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問無抄 ~のら猫と忠犬の虚実録~  作者: ぐるた眠
第一章 白音堂~死者と会話できる堂~

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第十話 作られた声

「どういうこと?いったい何があったの……」


 跪拝台の中では、先ほどまで息子の声に耳を傾けていた司馬夫人が、一人とり残されたように困惑の声を漏らした。


「夫人。驚かせたことをお詫びいたします」


 無咎(むきゅう)は拱手し深々と頭を下げる。


 そして、彼らが商人というのは嘘で、“ある人物”の命により、教団のいかさまを暴くために派遣されたことを明かす。


「どうして、そんなことを……」


 なおも状況を呑み込めない夫人へ、玄晏(げんあん)が静かに歩み寄った。


 その(てのひら)には、隠し持っていた皇城司(こうじょうし)佩玉(はいぎょく)が鈍い光を放っている。


(あるじ)はこの白音堂で、本当に死者の声が聞こえるのか調査せよと仰せでした。しかしその真意は、大事な貴妃さまのもとへお母上を連れ戻したいという、切なる願いでしょう」


「ああ、あの子の……」


 玄晏らの“主”が誰なのか、夫人もようやく理解したようだった。


 玄晏(げんあん)は夫人の体を支え、ひとまず信者たちの集まる座席へと案内する。


「言いがかりはおやめなさい!」


 堂内には、幹部の白菊の強い声が響いた。


「故人の御声が、参拝者おひとりにしか聞こえないなどと、我々がいつ申し上げましたか?現に白樺さまにはすべてが届きますし、私にさえ聞こえることもあります。御声が誰に届くかは、聞き手の修行や特性、そしてその折の気の流れによるもの」


 白菊は乱れた衣を整え、一点の曇りもない聖職者の顔で、無咎をきつく見すえた。


「入信もしていない部外者が、妄言をもって神聖な儀式を汚すとは……万死に値する無礼ですよ」


 彼女の毅然(きぜん)とした態度に呼応するように、不安に揺れていた信者たちも口々に無咎(むきゅう)を罵りはじめた。


「白菊さまの言うとおり!」


「俺たちを馬鹿にしてるのか!?」


「他の教団の間者じゃないのか?」


「御声が嘘なわけないわ!私が聞いたのは姉の声だったし、姉しか知らない話をしていたもの!」


 最前列の女が立ち上がって叫ぶも、無咎(むきゅう)は冷静に論破する。


「単純な話だ。あらかじめ聞き出した情報や、提出させた伝え書きをもとにしている。それとも、あんたは死んだ姉についてこの里でひと言も口にしていないのか?」


「それ、は……」


 女は悔しげに唇を噛み、腰を下ろす。


「待ってくれ無咎どの。私は伯文兄さんのことを一切話していないし、伝え書きにも記していない」


 たまらず口を挟んだ玄晏(げんあん)を、無咎(むきゅう)はじろりと睨みつけた。


「……あんた、一体どっちの味方だ」


「う……。す、すまない」


 玄晏(げんあん)はつい己の役割を忘れ、ただの観衆として無咎(むきゅう)の推理に呑み込まれてしまっていた。


 まるで叱られた犬のように肩をすぼめる相棒に、無咎(むきゅう)は吐息を漏らした。


「まあいいだろう。実は情報がなくとも、故人を演じることはできる。ここで証明してみせよう」


 無咎(むきゅう)にうながされ、玄晏(げんあん)は一昨日と同じように、跪拝台の中で小さく膝を折った。


「あんたの『伯文(はくぶん)兄さん』の第一声はどんな言葉だった?」


 そして、正面に立って腕を組む無咎(むきゅう)の質問に答えていく。


「……『そこにいるのは誰か』と聞かれた」


「それで、あんたは何と答えた」


「『私だ。玄晏(げんあん)だ』、と」


 無咎(むきゅう)は「やっぱり」と言わんばかりにうなずいた。


「互いの姿が見えない以上、『私だ』とだけ言っても相手にはわからない。あんたは最初に名乗らざるを得ないわけだ」


 そしてこうもつけ加えた。


「もちろん、教団の一味である声の主は、あんたの名を知っている。だが、仮に偽名だった場合を考えれば、相手に名乗らせるほうが安全だろう」


 言い終えると無咎(むきゅう)は軽く目を閉じる。


 まるで、これから寸劇の幕が上がるといわんばかりに。


「“玄晏(げんあん)……”」


 いつもと違う声色で名を呼ばれ、玄晏(げんあん)は戸惑いながらも、何とか御声聞きを再現する。


「伯文……兄さんか?」


「“ああそうだ。まさかお前がここに来るなんて……。何か聞きたいことでもあるのか?”」


「……」


 玄晏(げんあん)は言葉を失った。

 一昨日、この場所で繰り広げられたやり取りと、一言一句同じだった。


(つか)みはこんな感じだろう。互いの顔が見えないという状況を逆手にとって、まず自分と相手の名前を引き出す。そして再会の感動に浸る間も与えず、『何か聞きたいことでも?』と、すぐに本題へ誘導するわけだ」


