し持っていることが判明した。
在りかは家族の誰にも知らされておらず、家長の死から十五年経った今も謎のままだという。
「親父とは昔から確執があった。だが長年離れていたぶん、俺を特別気にかけてくれていると信じてたんだ。ここでも親父に『誰にも話さなかったのは、最初からお前ひとりに相続させるためだったからだ』と言われて……。だからこそ、他の兄弟に横取りされる前に何としても、と……」
そこまで話すと、陳は頭を抱えて膝から崩れ落ちた。
───なるほど、と玄晏は心の中で唸った。
これこそが無咎の言う『聞き手が最も望む答え』なのだろう。
長年疎遠で消息すらつかめぬ次男のために、莫大な遺産を隠し持つ親など、ふつうはいない。
しかし当の本人だけは、「自分は特別」などと都合の良いように解釈してしまうのだ。
そのうち、堂内のあちこちから怒声が上がった。
「やっぱりインチキだったのか!」
「俺も騙された!」
椅子を蹴って立ち上がる者、ひとり青ざめる者。
不思議と似たような雰囲気の、年配の男ばかり。
彼らはおそらく、“陳と同じ理由”でこの里に留まっていたのだろう。
彼らのような信者は、手にするはずの遺産を他人に奪われまいという一心から、他者との交流を避ける。
それゆえ教団の怪しさに気づかぬまま、莫大な遺産を手にする日まで、ただ黙々と修行を積み続けるしかなかったのだ。
その時────
「みな、落ち着きなされ!」
大地を揺らすような、低いしゃがれ声が響く。
堂内は一瞬にして静まり返り、皆の視線は御神体のそば、台座に鎮座する教祖・白樺へとそそがれた。
白樺はゆっくりと壇上から降り、曲がった背中でそろそろと歩く。
やがて跪拝台の前へたどり着くと、無咎を見上げて口を開いた。
「なるほどのう……。あらかじめ会話の筋書きをこしらえて、相手をそこへ誘導する。その手を使えば、赤の他人が故人さまのふりをすることはできそうじゃ」
白樺は穏やかに微笑んだまま続ける。
「しかしなぁ、若人よ……。お前さんはこう言った。『教団の誰かが、裏で故人を演じていた』。つまり、御声はただの人間の声にすぎんと」
「ああ」
「そしてこうも言うておったな。『声は、この本堂の低い位置にしか届かない』と。仲間が御声を聞いているあいだ、お前さんがその背後で呆然と立っておったのを、わしも見ておった。御声は、そなたには聞こえなかったのじゃろう?」
老婆の気迫にも、無咎は一切ひるまない。
「そのとおり。あの時俺がしゃがみ込むなりして姿勢を低くしていれば、声は聞こえていたはずだがな」
「ほう」
白樺がゆっくりとうなずくと、頭上の銀冠が冷たく光る。
「では聞こう。“ただの人間の声”とはそのように、低い位置にだけ届くものなのか?」
そして薄い眉をひそめ、確かな声で言った。
「わしに大層な学はない。じゃが音というものが、出た瞬間に四方八方へ広がるものと知っておる。音を小さくするのは、高い低いではなく、距離じゃ。低いところだけに都合よく届くなどという不思議は起こり得ん。それくらいのこと、言われずとも皆わかっておろうがのう」
離れつつあった信者たちの心へ寄り添い、再び引き戻すべく、優しく語りかけていた白樺。
次の瞬間には一転して、無咎を模倣するかのように、毅然と問いかける。
「声を決まった場所にだけ届けるということが、人の力だけでできると、いったい誰が信じる?」
無咎に流されかけていた者たちの表情が、一斉に曇る。
「わしらが如何様だ、白冥大士さまの力が偽物だとのたまうならば、今ここで示すがよいわ。その声が一体どこから、どのようにして発せられるのかを」
敵意に似た、無数の鋭い視線が、再び無咎へ集まった。
「……ああ。わかった」
彼は無表情で返事をすると、足を踏み出す。
そして、指し示したのは────。
「これだ」




