第12話 宵闇と小さな灯火
夜の静寂が包み込む、秋葉原の路地裏。
『アングラ堂』の雑多な店内には、いつもの呑気な空気はなく、少し重い緊張感と消毒液の匂いが満ちていた。
「痛っ……! 店長、もうちょっと手加減……!」
「ハイハイ、我慢我慢。無理なコードの乱用で、君のエーテル循環をつかさどる、神経回路は焼き付きかけているんだ。早めに処置しておかないと後で響くよォ」
店長はいつもの分厚い丸眼鏡を掛けてユルい表情に戻っていたが、治療の手は極めて正確で素早かった。アカリの腕や脚に巻き付けられた包帯の上から、薄紫色のコードを這わせ、痛みを和らげていく。
「……ねえ、店長」
アカリは痛みに眉をひそめながら、胸に引っかかっている疑問を口にする。
「あの…サンジェルマン伯爵って、本物なんですか? ネットに載っているような『不死の錬金術師』なんて、昔のおとぎ話だと思ってました」
彼は手当てをする手を一瞬だけ止め、深いため息を漏らす。そして、どこか遠い眼差しを窓越しの夜の街へ向ける。
「……そうだね。君には話しておいた方がいいかもしれない」
店長は椅子を引き寄せ、アカリの向かいに座った。
「サンジェルマン伯爵。彼は…そうだな。有り体に言えば『世界という舞台の観客…もしくは煽動者』とでも言うべき存在だろう。何百年も前からその姿を変えず、歴史の裏側で常に世界の変化を見物し、必要があれば自ら混沌を齎す……彼にとっては人々の歴史や苦悩も、すべては『ヒマ潰しの戯曲』に過ぎない」
「戯曲……」
「そう。今風に言えば『混乱をバラ撒いて愉悦する、愉快犯』と言った存在だろうね。ただ、他のソレと違うのは『その対象が世界であり、規模が桁外れ過ぎて』、彼を誰にも止めることができないという所さ」
そんな、まるで未曾有の自然災害の話でもするかの様に彼は伯爵を語る。
「じゃあ、あの男が『大昔の人間で不死』というのも……」
「あぁ、本当の事さ。彼は過去に錬金を極め、我々錬金術師のひとつの悲願である『賢者の石』を作ることさえ容易い。不死についても……ね」
「なら…数百年前に交えたというのも……」
「ボク自身もまた、かつて歴史の裏側で『彼の行いを許すことが出来ず』、何度も相まみえることがある。そういう古い人間の一人さ……だが、そんな存在は気味が悪いだろうか?」
その酷く自嘲的な店長の笑いに、何となく触れちゃいけない所に触れた気がして、焦った私は両手を前に振る。
「ちがっ……そういうんじゃなくて……なんていうか…店長の得体の知れない所とかが、腑に落ちたというか……とにかく、私そういうの気にしないですから……」
「そう?じゃ、これからボクが推し活グッズや変なモノ買っても怒らない?」
「なっ…それとコレは話が別ですってばっ!」
「ハハッ、分かってるよ。……君は賢いからね。色々と気になるのも分かるけど、今はそれ以上のことは知らなくていい。必要な時が来れば、ボクから話すよ……これは約束だ」
「もお、ズルいですよ……そんな風に言われたら、もう聞けないじゃないですか」
店長は私の不満に笑みで返すとそれ以上について深くは語らなかった。でも、その眼には「過去にとても良くないことがあったのだ」、と静かな後悔の念が見えた。
「それよりも、アカリちゃん。君のことだ」
「えっ、私…ですか…?」
今までは伯爵のことや店長のことばかりに頭がいっていて、急に自分のことに戻され、思わず目を丸くする。
「一瞬とはいえ、伯爵の不意を突いて一矢を報いたのは見事だったけど、今後はああいう先行は禁止だ。彼が気まぐれを起こしたからよかったものの、あの場で本気を出されれば、君を守ることも叶わなかったかもしれないからね」
「うっ……」
今度は逆に店長に見据えられ、アカリは苦虫を噛むように目を逸らす。
「それに、伯爵の言動からアカリちゃんが彼に目を付けられてしまっている可能性が高い。コレは君に否は無いが、今後何かしらの厄介事を抱え兼ねない」
「何か…まるでビンボー神に付かれたみたいな言い方ですけど……」
「ビンボー神程度なら可愛らしいものさ。伯爵がその気になれば、アカリちゃん自身をそういった厄介な神に仕立てることさえもあり得るからね」
「私嫌ですよ、ビンボーな女神なんて……」
ただでさえ日々生活でキツキツなのに、これ以上貧乏にされたらかなわない。せっかくなら、『豊穣の女神』とか、『大黒様』とか、そういう何か景気の良さそうな神様にしてほしい。
「そうだね。ボクもアカリちゃんが『ビンボー女神』にされないよう、明日から対策と鍛錬の方法を考えるとするよ。だから、今日はユックリ休みなさい」
「はい……おやすみなさい、店長」
ソファーに毛布をかぶり、安心したように寝息を立て始めるアカリ。
――そして、アカリが静かに眠りについた頃
『アングラ堂』で、店長は一人。パソコンに向かい、新たな術式のコードを紡ぎながら伯爵の言葉を思い出し、暗い夜の街を見つめる。
(……『極上の種子』、か……)
かつて師は『万有の力学』を説き、この世界の理を変えた。
しかし、その彼が指していた『人類にとって重大な発見』は、
今や『人類にとっての脅威』に成りつつある。
この東洋のカオスが漂う電子の街で、賢者は深淵のネット世界に、
何かが不気味に牙を剥き初めたことを感じていた――。