 御声聞きには制限時間がある。


 目の前で小さくなっていく線香を見れば、信者も自然と急かされる気持ちになり、誘導に従わざるをえなくなる。


「しかし声色はどうする?俺は伝え書きには『死んだ母親と話したい』と書いたのだぞ。教団が演じているのだとしたら、まずは女の声がするはずだが」


「最初に聞こえたのは、本当に男の声だったのか?年齢はどのくらいだ?」


 思わぬ質問返しに、玄晏は戸惑う。


「え、ええと……」


「あんたも言っていただろう。『はじめは遠く、くぐもっていてよくわからなかった。話をするうちに、だんだんと兄さんの声に近づいていった』と」


 無咎(むきゅう)の言うとおりだった。


 玄晏(げんあん)の耳にはじめ届いたのは、かなり聞き取りにくい、ある意味人間離れしたような声。


 それがあたかも、ここではないどこか遠く、まるで黄泉の国から届いたように感じられた。


「たとえば年配の女の声というのは、聞きようによっては男の声にも聞こえる。似たような声で喧嘩する年配の夫婦を、あんたも見たことがあるだろう」


「では、私が聞いたのは……?」


「最初に聞いたのはおそらく、年配の女の声だ。演じ手は最初、伝え書き通りにあんたの『母親』を演じていたんだ。しかしあんたはそれを、心の奥で求めていた声────つまり『伯文兄さん』の声と錯覚した。向こうの演じ手はあんたに『兄さん』と呼ばれたことで、女から男へと交代したんだろう」


 無咎(むきゅう)はその場でゆっくりと膝を折り、閉じた扇を玄晏(げんあん)の目の前に差し出した。


 唖然とする玄晏(げんあん)(あご)を、扇の先端でくいと持ち上げる。


「つまり伯文兄さんとやらの声は、あんたが自分の中で勝手に作り上げたんだ」


 そう囁く無咎(むきゅう)の声もまた、玄晏(げんあん)の鼓膜を甘く揺らした。


 しかし────


「すべて、あなたの邪推(じゃすい)にすぎません」


 そばで聞いていた幹部の白菊が、なおも冷たく反論する。


「『そうかもしれない』という悪意ある推測を積み上げ、さも真実であるかのように吹聴する。皆さんの心を巧みに操作するあなたの方が、よほどの策士に思われますが」


「策士、か……」


 無咎(むきゅう)は信者たちをゆっくりと見渡した。


「では聞いてみよう。皆は、故人とどのような話をするためにここへ来た?死後の暮らしについてたずねるため?それとも懺悔だろうか」


 急に問われた信者たちは、顔に戸惑いと困惑を浮かべる。


「それに、何の関係が?」


 いっけん脈略のなさそうな問いに、玄晏(げんあん)も疑問の声を漏らす。


「一昨日から今日にかけて、食堂や宿舎で十数人の信者に話を聞いた。どうやら彼らが最初の御声聞きで故人にたずねる内容は、数例に限られるようだ。それこそが白音堂による印象操作のたまもの。この教団が策士の集まりだという証拠だろう」


 無咎(むきゅう)は扇を開き、その陰から信者たちを眺めて続けた。


「最も多いのは『黄泉の世界はどうだ』というものだった。これには『快適だ』などと適当に答えればいい」


 この質問は、演じ手にとっては最も都合がいい。

 本物の黄泉の国について知る者などいないからだ。


「次に多いのは、故人への懺悔。玄晏(げんあん)、あんたもそれだな」


「あ……ああ」


「懺悔には『許す』。どんな過ちを犯した者に対しても、一切(とが)めずただ許せばいい」


 玄晏(げんあん)は解せぬといった様子で眉をひそめた。


「私の場合は、確かにそうだった。しかし、いくらなんでも『許す』が全ての人に通じるわけがないだろう」


 あの時聞こえた伯文の声は、確かに彼を「許す」「気にするな」と言い、玄晏(げんあん)はそれを信じた。


 しかしそれは、自分達が皇城司という、常に命の危機に晒される立場にあったこと、そして何より伯文の性根が特別優しく、おおらかだったからにすぎない。


 すべての故人が、彼のように聖人君子であるわけがない。


 死んでもなお相手を(いさ)めたり、罵倒するような者もいるはずだ。


 しかし無咎(むきゅう)は、主張を曲げない。


「どんな大罪人でも、本人しか知り得ない事情を抱えている。だから皆こう思うんだ。『自分だけは許されるのではないか』と」


 無咎(むきゅう)は扇を静かに閉じた。


「仮に、人を殺した人間がここに現れ、殺めた相手を呼び出したとする。その声が『許す』『仕方なかったことだ』と言う。(はた)から見ればあり得ない話だが、殺した本人だけは信じてしまうだろう。懺悔する者は、最初から許し以外を求めていないからな」


 はっと息を呑む音が、波のように堂内へ広がっていった。


 玄晏(げんあん)は黙って信者たちの顔を見回す。

 この中の何人かは、自分と同じように故人から『許された』人間なのだと、直感した。


「それから、故人の死因を調べるためにここを訪れた者も少なくないようだ。殺し、自殺、不慮の事故で亡くなった者に対し『誰に()られた』『なぜ死を選んだ』『どのような事故だったのか』と聞く」


「さすがにこれは、人によって答えはさまざまだろう」


「いいや、これも答えはひとつだ」


「……ひとつ?」


「『自分にもわからない。気がついたら死んでいた』」


「……は?」


 あまりにも簡単で、かつ軽薄な答えに、玄晏(げんあん)は耳を疑った。


「もちろん疑問は残る。しかし故人が苦しまずに()ったとわかれば、遺族は安堵(あんど)する。殺しや自殺だと思っていたことが、実は不慮の事故だったと見方を改める事例もあっただろう」


「そんな曖昧な答えを、遺族が本当に信じるだろうか?」


 玄晏の懸念をどこ吹く風と、無咎は自信満々にうなずいて見せた。


「信じるさ。人を騙すコツは、真実ではなく『相手が最も望む答え』を与えてやること。あやしげな宗教にまですがる遺族にとって、『故人は苦しまずに死んだ』───これ以上の救済はない」


 そう無咎が言い切るも、先ほどまで騒ぎ立てていた信者たちから、反論の声はひとつも上がらない。




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